|
カテゴリ:できごと
この間、ここ何年かの知人のお家にご飯を食べに行った。
この人、すごく面白い50代のおばさん。 とにかく知識も豊富で 話題に事欠かないし けっこう思ったことをずばずば言うから 私はある意味で楽でもある。 この日お呼ばれされたのは私、A、おばさんの古い友人夫婦(私も知り合い)。 おばさんのアパートに入っていくと ちょうどアパートの管理人さんがいたので そこで私たちをみんな紹介。 ほかの人たちは名前だけ。 私のことは名前を言った後に 「この子ね、半分日本人なのよ!!」 と嬉々として紹介する。 するとすかさず友人夫婦が 「それを言ったら、私たちもカナディアン・アメリカンだわ」 と横から言う。 なんだか私の「外人さ」をアピールしてるのが気になったらしい。 うまくかわしてくれて嬉しかった。 誰かが不適切なことを言っても 周りの誰かがちゃんとそれをフォローしてくれるから 嬉しい。 ****** 日本では自分以外では 旧知の友人しか私のこういう立場を守ってくれる人がいない。 だから私が何も言わなくてもこういうふうにフォローしてくれる 旧知の友人としか会いたくなくなる。 でも、自分の立場をはっきり主張するからって 私と同意見・同見解でない人とは付き合えない と思われても心外。 そんな基準で友人選んでたら、 友人なんて一人もできなかっただろうし。 私にだって至らないところは十分あるし、 相手にだってそういうところがあるのは当たり前だし 初対面の人にそこまで期待はしてないつもりなのですが。 ****** 「普通」でなくていい、 「普通」でありたくない、 と言えるのは 本当に「普通」の枠に当てはまらない人が 悩んで悩んで悩みぬいて得た結果か 「普通」に思わず当てはまっちゃう人が 「つまんなぁ~い」と駄々をこねて たどりついた場合かと。 後者の人に 「いいじゃん、普通じゃないなんて。 普通なんてつまんないよ。」 と言われるとイラッとすることがある。 「(何か突出したものが欲しいのに)普通すぎて・・・」 という悩みも切実なものだと 頭ではわかっていても そんな、いとも簡単に 「普通でなかったこと」が「良いこと」みたいな図式を立てられて その裏にあった苦悩を無視されたような気になる。 それは向こうも同じ気持ちなのかもしれないけどね。 プチッ! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
|