220152 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

ルナ・ワールド

ルナ・ワールド

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

プロフィール

月野 かぐや

月野 かぐや

お気に入りブログ

hIMAGINE マオフイさん
韓国ソウル!文家の掟 shaquillさん
シングル母のアメリ… さく408さん
じゅうにひとえドッ… じゅうにひとえさん

コメント新着

コメントに書き込みはありません。

フリーページ

カレンダー

2007年09月25日
XML
カテゴリ:考えちゃうこと
自分はいろんな点でマイノリティ性を持ち過ぎちゃってて
似非ベジタリアンであることもそうなのだけど
それゆえ、いつもいつも自分を説明・弁護しなきゃいけないので
アピールしたいことについて以外は
一応沈黙を守り通すのを常としている。

ところが、ここ何ヶ月かで
いろんな人のブログやら日記やらミクシィコミュニティ内で
さまざまな食生活形態に関していろいろと書いた人たちがいて
それについたコメントなども見て
思ったところもふんだんにある。

というわけで、
それについて
ちょっと思ったことをまとめてみた。

まずは、
もし肉食をしなければ生きていけないところにいる人間も菜食であるべきだと思うのか
って点。

全然思わないわ、そんなこと。
人間、雑食ですわ。
本来なら肉は少量摂ったほうが体にもいいとは思う。
ただし、現代の先進国の大多数の人が食べているように
ほぼ毎日は食べすぎだと思う。
多分適量は1週間に200~300グラム程度でしょう。
または月に1~2回くらいたっぷりと。
ところが、現代の先進国では、中流層以上の人なら
肉を食べなくても十分に健康的に生きていける環境がある。
それは、肉や酒・タバコなどの嗜好品を過剰摂取しても
一応は健康的に生きていけて、
長生きまでできちゃうようなところにも端的に現れてると思う。
そういう中で、肉を全く食べずに生きると言う選択も
(私自身は卵・乳製品に加え、魚も食べる似非ですが)
一見限定的であるようで、
実はそれでも十分バラティーのある食生活ができるし
栄養も十分に摂れるので
今、ここに生きているからこそできる贅沢な選択だと思う。


次に、肉食動物のいわゆるアンチ・ベジタリアン性について。
肉食動物が、狩りをして動物を捕らえるのは残酷ではないの?
人間もそれと同じことをしていると捉えられない?
って言う発言をよく耳にしますが、
全然違うと思います。

自分で食べる肉を
自ら狩って
自ら捌いて
自ら料理し食卓に乗せること
をしてる人は
あるいは肉食動物とより近い関係にあるかもしれない。
特に、その狩りの目的が娯楽を主な目的としていない場合。

ところが、現代の先進国で売られている肉は
狩られていないだけでなく
多くの場合は、ひどい状況下で育てられ
(例えば狂牛病があんなに広まった背景には
本来は草食動物である牛のえさに
同じ牛の脳が入っていたというのもあった。)
殺され、出荷されている。

そして、それを食べる多くの人は
「自分でその牛・豚・鶏を殺してみな」
と言われても
「そんなの、気持ち悪くてできない」と
言うのではないかと思ってる。

実際、食肉処理場見学に行って
何年も肉が食べられなくなった人も知っている。

私は、もし肉を食べるとしても
殺されるその瞬間までは
のんびりと放牧され
慈しみ育てられた動物しか食べたくないと思う。
(実際、肉も食べる人であればいろいろとしたくない妥協もしなければならなくなると思うけれど。)

人間は、
肉食で、本能的に狩りをするしかできない動物でないからこそ
最初から殺す目的で
動物を育てることができる。

そして、そういう力を持っているからこそ、
それを行使するときには
それなりの責任を負わなければならないと思う。

だから、本能的に狩りをすることでしか生きていけない動物の狩猟・肉食行為を人間の肉食行為になぞらえるのはおかしいと思う。


さて、では「なんでもおいしくいただきます」
という姿勢がいいのかと言うと
これはこれで
「なんでもって言っても犬を食べるのはちょっとやりすぎでしょ・・・」とか
「ウサギを食べるのはさすがにちょっと残酷なんでは・・・」とか
言う声が聞こえてきたりする。

そういうのを聞くと
ああ、結局この人は
「自分の限度」を超えるものには
嫌悪感を持つものなのかな、と思う。

「なんでもおいしくいただくのがよろしい」
  ↓
「肉を食べなかったり、その他の食事制限があるのは単なるわがまま」
  ↓
「でも「なんでも」にも実は[発言者の]「許容範囲」が隠されている」
ということを見せ付けられると
要は、自分と違う食生活をする人が許せないだけなんじゃないか
と思えてしまう。

そうすると、まじめに相手をするのがくだらなく思えてきてしまう。


最後に蛇足だが
「宗教的理由があるなら納得できるけれど
自分で勝手に菜食になるのは単なるわがまま(=好き嫌い)なのではないか」
という意見に出会うと、
私はなんだかわけがわからなくなる。

私の菜食気味である理由のひとつには
宗教的理由もあるのだけど
それでも、個人的には
宗教的・文化的理由での菜食主義よりは
環境保護などの観点からのベジタリアンの人の理屈のほうが
私にはわかりやすいし
自分が菜食主義者でなくても
納得しやすいと思う。

なのに、イデオロギーに基づいたベジタリアンは
「好き嫌いをしてるだけでわがままな人間」というレッテルを貼られて
「宗教的・文化的理由のベジタリアン」は尊重されるべきもの?

んんん???

と思う。






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2007年09月25日 22時30分16秒
コメント(7) | コメントを書く
[考えちゃうこと] カテゴリの最新記事



© Rakuten Group, Inc.
X