ルナ・ワールド

2007/06/27(水)21:18

「国際」は「国」がはっきりしていないと成り立たない

考えちゃうこと(126)

「国際交流」 「国際理解」 「国際」何たら と言うものに非常に強い猜疑心を持っている。 その根は、ある「国際学校」に行った時に由来する。 ことあるごとに「日本人に見えないね」と言われて育った私は 17の夏、(インターナショナルスクールではない) 「各国の若者を集めた、しっかり根付く国際交流」を目指した 「国際学校」に行けばそんな言動から逃れ、 自由に自分でいられるパラダイスに行けるものだと思っていた。 結果は、大間違いだった。 何かと言うと 私の日本人性は、 日本人にも、日本人でない人―特に他のアジア人―にも疑われた。 一人ひとりが 本国のミニ大使である場において 私はどこをも代表しない(させてもらえない)存在だった。 自然に個人になれるなんてうらやましい、と思われるかもしれない。 それもひとつの見方かもしれないが、 「自国」を持てない、 「自国」を持つ選択肢を最初から与えられてない、 と言うのが私の実感だ。 本当に国「際」の産物の人は 「国際的でうらやましい」と言われるけれども それ以外の場所に身の置きようがない。 うらやましいもへったくれもない。 「ハーフなんてかっこいい!!」 なんて能天気なことを言ってる人には 自分がそうだと実感して言っていること(=「日本人です」)を 物心つくころから 赤の他人に否定されて育ってごらん、 と言いたくなる。 「かっこいい」なんて言うのだったら ちゃんと私の今いるところに 私の居場所を作ってから言ってください。 私をどこかに追い出して それから遠くから見つめて 「かっこいい!!」はあなたの自己満足です。 やめてください。 「ハーフ」なんて国も地域もないから。 「どこの人ですか」って聞くのだったら 「ハーフです」って答えを期待するのはやめましょうよ。 だから「国際」的な場は嫌いです。 自分の属する「国」の典型を体現していないと、みんな納得しないから。

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