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私は当尾の地に魅せられたのかもしれない。 行って後悔する事もあるのに (過去に見てくださった方は、何の事か判る方が居られるかもしれない) こうして何度も足を運ぶ理由は、やはりその土地の魅力に負うところが大きいのだろうと思う。 ・・・が、この日は、藪の中の道なき道を、さ迷い歩く羽目になった。 虫にたかられ、雨も降っていないのに、土から染み出す水で足元はずくずく。 何故私は、こんな時に踝が露になるジーンズを穿いているのか? ・・・『散策路』が、まさかの難所とは思わなかった。 正直怖い。 ・・・誰も居ない。 怖いのだが、歩みを止められない。 ・・・が、遂に行く手を湿地に阻まれ、進むことを断念。 諦めてスタート地点へ戻り、殆ど徒労に終わった午前中。 ・・・気を取り直して、手打ち蕎麦のお店でせいろを頂いたら大当たりで、 単純な私は直ぐに機嫌を良くする。 ・・・人生なんて、こんなものだ。 訪れた浄瑠璃寺で見た光景。 南北朝時代の見事な石灯籠の足許に、ちょこんと座るニャンコ。 見ているのは池だろうか、対岸の三重塔だろうか。 三重塔は「現実の苦悩を救い、目標の西方浄土へ送り出す遣送仏」である、薬師如来がおわす場所。 それを「彼岸」である池の手前から仰ぎ見る。 (本来は、三重塔のある場所から、池を挟んで本堂を見るのが正しいらしい) なんとも深遠なテーマではないか。 そう考えると、まだあどけない子猫が、とても渇仰して見えたりする。 猫を写していたら、最終バスの時間が来て、 追い立てられるようにバス停へ急いだ。 ・・・やっぱりまた来なければ、と思いながら。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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