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その他

2006.05.04
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カテゴリ:その他
何気に野球を見てたら5回裏にノーアウトランナー1塁からバッターをうちとった所でいきなりピッチャーが交代しました。普通だったらこの交代は絶対にあり得ない所ですが、どうやらピッチャーにアクシデントがあったようです。

これは相手チームにとってはラッキーだろうな、と思いました。
この場合はアクシデントでありミスではないのですが、将棋でも相手のアクシデントやミスは嬉しかったりするものです。

以前ある将棋ファンが某プロに「阪田三吉さんは相手が悪い手を指すとその相手を叱ったそうですね。さすがは阪田さん・・・」と話したそうですがそのプロが言うにはそれは阪田さんがアマチュア相手の指導の時の話でしょう、相手がプロなら間違えてくれれば嬉しいものだ、との事です。

実力が拮抗している相手、強敵と戦っている時に相手がミスをした、あきらめてくれた、という事があればそれは嬉しいものです。勿論お互いに全力でぶつかり合って充実している時に途中であっさり土俵を割ってしまってがっかりする、という気持ちになる事もありますが、本当に勝ちたくて必死で戦っている時に相手が間違えてくれるという事はやはり嬉しいものなのです。
当然、指導と真剣勝負では違うわけです。






Last updated  2006.05.04 20:50:11
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2006.04.28
カテゴリ:その他
あまり大した話ではありませんが・・・・・・

「オレより強いヤツに会いに行く」
15年くらい前のコピーですね。

近々地元でアマ竜王戦の予選があります。県内の強豪が集結します。
自分より強い人とやらなければ強くなれないし、自分の力を思い切り出し切ってもそれを受け止めてくれる相手が必ず存在します。

アマチュアの将棋指しは永遠の「バトル野郎」なのでしょうか・・・・・・






Last updated  2006.04.28 20:47:05
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2006.04.23
カテゴリ:その他
ニックネームを「谷口桂馬」から「エリア・マッドナー」に変更しました。

実はこの「将棋雑談」の他に「富山県将棋情報」というブログを先に書いていました。そちらの方はローカル情報で客観的事実のみを淡々と述べていたのですが、自分の意見も書きたくなってこちらで「将棋雑談」を始めたのですがこちらはローカル色を全く消してやっています。

こちらは当初そんなに宣伝するつもりもなく、また余計な事を色々と考えて別人を名乗ってやっていたのですが「知人からこちらも宣伝しては」と言われて、別人のままではやり難いのでこの度名前を揃える事にしました。

「~将棋情報」の方は毎日更新が目標です。大会情報をメインにネタが無い日はプロ棋界とか何でもネタにして書いています。こちらの「雑談」は更新は不定期です。今後も「情報」は客観ブログとして「雑談」は主観ブログとしてやっていきます。






Last updated  2006.04.23 21:59:39
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2006.04.19
カテゴリ:その他
将棋というのはスポーツと違って、例えばどんなに下手な人でも後ろから見ている人に「こうやればいい」と助言されればその通りに指す事が可能です。これが野球でピッチャーなんかやると「このバッターにはこのコースへこのスピードの球を投げれば空振りする」と言われたところでその通りに投げられるわけではありません。

当たり前の事ですがそのゲームの性質というのが色んな面で影響を与えています。
将棋というのはどこまで行っても『疑心暗鬼』な闘いだと思います。勝っても負けても常に反省がつきまとう。

完璧に勝つなんてのは相当に難しい事で、僕の経験も含めて終局後に「ひどい将棋でした・・・」と言う事があまりにも多い。かなりの強豪でも「ひどい手をやった」「途中までひどかった」という事が多いです。勿論お互いに充実して最後の最後まで緊迫した局面が続き終わってみて「どこが敗因だったのか?」と言うくらいの良い将棋もあります。

だけどあまりにも「ひどい将棋」が多いと思うのです。それと力に差がありまずい手を指してもそれを咎められずに勝っても、振り返って「あそこでこう指されるとこちらが悪かった」という事もあります。将棋には人間相手の勝負という要素もあり、また真理を追究する自分との闘いという要素もあります。

どんなに勝っても反省が必要です。また意外な所で相手から投了(負けを認める)されたりする事もあります。自分は読めていないのに相手の方が自分の方の勝ち筋を読み切ってしまい素直に投了される。こうなると勝ちの局面に持って行ったのは自分の力でもその局面でのこちらの勝ちを見付けたという事に関しては相手の方が上を行っていた事になります。

どこまで行っても自分との闘いであり、『疑心暗鬼』である・・・・・・。

こういったゲーム性が傍で見ていて「どっちが勝ったのか分からない」という印象を与えます。勝ってもガッツポーズが出ない。時間の短い将棋なんかだと最後までどっちが勝ってるのか対局者ですら分からなかったりします。勝った方が青ざめていたりします。
アマ大会やプロの対局にしても隣でも対局していれば、終局後に派手に喜んだり大声を出したりしては迷惑をかけます。

ただでさえ分からない人には理解されにくい将棋がこういった調子ではなかなか良いイメージを与えにくいのではないかと思います。
チェスの世界はどうなのか?僕はよく分かりませんが、お国柄が違えば態度もまた違うのでしょうか?

