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その他

2017.12.16
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カテゴリ:その他
賭け将棋についてですが、様々な視点から検証するとか、深く追究するとかそういった話ではありません。

 例の「角不成を会員停止」に関連する話ですが、あまりこのタイトルばかりでは奇妙というか角が立つ面もあるので少し変えてみたといった所です。

 江戸時代では、将棋とは明らかに『賭け事』として認識されていました。
 今となっては信じられない話でしょう。
 しかし人々の認識がそうなら、全体の流れがそうであるなら、自然とそういうものとなってしまいます。

 逆に江戸時代の人から見たら現代の方が不自然に見えるでしょう。

 真剣師は昭和50年代まで存在した、と言う人もいれば今でもいると言う人もいますが、とにかく全体としては下火というか「将棋とは賭けないものだ」という考え方が現在では圧倒的に広まっているでしょう。

 賭けというのは何ででも賭けようと思えば賭けられるもので、ジャンケンでも賭けられますし、それを言い出せばキリがありません。
 勿論賭博行為は犯罪ですが。

 将棋でも少額の賭けは緊張感を高めるために効果があると考える人もいますし、僕も実はその考え方には賛成です。大っぴらには言えない事ですが、賭けというもの全てが悪い行為だとは思えないのです。

 ともあれ肝心なのは「将棋は賭けなくても面白い」という事、これが一番大事です。
 それが当たり前の考え方として世の中に広まったという事実、これが実に大きい訳です。

「麻雀はギャンブルだよ。賭けない麻雀は麻雀じゃない」
 僕の知り合いでこう言った人がいました。

 この考えに賛同する人は多いのかも知れません。しかし一方では「賭けない麻雀」を推奨して広めようとしている人達もいます。そういった人達からすれば、将棋界は羨ましく見えるのでしょう。
 現在ではどのような状況となっているのか、僕はあまり知らないのですが。

「麻雀はギャンブル(賭け事)だ」それはその人にとっては当たり前の事なのでしょう。小さい頃からそういうイメージで麻雀を見てきて、覚えてからもずっと賭けてやってきた。
 それが間違っているとも言いませんが、だけどあくまでもそれは当人の過ごしてきた環境であり主観に過ぎないのです。

 心の底からそう思い込んでいる人にとっては到底受け入れられない、信じられない考え方も、逆にそれが正しいと信じて疑わない人もいる訳です。主観、認識とはそういうものです。

 江戸時代の人からすれば、将棋で賭けないという事は本当に心の底から信じられないものなのかも知れません。

「将棋界も綺麗になったものだ……」師匠が生きていれば今の将棋界を見てそう涙を流したに違いない、と或るプロ棋士が語っていました。

 将棋のルールは変わらないのに、こうまでも人々の認識は変わり、生活習慣が変わっているのです。

 もう一つプルトップについて。
 これは缶蓋の種類で、ようは缶ジュースなどのふたの事ですね。

 プルトップというのは現在の殆どの缶に見られる物で、それ以前はプルタブ式のふたでした。
 今となってはほぼ見かけない物で、僕もすっかり忘れていました。中国製の輸入品など僅かながら流通しているそうですが。

 プルタブのふたとは、缶を開けた時にそのふたが切り離されて取れてしまう物です。小さな金属片が取れてしまう訳で、飲み終えた後にその缶の中に入れて一緒に捨てたりすればいいのですが、このふただけを道端にポイ捨てする人が大勢いました。(まあ缶そのものをポイ捨てする人もいる訳ですが……)
 空き缶の捨て籠の下の方から、この小さなふたがこぼれてはみ出しているような光景もよく見ました。

 アメリカでは早くからこのプルタブの及ぼす環境問題が叫ばれ、缶からふたが切り離されないプルトップが開発されて広まったそうで、それが遅れて日本でも取り入れられたという流れでした。

 某漫画で「まだプルトップに切り替わっていない」と日本人の民度の低さを揶揄しているシーンがありました。

 以前はプルタブが当たり前でした。プルタブしか知らない、プルトップの存在しない世界ではプルタブが当たり前で、それをメーカーが作り消費者が飲む、その自然な行為には何の悪意もありません。

 だけどプルトップを知っているのなら、プルタブを利用するのは悪意ではありませんか?
(大雑把な観念的な話です)

