或る日の“ことのは”2

2017/06/05(月)12:43

喧嘩

実家の母が弱っていて、しばしば様子を見に行く。 その度に、父親と喧嘩する。 年を取ってお互い丸くなったら、少しは歩み寄れるかと思いきや、 そう巧くはいかなかった。 大抵、いかに自分が日々大変な思いをしているか、頑張っているかを父は話す。 (と言っても、それをせねば一体何をするのだ、というもの) こんな理屈に合わないことがあった、などと訴える。 うんうんと聞いたり、それは違うよ、と意見したりする。 その時、かなり気を遣って遠回しに意見する訳だが、反論を受けると父は気に入らないのだ。 私は結構父から拳固を受けたり、怒鳴り声を聞いて育ったので、 今だって、父を怒らせるのはとても心理的に苦痛である。 だから、言葉を選んで慎重にものを言うのに、伝わらない。 可愛がって私を育てた、手をあげたことなど一度もない、と父は言ってのける。 一人で育ったような顔をするなと言う。 可愛がられた記憶がないわけではない。 可愛がってくれたのも事実ではあろう。 だが、しょっちゅう打たれた記憶だって消えやしない。 殺すぞ、と言われたことは夢だったのだろうか、 私は殺してみろ、と泣いたのに。 本気で記憶がないのだろうか。 それともあれは私の幻想だろうか。 それとも、父は無かったことにしたいのだろうか。 歳を取った親には須く忖度せよという事であろうか。 育ててくれた恩もあるし、感謝は忘れていないが、 だからといって、親のいう事を全て頷いて聞くことが、子の務めでもないはずだが。 そういう理屈すら、もう通じそうにない。 己が正しいと信じて疑っていない。 気持ち良く過ごして欲しいと願う反面、 鬱屈した気持ちばかりをぶつけられて、一体どうすればいいのか、 母は弱ってゆくばかりだし、父もまた然りであろう。 ・・・ 方法が見えてこない。

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