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昨日の深夜と言うよりは、今日の深夜に群馬県の浅間山が噴火したようで、関東にはこの灰が今日は飛びまわったようである。 そして、先日から桜島の火山も活発になっているようで気になります。 自然災害には文明が発達したとはいえ、まだまだ太刀打ちできるものではないので、出来ればこのまま終息に向かって欲しいものです。 昔から火山が大きく噴火すると農作物に被害が出て、飢饉が起きたようであるが、1700年代には関東を中心に浅間山の火山噴火により未曾有の飢饉が起きたと言うが、この被害は当地方も少なからず影響があったようである。 我が町は関東の外れであるが、江戸時代にこの地を統治していたのは、「現在の群馬県」の高崎藩の飛び地で高崎藩がこの地に代官所を置き、年貢の取り立てをしていたようである。 この当時、浅間山が爆発して数年に亘り飢饉が起きたそうである。これが後に言われる天明の飢饉です。 この飢饉の時は関東ばかりか、東北方面なども酷くやられたようで、餓死者や身売りされる人たちで溢れ悲惨な状況であったようである。 この時に我が町も年貢どころか自分の食べる者も無くなり、困りはてたようである。 しかし、高崎藩から来ていた代官が大変太っ腹の人物で、本家である高崎藩の国元にこの飢饉の救済を求めたが、高崎藩は浅間山の在る群馬県にあったため、飛び地の事どころでは無く、逆に銚子醤油醸造元等などに御用金を求めてきたため、時の代官・庄川杢左衛門は独断で陣屋の米倉を開放して分け与えたと言う。 テレビや映画では御代官と言えば悪代官と言うのが定説であるが、我が町の御代官様は良い代官様で、町を救ったようである。 そしてこの責任を負い、高崎に帰って切腹したとかと言う話である。 そしてその後、200数十年で我が町ではこの御代官の遺徳を偲び、曲と詩と振りを付け200年以上も盆にはこの御代官、庄川杢左衛門を偲び町の各所で踊られる。 今も昔も自然災害には人は太刀打ちは出来ないのである。自然は優しくもあり、時に非情である。 ちなみに1700年代には、天明6年(1786年)には、箱根山が噴火し、1707年(宝永4年)には富士山が大噴火を起こしている。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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