何とか慣習といったものを変えていくべきなのではないのか?と最近考えるようになりました。勝っても負けてもさっぱりとして相手に感謝の気持ちを持つ・・・こんなのでいいのか?よく分かりませんが、違った雰囲気を作っていくべきのでしょうか?






Last updated  2006.04.19 19:04:10
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2006.04.12
カテゴリ:その他
将棋を指す時に正しい駒の持ち方というのがあります。そうしないといけないという決まりは無いのですがある程度やっている人なら自然とそれが身に付いていきますし下手な手つきでは何となくみっともない。

『真剣』と言って賭け将棋が頻繁に行われていた時代とかに初対面の人に対してわざと下手そうに見せて油断させる、という駆け引きをする場合もあったようです。その手の小細工は今でもする人はするでしょう。将棋はメンタルな面が大きいので形勢に自信があれば元気がよく手つきも堂々としていたのが、自信が無くなってから手つきが弱々しくなったり、またそれを悟られないように逆に強い手つきで指したり、序盤での駆け引きでも手つきで自分の得意分野だと思わせるようにハッタリで強気な手つきをしたり・・・まあ色々あります。

手つきには大別して「優しい手つき」と「激しい手つき」があります。「優しい」のはあまり駒音を立てずにそっと置く、逆に「激しい」のは思い切り駒を盤に打ちつけて大きな音を立てる。

どちらかと言うと駒音を高く立てる人が多いような気がします。これはその人の好みの問題ですが僕の場合は前者の音をあまり立てなくそっと置くやり方です。僕は駒音高くすると相手を刺激してあまり得ではないように何となく思っています。どんな手つきだろうと答えは盤上で出ているのだから力強く打ちつけて「どうだ上手いだろう?」とアピールする必要もないと思っています。相手がミスした時とかすかさず追い打ちをかけるようにバシッと音を立ててるのを見ると「盤上以外でも痛めつける事もないだろうに・・・」と思ったりします。

別に駒音が高い人を非難するつもりではないですが、あくまで自分自身をそう押さえ付けていくつもりです。プロで言えば谷川浩司九段の事を内藤国男九段が「谷川さんは勝ちを見付けた時に手つきが優しくなります」と言っていました。谷川九段は「駒をいとおしむように持ち、舞うような手つき」と言われています。僕はそれを目指したいのですが今の所はまだまだ迷いがあります。あと、切れ負けの将棋の終盤であまり綺麗でない持ち方をしたりする事がありますが・・・これは仕方の無い事なのでしょうか?

谷川九段の自戦記で「手つきに感情が現われてしまった・・・」という一文がありました。その事を反省というか後悔というか己の未熟さを感じているようなその姿が印象的でした。僕も4年程前のある大会のある一手に思わず気持ちが手つきに出てしまったのがいまだに覚えています。勝ちの見えない局面で相手のミスが出て『1七角』という飛車取り詰めろをかける角打ちの一手ですがいまだに後悔しています。

丸山忠久九段も「無音流」で高橋道雄九段の「強く叩きつけると、駒が可哀相だから・・・」という言葉も非常に印象的で感銘を受けました。

決め手を放つときに最高の力でバシーンと叩きつけるある強豪がいます。その人に対して谷川流の手つきで勝つのが目標です。






Last updated  2006.04.12 19:50:20
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2006.04.07
カテゴリ:その他
もし自分が不治の病にかかり、あと○ヶ月の命だと言われたら・・・・・・。

そうなったらあらゆる人脈を頼りに力のあるプロ棋士を紹介してもらい、残りの命を将棋界のために使ってもらうように頼みたい、と時々考えたりします。

そこで具体的に何をするか・・・・・・
それが問題ですが良い案を考えていた、と思い込んでいた時期もあれば、またよく分からなくなったり・・・現在は全然まとまっていない状態です。

実は以前、吐き気に襲われ歩くと左によれるし「一体どうなったのか?」と脳が何かのとんでもない病気になったのではないかと思った事がありました。結局は自律神経失調症のなりかけ、と分かりその後は簡単に治ったのですが、その時の妄想というのは・・・・・・またの機会にお話したいと思います。






Last updated  2006.04.07 19:05:45
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2006.03.25
カテゴリ:その他
「雀鬼流の行動哲学」桜井章一著(三五館)という本があります。98年の10/6初版となっています。
P.186ですが短い文なのでそのまま載せましょう。


●麻雀界が将棋界を真似る必要なんて、ありません

 たとえば、将棋の「名人」などという免許や称号は、自分たちの組合で作ったものであって、世間が与えているものじゃないんです。ほんとうに誰もが認めた名人だということで与えた称号ではない。
 だから、麻雀界が将棋の真似しようなどという動きがありますが、私は、そんなことするのは馬鹿だと思ってる。
 麻雀の世界は、将棋の世界なんかに負けると思ってないからね。それをなにも自分から将棋の世界にすり寄る必要なんてないんです。
 いまの将棋の世界なんて、芸能界と同じで、心ではなくて、知識と情報で勝負しているみたいなものですよ。


 とりあえず引用しておきます。意見を求めようにもそういう態勢になっていませんので、資料的に載せておきます。

 桜井章一氏は僕が将棋より先に麻雀に出会っていたら最も尊敬する人物となっていたでしょう。






Last updated  2006.03.25 14:47:45
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