 知っているか知らないか、認識があるかないかで、信じられないくらいにガラリと様相が変わるのです。人々の認識も感覚も考え方も変わるのです。

 そこで「角不成を会員停止に」です。実に長い前置きでした……

「角不成を会員停止」という言葉をいきなり見れば、これは一体何だ? と思うでしょう。降って沸いたような言葉です。

 先の漫画ではプルトップに切り替えない日本という国そのものを日本国民全体を半ばけなしたような、見た者を恥ずかしい気持ちにさせるようなニュアンスがありました。
 民度の低さを訴えていました。(とは言ってもほんの数コマでしたが)

 角不成なんて民度の低い行いです。

 角不成から筋違い角をやる人もいるし(別に筋違い角が悪いと言っているのではないですが)、この間なんかも角不成をやった輩を負かしてやったら切断して去って行きました。どうして普通に投了出来ないのか、コイツは? と思いました。(別に全員がそうだと言う訳ではないですが)

 故意の角不成が存在するのは将棋界全体の民度の低さである、とこの場で言いましょう。
 将棋界全体の恥です。

 自分はやらなくても、やる人間の存在を認識しているなら、それをなくす方向で物事を考えましょう。工夫しましょう。
 それは可能なのです。それが言いたいのです。
「新しい常識にしたい」というのはそういう意味です。

 プルタブが主流の世界でプルトップを広めよう。
 賭け将棋が当たり前の世界で、将棋は賭けなくても面白いという事を教えよう。
 故意の角不成をなくそう。

 そういう事です。






Last updated  2017.12.16 14:36:43
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2017.06.18
カテゴリ:その他
「兄たちは頭が悪いから東大へ行った」とは故米長邦雄永世棋聖の有名な言葉で(実際は故芹沢博文九段の創作)「自分は頭が良いから将棋指しになった」という話ですが、今時こんな台詞を真に受けてもしょうがないという感じです。

 確かに将棋のプロになるのは大変に難しいものでそれは将棋ファンならよく知っている事ですし、当の米長永世棋聖も「兄は東大に入るために約3000時間勉強し、自分は将棋のプロになるために約6000時間勉強した」という自負もあったようですが、「より優秀だから」と言うならともかく「東大生が頭が悪い」などと言う言い方は常識のある人ならしないでしょう。

 当時は将棋のプロが世間では認められていなかったからこそ、こういった無理矢理なアピールの仕方が必要だったのでしょう。

 ある番組でポーカーのプロプレイヤーが紹介されていてダウンタウンの松本人志さんが、仮に自分の娘がポーカーのプロと結婚するという事になったら「ちょっと待って」となるけど将棋棋士だったら「全然良いです」と言っていました。

 今はこんなにまで認められている訳ですから、もう無理に主張する必要もないという事です。

「頭が悪いから……」など、仲間内だとか酒の席での勢いで出るような台詞で、こんなものは例えば講演などで真面目に話すような題材でもないし(ちょっとした合間に笑いをとるためとかならあるかも知れないですが)、こんな事を言えばかえって安っぽく見えるでしょう。

 ところがこの台詞をいまだに真面目に考えている人もいるみたいです。

 本来なら馬鹿馬鹿しくてわざわざ書くような事でもないのですが、一応そういう人たちもいるみたいなので敢えて書いてみました。






Last updated  2017.06.18 13:19:08
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2017.02.16
カテゴリ:その他
この話については言葉を選ばなくてはいけませんが……

 昔の林葉さんの失踪事件の時の事を思い出しました。たしか田丸九段だったと思いますが
「林葉さんは、お金に困っていた」
 とTVの会見で言っていました。

 一体この発言は何なんだろう? と首を傾げるような言葉でした。そんな事をわざわざ言う事に一体何の意味があるのだろう? と。

 どうも連盟の発表の仕方というのは、昔からおかしな所があるのです。
 最近で言えば、藤井聡太四段のデビュー戦についてです。加藤一二三九段との対戦が決まって、抽選した、とわざわざ発表しているのです。

 個人的にこの対戦は「連盟からの最高のクリスマスプレゼントだ」とも思いました。
 別に作為でもいいじゃないか、と思えました。
 とにかく、わざわざ抽選した旨を発表する意味が分からない。
 昔からマスコミ対応が下手くそというか、しなくてもいい事をわざわざやる。自ら墓穴を掘るような事を平気でやっているように思えます。

