大東亜戦争は聖戦ではない

2005/05/29(日)02:16

社説で日本海海戦を取り上げた読売は偉い

戦争と平和(84)

5月27日付・読売社説(2)  [日本海海戦]「歴史の潮目を変えた海戦だった」  日露戦争の帰趨(きすう)を決した日本海海戦から、今日で100年を迎える。  1905年5月27日から翌28日にかけての戦闘で、東郷平八郎元帥率いる連合艦隊は、ロシアのバルチック艦隊を壊滅させた。  世界の海戦史上、ほとんど類例のない完勝で、世界を驚かせた。その見事な戦いぶりは、1805年、ネルソン提督が率いるイギリス艦隊が、フランス、スペインの連合艦隊を破り、ナポレオンのイギリス進攻を阻止したトラファルガー海戦と、しばしば対比される。  日本海海戦の圧勝、そして日露戦争の「勝利」から、様々な歴史の教訓を引き出すことが出来るだろう。  開戦に際しては、軍事上の問題だけではなく、当時の国際情勢をも視野に入れた、様々な国家的戦略が練られていた。太平洋戦争の開戦とは、決定的に、異なる面である。  例えば、日本の諜報(ちょうほう)員は、西欧や北欧の各地で、ロシアの革命運動家たちにひそかに接触しながら、資金援助も行い、ロシア国内の攪乱(かくらん)に努めた。  戦局が日本に有利になった時点において講和に持ち込むという、開戦前からの構想の下で、米国に早い段階から仲介役を依頼していた。  日英同盟を結び、活用した。  英知を結集して、日本を脅かす大国ロシアと対決し、国難を乗り越えた。  その後の20世紀の歴史に与えたインパクトも大きかった。  ロシアの支配下にあった北・東欧から欧米の植民地だったアジア、アフリカにいたる各地の民族独立運動に、大きな希望を与えた。  日本海海戦の翌月、中国紙「大公報」は、「黄色人種が白色人種と併存する世界が訪れた」と論評している。  日清戦争後、中国から日本への留学生が目立ち始めたが、日露戦争が終結した翌年の1906年には1万人を超えた。留学生の中には、辛亥革命から共産党政権確立に至る過程で活躍した人物群も含まれる。  しかし、世界から熱い眼差(まなざ)しを向けられた日本は、やがて無謀な戦争に突入して、破局を迎える。  小説「坂の上の雲」で、日露戦争を戦った明治の群像を生き生きと描いた作家の司馬遼太郎は、「日露戦争の勝利が、日本国と日本人を調子狂いにさせた」と表現し、日本社会から合理的判断力が失われていったとの見方を示している。  世界史の大きな流れの中で、日露戦争とは何だったのか。日露戦後100年を契機に改めて考えてみたい。 (2005年5月27日1時46分 読売新聞) -------------------------------------------------------------- 当時の人たちがどれほど苦心して 強大な帝政ロシアに挑んだのか 中年以下の世代は、この時代の歴史を知らない人が多すぎる。 大東亜戦争でもこの時代と同じように、危機感を持って 全ての力を結集して望めば、米英に負けない道はあったのだ。 占領時の政策そのままにバカの壁を作ってる平和主義者には絶対に見えない道だ。 朝日などは、全く何も考えずに 中国やフランス、韓国などの海外の記事を受け売り&垂れ流しするだけの 無能メディア。 その点、欧米・中韓の受け売りではなく、自らの視点を持つ読売は 価値のあるメディアだと認識した。

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