テーマ:京都。(6221)
カテゴリ:旅
![]() 私は、今の大河ドラマを見ていません。 知っているのは、司馬遼太郎が書いた坂本龍馬だけ。 だから、ノベライズされた姿を追うばかりで、本当の龍馬を知りはしません。 龍馬のファンである、と豪語も出来ません。 私に出来るのは、あちこちに残るかれの足跡を僅かに辿る事だけ・・・。 ここは、酢屋。 創業280年を誇る、河原町の材木商さんです。 此処の六代目嘉兵衛さんが、龍馬と海援隊隊士を匿ったそうです。 龍馬は、ここの二階から舟入に向かってピストルの試し撃ちをし、(近くに高瀬川がある) 皆をビックリさせたと言う、やんちゃな龍馬らしい逸話が残っています。 ここは海援隊の京都本部にもなっていたそうで、 多くの志士が集ったと言います。 ![]() ここは、その酢屋から移動、龍馬が寓居とした醤油屋の近江屋があった場所。 言わずと知れた、龍馬が、盟友中岡慎太郎と切られた場所です。 (世話役だった藤吉も切られ、一日後に死亡) 龍馬は此処で額を割られて絶命します。 中岡慎太郎は、襲撃による重傷を負った数日後、命を落とします。 今は、コンビニが建っており、当時の痕跡は全くうかがえません。 ![]() 霊山護国神社へ至る道を、『維新の道』と呼びます。 霊山護国神社は、近代日本の礎を築いた人々の御霊が祀られているところです。 ![]() 左が坂本龍馬、右が中岡慎太郎の墓です。(龍馬の墓の隣に、藤吉の墓もあります) ひっきりなしに人が訪れ、皆写真を撮っています。 風葬の地、化野念仏寺へ行って、西院の河原を前にした時は、 とても、カメラを構える気になりませんでした。 それは、禍々しくは無いにしても、確かに其処に人の魂を感じ、 足元から昇ってくる空気が、 まるで、生き物のように、粘着質を帯びたもののように思えたからです。 ところが、龍馬の墓は、墓所に鳥居が建っている事を見ても分るように、 既に神化していて、全くそういう空気が無い。 ・・・まぁ、此処は、太平洋戦争で命を落とされた方を含め、73000柱が、 祭神であるとされている神社ですから、 もはや、人やその魂の存在を思うことの方が、不遜であるかもしれません。 ![]() だから、ひょっとしたら、龍馬はもう、ここにはいないのかもしれない。 墓の横に立つ木の表皮が、剥げて赤くなっているのは、 訪れる人が、それぞれの思いを抱いて撫で擦るからですね。 生きている樹に、思わず思いを託したのでしょう。 「ここへ来て分った事、俺は小さい!」 「赤ちゃんが生まれたよ、ありがとう龍馬!」 墓所の其処此処にある、そんなコメントを見ながら、 龍馬は、生きていれば何を思うのだろうと考えていました。 ![]() 龍馬さん、日本が危機的状況にあります。 見方によっては、日露戦争よりもずっと悪い状況にあります。 なのに貴方は、誰の夢枕にも立っては下さいませんか。 今の日本を・・・誰が洗濯してくれるのでしょうね。 護国神社・・・つまり、国の管理下にあると思っていましたが、 戦後は、国家の手を離れているようです。 今は何処が管理しているのか。 だからでしょうか、 急な山の斜面に立てられた墓や顕彰碑は、どれも寂しげで、 風雨に晒されて、土砂が流され、墓石が傾いたり、足場が崩れているところもありました。 此処はまた、木戸孝允の墓所もあります。 ![]() 大雲院祇園閣より墓地方面を望む 最後に、 自衛隊殉職者慰霊碑に手を合わせて、神社を後にしました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2010.09.23 11:03:14
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