昨日、母とお墓参りに行った。
先週の地震でのびのびになっていたお彼岸のお墓参り。
うちのお墓は、地震で玄海島の次に被害の大きかった区域、糸島半島。
お墓に行く途中、今は誰も住んでいない母の実家へ行った。
祖父母が亡くなり、跡を継いだ母の弟(私からはおじさん)も亡くなり、
おじさんの長男は跡継ぎを拒否し、どこかの家の養子に入って結婚。
今は誰も住んでいない。
兄が幼稚園に上がる前まで、祖父母と両親と兄と私で暮らした家。
週末にはいつも泊まりに行っていた。
夏、冬、春の長期休みにはいつも泊まりに行った。
その家は、私が去年帰国した時にはもう誰も住んでいない状態になっていた。
おじさんは私が留学中に亡くなり、葬式にも出席できなかった。
誰も住んでいない家は、廃墟と化し、
そして今度の地震で更に状態は荒れ果てた姿に。
『もう壊すしかない』と母がつぶやいた。
心が痛んだ。
でも何もしてやれない。
代わりにそこに住んでやることも出来ない。
自分の無力さを感じた。
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お墓に到着する前、たくさんの壊れている家を見た。
母は『ああ、あそこは幼馴染の家だ。あそこも壊れてる』と。
うちのお墓は無事だった。
幸い、墓石等は倒れてなかったが、
微妙にずれていたので、修理が必要であろう。
周囲を見渡すと、倒れた灯篭などが見えた。
『大変な地震だったんだ』と思う。
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帰り道、親戚の家に寄った。
私の顔を見るなり、おばさんに『親不孝者』と呼ばれた。
意味は分かる。
だけどどうすればいいんだろう?
このままずっと親元を離れずに居ろってこと?
私が平気だとでも?
平気なわけないじゃん
私は思う。
母も叔母さんも知らない。
私がどれだけ苦しんだか。
何度話そうとしても聞いてくれない母。
知らないと分かっているから話そうとしているのに。
私が今生きているのは、きっと母とアフロケンのおかげ。
辛いことがあった。
アメリカに居た時、一人アパートで何度も自分の左手首を眺めては、
『ここを切ってしまえば楽になれる』と思ったことか。
夜中に『死ぬかも...』とアフロケンに何度も電話した。
その度に、心配そうな顔で飛んできてくれた。
私が泣くと、『君が泣くと僕も悲しい』と一緒に泣いてくれた。
うつ状態になり、眠れない夜が続いた。
夜になると、毎日泣いてた。
死のうとして、アスピリンを40錠ほどまとめて飲んだこともあった。
そのうち、自分の中で幻想を作り、話しかけたりした。
彼はそういう私の異常な姿におびえた。
私が苦しむ原因を作ったのは、彼だったけど、
『僕も君と一緒に苦しむから』といつも一緒に居てくれた。
私を苦しめた彼を恨んでいるけど、
同時に私はいつも一緒に居てくれたことを感謝している。
私があの時一人になっていたら、きっと私は今生きていない。
私は、結局死ねなかった。
私が死んだら、私以上に苦しむ人たちが居ると分かっていたから。
『親孝行と命』、どちらが大切か、よく分からない。
今一番私の心を軽くしてくれるのは彼だ。
さっきも彼から電話。
いつものノー天気な調子で、『今何してるの~?eBayの調子は~?』と。
いろんな重たい気持ちから一瞬だけど、解放された。
それは悪いことなのだろうか?