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テーマ:将棋について(1369)
カテゴリ:詰将棋・フェアリー・作図
伊藤看寿の「将棋図巧」の序文に「年十三にしてえい(変換出来ない・・・)局の図を作り、今此の巻尾にあり」という有名なくだりがあります。
図巧第100番は「寿」ですが、巻尾の局だからその「寿」611手詰を看寿が13歳で作ったと一般には思われている・・・のでしょうか?TVで某プロも「看寿が13歳で611手詰を作った」などと軽々しく言っていましたが・・・ 駒場和男氏はエッセイで「寿は全盛期の作ですよ」「どこにも推敲の余地がない」というような事を確か書いていたと思います。 詰将棋の創作を長年やってきて自身も有数の作家である駒場氏の言葉なだけに説得力があります。 看寿は神様だから、天才だから少年時代に作れたんだ、などと言うのは天才バカボンのハジメちゃんは天才だから生まれたばかりで会話が出来た、などと言うのと同等にリアリティーの無い話です。 13歳で寿が作れたのなら他の作品はどうなるんだ?という疑問が当然起こる筈です。 駒場氏は『巻尾』という言葉をラストの方、と解釈して「果たして巻尾の局はどれか?」という事を90番~100番をその『巻尾』の範囲として検証してみました。そして出たのは第97番がその巻尾の局だ、という考えでした。 97番は玉方の一段目が実戦初形のように「香桂銀金玉金銀桂香」と並んでいる作品です。門脇芳雄氏も東洋文庫「詰むや詰まざるや」で「一段目に玉金銀桂香を配置した創作型作品。この思いつきは稚気的なもので、看寿の創作初期の作品ではないかと想像される」「作風から判断すると、この作品がその巻尾の局ではないか、とも考えられる」と書いています。 内藤國雄九段が玉方完全実戦初形の詰将棋を作りますが、その発想の元はこの図巧97番にあります。200年以上の時を経て看寿の夢見た構想の一つが完成されたと言えるのではないでしょうか。 稚気的でもあり記録的とも言える作。98番「裸玉」99番「煙詰」100番「寿」、これらはラストを飾る作としては外せない所でしょう。その次に持ってこれるギリギリの巻尾とも言える位置が97番だったというのは何となく納得出来るような気がします。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.05.06 01:22:36
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