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2007年10月20日
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全国の三重県出身者のみなさま。

1.腸(はらわた)が煮えくり返る日々
2.「そんなの知らねーよ」な日々
3.「やっぱり○○(←地名が入る)の人間だからねぇ」と思う日々

↑みなさまの感情に適合する選択肢をお選びください。
が続いていると思います。

まずは、この記事で振り返ってみましょうか。
「赤福騒動」余波続く (ゲンダイネット)[ 2007年10月19日10時00分 ]
●日本橋三越・催事「お茶屋」中止のとんだとばっちり

 ホントについてない――三重・伊勢名物「赤福もち」の製造日偽装問題で、予想外のとばっちりを受けた百貨店があった。日本橋三越本店だ。

 実は、日本橋三越では、16日から催事場で「三重展」が開かれる。その名の通り、三重県の名品を集めた人気の祭典。松阪牛に的矢かき、鮑(あわび)ステーキなど、三重はけっこう高級食材が豊富なのだ。

 で、この催事場で臨時開店を予定していたのが「赤福茶屋」。抹茶やほうじ茶とともに銘菓「赤福」で一服してもらおうという粋な企画だったのに、この騒動を受け中止になった。

 先週末には、この「三重展」の広告が新聞折り込みで入っていたが、そこには「赤福茶屋」の紹介も……。表紙の上段に大きく写真が掲載され、それも松阪牛の隣のベストポジション。相当気合が入っていた。「刷り上がったのは報道のずっと前。催事は予定通り開催されますので」と、日本橋三越広報。お茶屋の準備はかなり前から行っていたそうで、催事担当者がちょっと気の毒ではある。


●浜田益嗣商工会議所会頭・“中興の祖”発言低下で参宮線は存続へ

 今年5月、伊勢市を騒然とさせる出来事があった。伊勢商工会議所の浜田益嗣会頭が、マイカー族の観光客誘致に「JR参宮線が大きな阻害要因になっている」と指摘。2013年の第62回神宮式年遷宮で予想される交通渋滞の緩和のため1000台分の駐車場に転用するよう提案したのだ。

 浜田会頭は、伊勢名物として知られる「赤福餅」の製造元である赤福の会長。300年続く赤福餅を全国ブランドにした“中興の祖”といわれる人物だ。伊勢市で赤福の影響力は絶大である。

 そんな有力者による参宮線廃止の提案は、波紋を呼んだ。伊勢市長は困惑、JR東海に存続を訴える伊勢市議も出た。

「渋滞することは分かるが、JR参宮線を廃止して駐車場に転用せよというのは乱暴すぎる。JRで参拝に来る人もいるし、通勤、通学のための生活路線でもある」(伊勢市関係者)

 この渦中に持ち上がったのが、赤福餅の製造日不正騒動。最高実力者である浜田氏の伊勢商工会議所会頭の辞任は避けられそうもない。かくしてJR参宮線の廃止提案は立ち消えとなり、参宮線は存続することになる。

【2007年10月16日掲載記事】

つい最近に、「いろいろと」書いた時に、年齢を取り上げました。70歳代とその子供に該当する年齢についてです。
ずばり、今回の赤福も
「親は70歳代、息子は40台半ば」
でした。
露骨な言い方をすれば、
「横暴な1930年代生まれ」
となるでしょう。
野球界では、読売のナベツネやオリックスの某氏(愛称が無いので省略)も
「横暴な1930年代生まれ」
です。
ここまでくれば、
「戦時中にどういう価値観を教え込まれたんだ!?」
と疑問を呈したくなります。
豪快に
「己さえ良ければ、それで良い!」
「泣く人間が多ければ多いほど良い!」
を地で行っていますから。

まぁ、今回の
「赤福崩壊」
は、
社長が己と同じ街の出身だとしても、JR東海にまでケンカを売った
事が、引き金となったことでしょう(ここまで、赤福問題に対して、県庁が何の疑問を持っていなかったことを考えたら)。
幾ら民間企業でも、相手は「3公社5現業」を形成していた「国鉄の分身」ですから。
(例え相手社長が己より年下でも、会社の規模を考えましょう>赤福会長)

日本全国を見れば、
「横暴な1930年代生まれ」
に迷惑をしている事柄は多いかと思います。
当然、そういう横暴をする人間いるならば、地域はますます疲弊していくことでしょう。
さらに、そういう横暴な人間のおかげで、一部の潤っている人間もいるので、
「大多数の一般市民」
を助ける事を実行するのは、
「苦難の道のり」
かも知れません。

しかし、
「もう、世間がどうなっても良い」
という
「諦めのムード漂う社会」
が広がっては、どうにもならないでしょう。

露骨なことを言えば。
三重県といえば、1960年代に「公害」で日本全国から総攻撃を受けた工業都市があります。
あの時期は、
「本来、臨海地域の有害な煙が、本来流れていかないはずの地域に流れただけでも新聞記事に掲載された」
ほどの、
「深刻な状況」
でした。
(そういえば。その煙の記事が出る前と、出た1年後あたりの出生児を比較すると、養護学級の生徒数が増加しているような感覚を持っているワシ)

あの時期の工業都市は、
「四日市・死の海と闘う(田尻宗昭著・岩波新書:1972年4月←たぶん廃刊。図書館で地道に探してください m(__)m )」
にあるように、
「よくも、ここまで悪が出来るな」
のオンパレードでした。
↑この書籍とは関係ないでしょうが、中日新聞系の東海テレビは、この公害取材で業界の賞を取りました。
↑「賞が取れる」という嗅覚は、素晴らしい親会社ですから。

今70歳代の赤福の会長は、その頃は
「バリバリの20~30歳代」
だったでしょう。
「己が良いと思っても、他人に迷惑しか押し付けないことをすれば、どうなるのか」
を勉強しなかったのでしょうか?
というよりも、結果的に
「(アホな街のアホな事だから)勉強しなかった」
のでしょう。

そういう赤福の地元も、結局は
「県内工業都市出身の会長」
が携わる
「大手スーパーのショッピングセンターが、内宮の近くにあるだけの街」
に転落しようとしてますが。

他人の悪事は
「笑って見ていたり」
「見ない振り」
「(解決は)他人任せ」
では、どうにもならないでしょう。

最低限、ブログを書いていたり、サイトを持っている人間は、
「感じるところは書く」
必要があるかもしれません。

「権力を賛美するのは、見聞を広めなくても可能である」
「権力を批判するのは、見聞を広めなくては不可能である」

「お気楽」こそ「効率的な生活」や「まずは国の事を考えろ!」という価値観が横行し、
「チリも積もれば山となる」
という言葉が、今の社会には存在して無いような気がする現代ゆえに、
「地域社会の小さな変化」
にも気をつけていく必要があると感じる、ワシでした。


(ベテラン女性アナウンサー)本日の朗読は...
(ダロッテ)どこを見ても、朗読じゃないだろって!
(ベテラン女性アナウンサー:脱走)
(ダロッテ)それにしても、オメーさぁ。ここまでビーンボール(な内容)で大丈夫か?
(ワシ)結構、「大丈夫」じゃないかも(^^;)





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最終更新日  2007年10月20日 10時57分55秒
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