 さて、三浦九段の件についてですが……

 当初は、ソフト使用の不正の疑いが持たれた事、三浦九段に休場届を出すように言った事、それが期限までに提出されなかったために年内出場停止の処分をした事、連盟はこれ以上の追及はしない(方針でしたっけ?)、といった事が発表されました。

 ちょっと記憶が曖昧な所はあるのですが……大方はこんな感じだったと思います。

 今にして思えば、どうもこの時点で結末が見えていたような気がします……
 連盟のやり方は、スタート地点から間違っていたように思います。

 当初、連盟は三浦九段を守ろうとしていたのだと思います。
 しかし全然守れていなかった、と思います。
 スポンサーに対する信用問題も発生させ、余計に世間の注目を集めてしまいました。

 その全ての原因は「ソフト使用不正の疑い」という発表をした事にあります。

 これは三浦九段一人の問題では済まない事でした。
 ソフトが強くなった今、これは常に起こり得る問題、絶対にぬぐい去る事の出来ない問題。
 誰にでも有り得る事であり、疑い出せばキリのない問題です。

 三浦九段のようなトップ棋士にこのような疑惑が生じた事自体が非常にショッキングでした。このような不正は「底辺棋士のやるような事だ」というのが棋界雀の噂するような考え方ですが。いずれにせよ「あいつもやってる」だとか笑い事では済ませられない問題です。カンニングして指すような将棋でどうして対局料をもらう事が出来るのでしょうか?

 まあ他の世界でも八百長問題だとか、どうしても防ぎようのない不正まがいの出来事はありますが。

 とにかく「ソフトによる不正」という言葉を出してしまっては、もはやそれ以降の噂の広がりを止める事は出来ません。
 これではいくら連盟が寛大な措置を施したつもりでも、三浦九段があらゆる方面から疑いの目を向けられるのは必定でした。

 連盟としては竜王戦7番勝負の開幕を直前にしての焦りがあったのでしょう。疑いが晴れない限りは挑戦者の交代を前提としていた。そして強引に話を持っていった。

 だけど、不正防止策を完璧に施せば問題はなかったように思います。逆にそれが出来ないようではおかしいと思います。

 連盟が本気で三浦九段を守るのだったら、「ソフト不正の疑い」の発表をしなければよかったのです。ソフトのソの字も出してはいけない。あんな発表をしたから誰もが知る問題となった。あの発表がなければ、誰も知らなかったのです。
 体調不良だとか、別の理由を付ければよかったのです。

 逆に「ソフト」という言葉を出すからには、これはもう本気で三浦九段を追放、除名処分にするくらいの覚悟が必要でした。

 勿論、完全に黒としての証拠を掴んだ上でです。
 これは当然です。

 人一人の人生がかかっている事です。
 心を鬼にしての本気の勝負です。本当に黒の言い逃れの出来ない完全な証拠を掴んでから処分をしなくてはなりません。
(もしそうしていたら、結果はどうなっていたか……それは分かりません)

 ソフトという言葉を出さない、出すからには厳格な処分、この二択しかなかったと思います。

 ところが連盟のやり方は中途半端かつ余計な発表をしてしまいました。
 (ソフト不正の疑いがあったため)休場届を出すよう求めて、(急な期限を設けて)期限が過ぎた、だから(竜王戦に出させないため)年内出場停止。

 これで世の中の人々が納得すると思ったのでしょうか?
 これでほとぼりが冷めるまで待つつもりだったのでしょうが、全くもって甘い目論見でした。

 三浦九段やその周囲には好奇の目が、本気の非難が向けられる。守るどころか、大変な目に遭わせてしまいました。これでは三浦九段も反撃せざるを得ないでしょう。

 連盟としては三浦九段との意思の疎通が上手くいっていなかったように思います。丸く治めるつもりが、思わぬ反撃を受けてしまった、という感じではないでしょうか。
 こうして妙な対立の図式が生まれたのだと思います。

 この話は、特に以下の話には一部の噂と僕の推測を混ぜたものが含まれます。100%正しいものとは限りません。

 ……書いてる時間がなくなったので、続きは後日にしたいと思います。






Last updated  2017.02.18 09:29:17
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2016.07.21
カテゴリ:その他
 あまり多くを語るつもりはありませんが、一言二言をチクチクと……

