壮絶結婚物語・・・若者よ、結婚は自分の責任だ!第5章
結婚式の詳細が決まる頃には、あまりの面倒くささに式なんて挙げなくてもいいやって気持ちになっていた。何せ、遠距離恋愛である。電話代は月に4,5万はした。おまけに私が土日休みではなかったので、夕方仕事が終わるとタクシーに飛び乗り駅へ行き、乗り換えながら長野に着く頃には夜中近いこともあり、ほんの数時間会うだけの為に長野にいったこともあった。逆に、殿が夜に着いて殿の友達や私の友達と時間を潰し、真夜中まで仕事だった私と吉牛で待ち合わせ、そのまま始発でディズニーランドに徹夜で行った事もある。眠くて、疲れていたが人並みのデートがしたかった。新幹線ホームでの別れが辛く、つい・・乗ってしまったこともある。当然ユーターンしなければ、仕事に間に合わない。体力的に辛く、一緒に暮らすのが楽しみだった。好きな人と生計を建てていく・・・。結婚とはそういうことだ。4月いっぱい働いて、ボーナスを貰う前に退職した。仕事の合間に引越しの準備は出来ていたし、信じられないことにベットは送り返せと親に言われていたので送り返し、大きな荷物など何もなかった。大きなバック一つ。晴れた朝。寮の隣の隣の部屋にいた友達の一人に別れを告げ、見送られながら玄関の自動ドアをくぐった。なんか、実感ないね・・・なんて言いながら涙ぐむ。「じゃあ、行って来るわ。結婚式で会おうね。」新しい一歩を寂しさと期待に満ちた気持ちで踏み出した。 5月1日に入籍。ままごとみたいな生活。結婚式の他に新婚旅行の準備もあったので、先に同居したのは楽だった。あっという間に日が過ぎて、結婚式当日を迎えた。当日の朝は、緊張で何も喉を通らなかった。晴天だった。着替えを済ませ、親戚の顔合わせ。母の顔は強張っていたが、特に暴れはしなかった。一応、両親にも式の前に「今までありがとうございました」と言うが無視。もう、慣れていた。最悪なことを想定し期待などしない。心の防御反応。色々と母に驚くような仕打ちをされたので、私は後頭部と左側に禿げが出来ていた。白髪も少しでた。人は強い。下まで落ちると危険信号がでて自分を守る術を知る。 何も期待しない。 私が出した防御反応。披露宴は友達や暖かく見守ってくれた親戚のおかげで、楽しく暖かいものになった。なんと言っても、冒頭の結婚式で新郎新婦が号泣しているのだ。その感激ムードのまま、披露宴に突入したのだから盛り上がる。ぽろぽろと涙を流す新郎新婦に神父さんは感激して、予定よりも多く祝いのの言葉をくれたくらい二人は泣いた。ここまで感激して式をあげる若者は珍しいから、お祝いの言葉を多く贈らせていただきました・・と神父さん。 それは、そうだ。ここまでたどり着くのに起こった数々の出来事・・・コレで終わりだという安堵。様々な気持ちと共に純粋に結婚したんだという喜び・・・。涙が止まらなかった。殿もキラキラと涙を流していた。殿にしてみれば因縁つけられて、自分を否定されたのだ。しかも、勝手な価値観で。確かに殿は、俺様キャラだったし、見た目もややチンピラだった。絡まれて殴り合いの喧嘩もした事もあった。でも、正義感が強く真面目で慎重な人だった。学校の先生方はそこを父に褒めていてくれたわけだ。母の価値観と見た目での全否定。酷い話である。でも、これで無事に結婚。嬉しかった。披露宴の最後に新婦がお礼の手紙を読むのは白々しいので止めて、殿がしっかり頑張ります・・といった挨拶とお礼を言って披露宴は終わった。 結婚生活は、特別甘く素晴らしいものではなく、お互い「えー。(ーー;)」って、思うこともあり、年末には大喧嘩して殿のギターをバラバラにぶっ壊した。大きな喧嘩はそれ一度。他人同士が同居するのだ。価値観や生活ペースが違う。トイレの立ちションが嫌だとか、のり弁当ののりの貼り方が違うとか。お互いむかつく事はあったが、私には逃げ場がない。殿も重々承知していた。二年目になるとお互い譲歩しあうようになって生活も落ち着いてきた。そうすると、義父が実家とこじれたままでは、可愛そうだと言って連絡を取る様にしつこく勧めてきた。気がすすまなかった。色々あったから、関りたくなかったが、母の誕生日に大きな胡蝶蘭を贈った。はず、だった。職場に花屋から電話。「すいません。受け取りを拒否されたんですけど、どうしましょうか?」 あぁ・・だから嫌だったんだ。久しぶりに受ける母の嫌がらせに、しかも他人であるお花屋さんまで巻き込んで・・・涙がにじんだ。もう、二度と関りたくない。真剣にそう思った。 くっそー。大人気ないな。とりあえず、先にどぞ。もう、これで一気に終わらしたい。にほんブログ村にほんブログ村