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2005年02月13日
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カテゴリ:できごと


最近、篠田節子氏の『絹の変容』と『インコは戻ってきたか』と短編集『レクイエム』を読んだ。

あっ、最近と言っても『インコは戻ってきたか』以外は1月に読んだのだけど。

『絹の変容』は父曰く、「救いようのない話だな。厳しすぎる・・・」と。私は「そ?篠田節子らしい、最後まで安易な結末を許さない終わり方」と思っただけだったけど。しっかし、彼女は生粋のホラー作家ね。社会派モンスター・パニック小説家とも呼ばれるけれど、その本領が発揮されてる作品。

『レクイエム』は本当に切なくなる話がいっぱいで・・・・、
実は細かいことは全然覚えてない。ただ、代表作(だったと思う)に出てくる戦時中の日本の話が妙に現実味を帯びてて、史実よりも現実味あふれる、「虚構(フィクション)を通じて、現実をあぶりだす」パワーのある作り話の強さを一番色濃く出してる作品のような感じがした。

『インコは戻ってきたか』は今日読み終えたばっかりだったけど、なんか安心した。キプロス島を舞台とした内戦や地域紛争に関しての社会派小説だったんだけど、素晴らしかったと思う。全然私が恐れていたような安易な結論に至っていなかった。

篠田氏の頭の切れや観察力は最初から尊敬していたのだけど、日本ではそういう人でも「戦争」と名のつくものには突然「善悪ははっきりしている」という立場を取る人が多いので、篠田氏もその口かもしれない、と思って恐かった。

でも、あの『インコは戻ってきたか』を読んで、篠田氏本人はどうか知らないけれど、少なくとも、あの小説を通して送ってきたメッセージはそんなに簡単に割り切れたものでなくてとても安心した。「外」から見れば、簡単な問題に見えるものでも、本当にいろんな要素が絡まって、それがいろんなふうに利用されて、「当事者」同士が辛くて身動きの非常に取れにくい結果になっている、ということを書いていた。これをここまで書き込むのに、どれだけ取材をしたのだろうか、と思うと同時に、取材だけではわからない部分を本当によくここまで把握して書き込めたな、と感心するばかり。

それとやっぱり篠田氏の作品で抜かせないのはあの、女性の「自分探し」の部分。好きです、やっぱ。元気が出ます。「強い女」がいいって、いいなぁ~。女がこびなくていい世界っていいなぁ。

フィクションのホラーものは「救いようのない」ものを書くかもしれないけれど、社会派ものは逆に最後に希望を持たせる書き方をする篠田氏。そういうところにも厳しいなりの暖かいまなざしが見えて好きなんです。現実が甘くないことは伝えてるけど、同時に希望も持たせてくれてる。う~~ん、いいわぁ~~。

さて、表題の谷崎潤一郎著『陰翳礼讃』ですが、なかなか面白かった。
やっぱり谷崎の文章はきれいでいいわ。

そしてこれを読んでて何度もつぶやいたせりふ。「わかるぅ~~」

・・・まずいと思った。

『陰翳礼讃』って、まあ、いろいろ言われてるんだけど、ようは谷崎の「わたしはこれが好き。日本はこういうところだと思う。日本人はこういう人たちであると思う。日本のいいとこは・・・」って言うエッセイみたいなものなんだけど、描写や説明がとにかく微に入り細に入り、延々と続いたりする。羊羹を食べたときの描写が1~2ページぐらいにわたってるわけよ。それを見て、「ああ~~、わかるぅ~~」と思ってしまった。

そう、そういうことを延々と話せちゃう、ワタシも。そこまできれいに描写できる、とかそういうことではなくて、それぐらい「羊羹を食べる」と言う行為自体に関して言うことが見つかってしまうのね。

気づくことが細かいのね、彼は。でも私も人が気づかないような細かいことに気づいてしまう性癖があるわけよ。そこでまた「わかるぅ~」となっちゃう。でも、こうやって自分に似た性癖を他人に認めてしまうと、「ああ、こんなにいろんなことに気づいて、人生疲れるんじゃないだろか」って思う。

2年近く前にひょんなことで知り合った占いのおばあさんに「あなたの将来はどんどん大変になるでしょう」と予言されたことがあるが(基本的に言葉の通じない相手だったので、幸か不幸か、情報はそれと「運命の相手には来る6ヶ月から1年以内に会う」と言うこと以外はわからなかったんだけど。)それをAに話したら、「かぐやぐらい敏感な人は、そりゃあ、予言されなくたって、人生どんどん辛くなるなんて、当然わかりそうなものだよなぁ」と言われたようが、確かにそうだろうなぁ、と妙に納得してしまった。

いや、よくない、よくないぞ。

それなりに自分を鍛錬しようとしてるのだよ、これでも。感じやすい心をもう少しタフにするために。生きていくために必要な術なので。

で、また谷崎に戻るけど、う~~~ん、ワタシ、物書きでないくせに、物書き的な性格をしてるようで、どうもねぇ~~~~。

「物書き的な性格」ってさ、別に物書きだけがなるわけでなくて、逆に物書きだとそう、ってものでもないんだよね。でもさ、やっぱり自分的にイメージしてる芸術肌系物書き的性格をしてる人はあまり幸せになれないような気がする。だから嫌で・・・。でも自分はやっぱりその気がある・・・、ってことをなんとなく『陰翳礼讃』を読んで思ってしまって・・・。

やっぱり谷崎のきれいな文章は読むのが好きなので、それだけでも良かったのだけど、あまり自分のそういう部分は知りたくなかったかな、と読後感がちょっと複雑でした。








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最終更新日  2005年02月13日 21時09分18秒
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