 最初に見た時は参加表明している棋士が少人数で、その中に森内九段や郷田王将がいて「これは凄い」と思ったのですが、結局は156人が参加して出ない方を紹介した方(4人)が一瞬で終わるという状態に。

 谷川会長がソフトの実力は「プロ中位」と言いましたが、今となってはそんな事を言っていられないでしょう。しかし果たして棋士全員の意識はどうなっているのか。
 棋士全員の連盟としての総意はどうなのか。またそれぞれ個人として棋士の認識はどうなっているのか。

 山崎八段は「いい経験をした」と言っています。確かにそうなのでしょう。それで本人が納得し満足しているならそれはそれでいいのだとは思います。

 ただ山崎八段は確かに強い棋士ですが、ソフトへの耐性という点ではかなり遅れている印象でした。準優勝の郷田王将にしてもソフトとはあまり縁が深い印象はありません。ただ個人的には郷田王将との2番勝負を見てみたかったです。

 山崎八段の対応はあまりにも遅れていたように思います。

 そしてこうした矢面に立つ事になった原因というは何でしょうか? 優勝したから?
 たまたま優勝してしまったから?

 いや、そもそも叡王戦にエントリーしたからでしょう。

 ソフトとの対局する意思はあるか? との質問に対して散々言葉を濁していた某ベテラン棋士が何食わぬ顔で出場していた。
 こういう事が不思議でしょうがないのです。

 ソフトと戦う気のない人がどうして叡王戦に出るのか?

「俺が優勝して、ソフトを倒してやる!」

 そんな気概のある人にしか出て欲しくはなかった、というのが個人的な見解です。

 若手棋士に関しては、1局でも多く指すべきだと思うので選択の余地はないとは思いますが、多くのベテラン棋士には遠慮して欲しかったです。

 ソフトに耐性があろうと、対策を練ろうと、それで勝てるというものではありませんが、少なくともそれなりにハッキリと考えを持っていて覚悟の出来ている人以外は出るべきではないと思うのです。

 新棋戦なのだから、参加費を取る、という形にも出来ると思います。

 結局は対局料欲しさ、目立ちたさが目的で出ている人が大多数というように見えます。
 そうした長年染み付いた将棋界の体質が醜く、見苦しく見えてしまいます。

 人間が、プロがコンピューターに挑戦する立場、それが全体の総意ならそれでいいとは思いますが、出場する棋士にはこの棋戦の意味をよく考えてもらいたいと思います。






Last updated  2016.07.21 15:14:44
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2016.07.07
カテゴリ:その他
今期の「第59期奨励会三段リーグ」はマニア筋ではかなり注目度が高いかと思います。

 その理由は(マニア筋では)言うまでもなく、里見香奈・西山朋佳・藤井聡太の3人がいるからです。

 女性2人に最年少棋士の記録がかかった少年。

 女性2人は出だし好調でしたが、現状は順位の関係から見てもちょっと厳しい状況、藤井三段は現在暫定2位となっています。

 まだリーグは半分を少し過ぎた程度で、この時点では何とも言えない状況ですが、このままいけば本当に史上最年少棋士の誕生です。

 慶田義法三段が現在1位ですが順位が厳しい、1勝差に多数いて誰が上がってもおかしくない状況。敢えて予想するなら前期次点の大橋貴洸三段が有力ではないかと見ています。

 反面、下位の成績の人達を見ていると「寒い……」と思ってしまう。胃が痛くなるようなリーグ表だなと思います。






Last updated  2017.07.24 01:05:48
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2014.06.08
カテゴリ:その他
 どうも下に見苦しいのがずっと表示されたままなので……上手く修正するか補足したいと思いながら、ずっとそのままになっています。
 とにかく人生観の違いというのはどうしようもないような気がします。

 電王戦について、わざわざ書くほどでもないとは思いますが一言二言書いてみます。

 あから戦からの一連の流れは、連盟がわざわざ負けるように負けるように人選をしているように思えてなりません。将棋用語で言う、お手伝いです。

 女流棋士で食い止めておけばその後が長持ちするという考えだったのでしょうが、まあ結果は周知の通りです……一連の選択はコンピューターの進歩というものを甘く見た大悪手でした。

