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結局、もめごとのあと火種さんはこなくなり、 Mちゃんも辞めました。 ちょうどいい話の流れで、 気になっていた「あのこと」をYちゃんに聞く機会がありました。 Yちゃんてこわい、と思うきっかけにもなったMちゃん談のエピソード。 すると、「Yちゃんて『○○○』って言ってんで」というMちゃんの話は、 Yちゃんも、「うん、私そう言った」と認めたのですが、 この2人の話は、 肝心な部分の「時系列」が違うのです。 ちなみにYちゃんには、本人曰く「証拠」がありました。 Yちゃんの話が正しければ、Yちゃんはむしろ軽く巻き込まれちゃっただけ。 別にこわい人じゃない。 この時点でも私はどちらの肩ももつつもりはないのですが、 どちらか(場合によっては双方)が時間をゆがめて(おそらくそう信じ込んで)、 話をしているのは確かです。 事実と主観とを切り離して考えたり話したりすることができない人は多いですが、 それだけなら、聞き手しだいで事実と話し手の主観とを嗅ぎ分け、 適宜判断することもできなくはありません。 でも、聞き手がその場に居合わせていなかったことを 時間をゆがめて話されたら、もう判断のしようがありません。 人間不信が募ってしまった出来事でした。 しかも、真相がはっきりしないまま喉元を過ぎ、 胃のなかでもたれている感じです(^^;。 そんなこんなで、 何が正しいのか、何を(というか誰を)信じていいのかわからないまま、 時間だけがやたらかかって、 消えていった仕事のための時間を どうやって埋め合わせようかと冷や汗かいているときに、 やってきたんですよ…。 つづく。 ↓みなさんの「1日1クリック」を糧に今日も頑張ります! 「語学・英会話」のカテゴリでしのぎを削って(?)ます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
まな!さん、こんにちは。
事実と主観、この線引きは本当にむずかしいですね。事実を認識するときに、どうしても主観が紛れ込んでしまうのは避けられないからか、全く同じものを見ているはずなのに、なぜこれほどまでに事実認識がちがうんだろうと思うことがままあります。過去の出来事だとなおさらのこと。見ている箇所や軽重の量り方がちがうんでしょうか(翻訳にも通じるところがありますね)。 そうなると、事実は神のみぞ知ると言いますか、いやその場合は「真実」になるのかもしれませんが、結局のところ、まな!さんのおっしゃるように、誰を信じるかに尽きるのかなぁと思います。 (2007年10月16日 12時01分11秒)
蒼鷺さん、こんにちは。
コメントありがとうございます。 そうですね。どの部分が主観なのかを本人がよほどはっきり意識していない限り、主観を排して物事をみるというのは難しいですし、まして相手とその事実認識をめぐって話をするのは本当に難しいと思います。たくさんの人と話し合うのであれば、それぞれに主観が混じっていても、それを総合すると「交点」のようなものが見えてきますので、それがほぼ主観を排した事実と考えることが可能なのですが。 (2007年10月17日 10時44分14秒) |