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ルナ・ワールド

ルナ・ワールド

日本語ネイティブ??

<日本語ネイティブ??> 

ものごころついた時からついて回ったあの気持ち。

「わたし、日本人なのに。どうして日本人じゃないって言われるの?」

今でもたまにはあるのは、誰でもするような簡単な文法ミスでも
「ああ~、やっぱり・・・」としたり顔で言われたり、
「やっぱりね」という態度を取られたりすること。

逆にもっと多いのは、私のほうが日本語や日本文化に関する知識があるからと、「かぐやより知らないなんて恥ずかしい。私のほうが教えていけなきゃいけない立場にあるのに」と言われること。

そこまで屈辱的に感じるのは私のプライドが高いせいもあるだろうが、これが一番頭にくる。
それこそカッと頭に血が上るのがわかり、頬が上気してくる。

初めてそういうことを言われたときは困惑しただけだった。
「どうしてそういうことを言われなきゃならないんだろう?」と。
同じ日本語を話す、日本に住む人として、まさか親の文化・国籍・見かけが違うというだけで、そこまで線をひかれると思わなかった。ひとつには幼なじみたちの間では、そこまで線引きをされたことがなかったからだった。

小学校では、何かわからないところがあれば、漢字だろうが、算数だろうがお互い聞き合うのが当たり前で、「かぐやには国語や漢字の質問はできない」なんて避けられたこともなかったし、誰かの漢字の間違いを指摘したときにも「まさか(日本人でもない)かぐやに指摘されるなんて・・・」という言われ方も反応もされたことがなかった。

それが中学校にあがったとたん、「どうしてハーフのくせにそんなに国語ができるの」「英語はできて当たり前」という線引き。最初は当惑したとしか言いようがない。得意教科が主要三教科(国語・英語・数学)に固まっていたことも状況をひどくさせた要因かも知れない。

それがほかの場面での見ず知らずの他人に「日本語お上手ね」と言われる意識と結びついたときに、どう形容したらいいか・・・



暗い、底のないところに落ちていくような脱力感を覚えた。

そうか、私はこういう顔をしているから日本語が話せないはず、と期待されているのか。

後々には、逆に私のほうが日本語や日本の伝統文化に通じているところを見せると相手は「日本人としてのプライド」を傷つけられたような気分になるのだな、とまで考えるようになった。

ごくたまにだが、私の日本語に「微妙なアクセントがあるようだ」と言って譲らない人もいる。そういう人は私の日本語に不自然なところがないのに納得できなくてどこか「不自然なところ」を見つけ出そうとしてるようにしか思えない。

英語のアクセントは「パーフェクトだ」と言われるのとは全く対照的で面白い。不自然なアクセントがあるとすれば、子供のころからの使用頻度も少なく、使用範囲もずっと狭かった英語のほうに決まってるからだ。

日本語を習ってる人が、理解されるだけの力量はあるのに「ネイティブ並みの発音」ができるまではまだまだ、と言って努力する姿を励まさない私の態度もここから来ている。

どうせ「ネイティブ並み」の発音に限りなく近づいたって「ネイティブ扱い」されないことはわかってるのだったら、「正しい」アクセントを追うのはそこらへんでやめとけ、どうせ本当に日本語がネイティブの私にだって「やっぱり微妙にどこか違う」と言う人がいっぱいいるようなところなんだから、周りの判断基準に合わせた「ネイティブ並みの」発音を追いかけるのではなくて、もっと自己満足できるような日本語や日本文化との関係を持ったほうがいい、と思ってしまうのだ。

2005年2月13日アップ。


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