 勝負とは死に物狂いで勝ちに行くべきものではないのでしょうか? どうも団体戦のメンバーの人選には妙な遊び心を感じてしまいます。

 本当に正真正銘の人類の代表メンバー、タイトルホルダーを出すとかとなると、それはそれで問題はあるでしょうが、そういうものを避けるにしても本気で死に物狂いで勝ちに行く人選というものはあったと思います。

 棋士仲間からも今回のルールは勝って当たり前のお情けルールと言われていて、それでこの完敗です。今後はこのルールが最低条件で更にハンディを増やす事になるのでしょうか? まあ次があるかどうかもわかりませんが。

 恐らく「情熱大陸」は戦前は人間が勝つ事を前提としていたのではないでしょうか? 予想外の展開のため準備期間の関係であのような中途半端な内容となったのでしょう。






Last updated  2014.06.08 12:43:37
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2013.08.02
カテゴリ:その他
 軍人将棋で思い出した事があったので書いておきます。

 軍旗は動けない駒であり後ろの駒と同じ強さになるので、軍旗の位置とその後ろの駒が何であるかを審判は把握しておかないといけません。

 でないと、駒がぶつかってそれを見る時に初めて軍旗である事が分かったのでは、次いで後ろの駒も確認しないといけないので、それが軍旗である事がバレてしまいます。

 なので審判は双方の軍旗の位置を知っておく必要があります。

 開始前に対局者は軍旗の位置を申告します。一方が教えている間、もう一方はあちらを向いています。
 当然ながら後ろの駒も把握しておきます。

 こうして軍旗を把握しておき、尚且つ、軍旗に突っ込んで戦闘になった時には、見なくても事前に軍旗と分かっていて結果も分かっていますがそれを敢えて知らないフリをして駒を見て確認する、「これは軍旗じゃないんだ」と無言でアピールする『演技』も必要です。

 軍旗の後ろに置く駒は地雷が一番人気でしたが、それは100%ではなく、当然後ろの駒が入れ替わるという状況も生まれます。

 そうなるとその代わった駒が何であるかを軍旗の所で戦闘が起きる前に把握しておく必要がありますが、代わる度に確認したりしていてはやはり軍旗の位置がバレてしまうので、普段から関係ない位置の駒もちょくちょく見たりしておく事も必要です。

 今思い付いた事ですが、軍旗の後ろが地雷であれば動かないので有難いのですが、だけどそれで安心して時々他を確認する『演技』を怠っていては「相手の軍旗の後ろは地雷じゃないのか?」と悟られる可能性がありますね。
 従って、地雷の場合でも時々周りの駒をめくって見ておくべきです。

 当時はそこまで考えていなかったような気がします。

 まあ前回書いたように、上達のためには強い人とやる事が大事なのは何でも同じですね。ネット軍人将棋なんてあるのでしょうか?

 将棋の場合はネット将棋があるので自分より強い対戦相手には事欠きません。

 まさか「そこ(ネット)でも一番強くなったらどうするの?」などという屁理屈を言う人がいるとは思いませんが。

 勝手な想像に勝手に自分でマジレスするなら「そこまで強くなった人なら(そこまで行かなくても)すでに自分の考えを持っている筈だから何の心配も要らない」となります。
 そんな実力者には是非とも電王戦に出てもらわなくてはなりません。






Last updated  2013.08.03 22:33:35
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2013.07.31
カテゴリ:その他
 以前に書いたように思いますが、僕のオセロの生涯勝率は9割を超えていると思います。それに比べると将棋の勝率は恐ろしく低いかと思われます。

 だけど、将棋の方がよっぽど強いと思うし、オセロに比べれば技術的にも何もかもしっかりしているでしょう。

 結局の所は友達とか家族とかレベルの低い人とばかりやっていただけに過ぎない話です。

 さて軍人将棋の方はどうだったのか? 軍人将棋というとひょっとして知らない人もいるかも知れませんが(某漫画によると、生産されたのはごく限られた時期だったとか?! 詳しい事は知りませんが)、まあ話を進めたいと思います。

 主にミサイルと原爆の入ったのと、そうでないやつと2種類だったように思います……まあ記憶だけで進めて行きます。

 原爆入りのやつは、先手があまりにも有利でバランスを欠いていたように思いますので、入ってない方を中心に考えていきます。

 この軍人将棋の方は、勝率はちょっと落ちたような気もしますが、それでも将棋よりは高いでしょう。まあオセロ同様に強い相手とやってなかっただけなのですが。
 プレイしていたのは小学校~高校の頃で、中学の時が一番熱が入っていたかも知れません。

