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明日に架ける橋 Bridge Over Troubled Water    ケン高倉☆彡

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我が町の周辺の出来事と歴史

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川口神社


銚子の漁業は、江戸時代に入ってから紀州漁民の開発によって勃興したものですが、江戸時代を通じて銚子の漁業を代表するものは いわし漁業 でした。銚子は九十九里浜と並んでいわし及びその加工品である ほしか・しめかす の二大産地となっていました。
いわしは回遊性の魚であるため、その漁況には何年間かの間隔で豊凶の繰り返しがありますが、元治元年(1864年)の春、銚子湊は未曾有の豊漁で、いわしの銀鱗で埋まり、人も馬も極度に疲労しつくしたほどでした。

漁師たちは大漁祭を行うことになりましたが、唄も踊りもなかったため、当時飯貝根浦に住む網元の網代久三郎と、当地の名士松本旭光、俳諧師石毛利兵衛の三氏が合作し、常盤津の師匠遊蝶が三味線、清元の師匠名妓きん子が踊りの振り付けを入れ、現在の「大漁節」と「大漁踊」が生まれました。


銚子大漁節


一つとせ 一番づつに積み立てて 川口押込む大矢声 この大漁船

二つとせ ふたまの沖から外川まで つづいてより来る大いわし この大漁船

三つとせ 皆一同にまねをあげ 通わせ船のにぎやかさ この大漁船

四つとせ 夜昼たいてもたき余る 三杯いっちょの大いわし この大漁船

五つとせ いつ来て見てもほしか場は あき間もすき間も更になし この大漁船

六つとせ 六つから六つまで粕割が 大割小割で手におわれ この大漁船

七つとせ 名高き利根川高瀬船 粕や油を積み送る この大漁船

八つとせ 八だの沖合若い衆が 萬祝揃えて宮まいり この大漁船

九つとせ この浦守る川口の 明神御利益あらわせる この大漁船

十とせ 十をかさねて百となる 千をとびこす萬両年 この大漁船



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