 ある時期に「コツをつかんだ」と感じてからは殆ど負けた記憶がありません。無敗だったかも知れません。ただ、それからはやる機会が段々と少なくなっていったのですが。

 当時どのように考え、どんな作戦を立てていたか、思い出せる範囲で書いてみます。

 このゲームは1対1の2人用なのですが、駒が重なった時にどっちが勝ったかを判定する審判が必要で、3人いないと出来ないのが特徴です。

 審判が下手だと面白くないというか、都合が悪いですね。何が何に勝つかを完全に把握していないと、「ええと……」という具合にいちいち判定の表を確認したりして、テンポは悪いし、その目の動きとか仕草とかで、どの駒がぶかったのが分かってしまったりします。

 ヒコーキの動きに関しては、どんなルールだったか、今をもっても自信の無い部分があります。敵陣のどこにでも行けるとか(司令部を除く)、自陣でもそうだとか、工兵と同じだとか諸説があったような気がします。

(タンクも縦にどこまでも行ける、とか2マスまで、とか曖昧だったような……?)

 僕自身はある時期から「どこでも行ける説」は否定していたというか、周りに流される部分もありながら、正しいルールへの対応を意識していたような……

 まあそれで、ヒコーキに近い機動力のある工兵(たしかそうだったと思います)を動かす時に、「ヒューン」だか「ブーン」だか、ヒコーキと思わせるような効果音を口で言いながら、空を飛んで来たかのように持ち上げて実際は真っ直ぐに移動させる、というくだらないフェイントをかけた事もありました。

 単なる小細工ですね。それは分かっていたから、冗談程度にやっていたし、相手のそういうフェイントには絶対に引っ掛からないぞという意識でやっていました。

 とにかく、自分の配置は覚えているのは言うまでもなく、相手のどの駒が動いたか、どの駒がどの駒に勝ったか負けたか、それらを全て記憶しておくのは当たり前だと思っていました。
 当時はその記憶力には絶対の自信がありました。

 どの駒がまだ動いていないか、その情報によって地雷や軍旗がどこにあるのか目星がつきます。
 勿論、相手が動かすフリをしたけど、実際はまだ動いていない、といった事も逐一覚えていました。

 どれがどれに勝ったか、それによる相手の反応などもインプットしていました。「今、結構大事な駒を取ったかな?」という具合に。相手の方もその駒が何と何の可能性があるかという事を掴んでいるものと想定していました。例え実際には覚えていなかったとしても、分かっているものとして警戒しました。

 僕がよくとった作戦は中将の後ろにスパイを置く、というものでした。反対側には大将を置いていました。
 そして積極的に使うのは中将の方です。

 中将が負ければ、その相手は大将しか有り得ません。だからその駒を覚えておいて、必ずスパイで取る。

 相手はこちらの中将が死んだ事は知らない。何を取られても、決して慌てず表情には出しません。そして、こちらは相手の大将を完璧に把握している。

 スパイ自身は弱いから、タイミングを見計らうというか、大将の周りの駒の配置が問題ですから、とにかくひたすら何食わぬ顔で続けていて、チャンスを見付けてトドメを刺す訳です。

(もしも万が一、駒の配置を摩り替える、などというインチキをやる人がいたら(まあいなかったですが)、「この駒を取った駒はこう動いた筈だ。それがここにあるのはおかしい!」と指摘するつもりでした)

 中将が相打ちになった場合は、今度は少将が代わりを務めて前線に繰り出す訳です。

 地雷を確かめたりといった風に、弱い駒の使い方も大事でした。
 軍旗は地雷とコンビにする事も多かったですが、その時の気分では違った駒との組み合わせもやりました。毎回同じ事をやっていたのではバレバレであるし、それしか出来ないというのが癪な気がしていたというか、柔軟性というものを意識していたように思います。

 とにかく全て記憶しておく事と、こちらの動きや損害を決して悟られない、という点がポイントでした。

 同じような考えの相手が現れれば、更に工夫が必要になった訳でそこから進歩が生まれるのですが、結局は連戦連勝でそういうレベルで終わってしまいました。






Last updated  2013.08.01 18:04:08
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2013.05.16
カテゴリ:その他
夢枕獏さんの「風果つる街」の最初の話「銀狐」だけを読みました。他はまだ読んでいません。

その「銀狐」には大道詰将棋が出てきます。
しかしどうも出題されている詰将棋がやたらと手数が長いのです。

1つ目は簡単だったらしい。2つ目が41手詰らしい。「詰め方の21手目で詰んだ」という言い方をしています。

これには不正解の場合に「1手100円」とられる、という事情が関係しているのでしょうがこの表現の仕方にはどうも違和感があります。

大道詰将棋は噂だけで直に見た事はありませんが、1回いくら、と思わせておいて、上の方に小さく「1手」と書いてあって、お客が不正解の後に払おうとした時に初めて1手いくらだったのかを知らされる……そういうものだと認識していましたが、この場合はギャラリーも最初から分かっている様子でした。

3つ目は57手詰でした。

そこで一般人にちょっと毛の生えた客は詰ませられずに断念する。そして真打の真剣師が登場する……という話ですが、最初のカモでも41手詰を解くというのは大したものです。

4つ目は45手詰。あっさり解かれて、強敵の出現に大道棋屋の方がムキになってどんどん難しいのを出して行きます。

5つ目が169手詰、6つ目が213手詰、最後が525手詰でした。

最初は詰めたら千円払うという商売をしていたのが、大道棋屋の方から「1500円だ」「一万円だ」「3万」……と熱くなってエスカレートして行きます。とてもこの道のプロとは思えません。

詰将棋の中身も、持駒桂で最後まで使わず仕舞いの169手、213手の煙詰、盤上の駒が2枚以上減る事がなく詰上がりも初形と同じ駒数の525手。

色々と突っ込み所のある話だと思いました。






Last updated  2013.05.16 09:03:08
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2013.04.23
カテゴリ:その他
前回の補足ですがプロの修行は少年に限らす少女もしていますね。毎度の事ですがどうにも穴だらけの文章です。

人間の指す将棋にはドラマがある。間違えるからこそ面白い。
確かにその通りだと思います。

ただ速い速度で走るだけなら車やバイクを使えばいい、しかし陸上競技はなくならない。計算機が計算が速いのは当たり前、しかし暗算の達人の存在の価値がなくなる訳ではない。

この類の事は以前からいくらでも言われてきている事です。

しかし将棋はどうなるのでしょうか?

前回書いた通りプロの技術を人間が身につける事は今迄通りに難しく誰にでも出来る事ではありません。また血の通った人間同士の指す将棋だからこその面白さというものがあります。

計算機を使えば簡単に出来る計算でも、人間が自力でやるからこその価値というものもあります。

将棋に関しても、PCを使うなんてインチキだ、カンニングだ、卑怯だ、それじゃつまらない、単に答えを知りたいならそうすればいいだろう、という事になるのでしょう。

しかし以前の将棋ソフトはそんなに強くなかった訳で、そこまで進歩したという事が大きなショックであり、まだ完全に全ての人の共通認識となっていないところです。

詰将棋の世界では創作に際してソフトを用いて検討するという使い方はとっくの昔に定着している事です。あまりにも便利になり過ぎたが故に「21世紀は1人の大家も生まないのではないだろうか……」と心配する人もいました。

将棋ソフトの弱さを揶揄する人も大勢いたし、プロ棋士でソフトの開発に情熱を傾けた人に対して「無駄な事をやっているね」と馬鹿にしていた人達もいました。「永遠にプロが負ける事はない」とまで言い切っていた人もいました。

今となってはそんな事を言う人はいないだろうし、言えば笑われるだけです。

とにかく頭を切り替えるしかありません。今後は将棋の勉強方法にも影響を与えるでしょう。
単なる終盤力の強さだけではなく、将棋の作り方や考え方という点においても、ソフトの将棋を見る事によって新しいものが生まれつつあるように思います。

チェスではルーク2枚対クイーン1枚になった場合は引き分けというのが定説だったのがソフトの登場によってクイーン勝ちに変わったそうですが、そういった事が将棋においても起こるような気がします。

何よりも心配なのはプロ棋界の存続である訳ですが……






Last updated  2013.04.23 21:22:14
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