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February 12, 2019
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カテゴリ:気になるTV番組
2019年NHK大河ドラマ 『いだてん~東京オリムピック噺』
第6回の部分的な感想です。

第6回では、物語の各所にでてきた嘉納校長と圓喬師匠と
播磨屋の黒坂らの、それぞれの優しさが感動でした。
(嘉納校長⇒四三は除く)

中国で辛亥革命(1911~1912)が起こり、留学生たちが
国に帰ろうとするのを「今帰っては危険だから」と自らの
借金で彼らを守り面倒をみた嘉納治五郎(役所広司さん)。

弟子の美濃部孝蔵(森山未來さん)を「美濃部君」と呼び、
彼に車を引かせながら噺とその肝を教えてやる橘家圓喬
(松尾スズキさん)。

そして金栗四三(中村勘九郎さん)に自慢の足袋をケチ
つけられまくって激怒したものの、四三の言わんとした
ことをくみ取って四三が走るための足袋を密かに作って
くれていた播磨屋の黒坂辛作(ピエール瀧さん)。

3人の大人たちがそれぞれの立場で若者を守って導いて
やる姿勢と優しさに感動でした。

ただ四三が優勝カップに書かれた “OLYMPIC” の文字が、
意味はわからなくても英単語としてすぐに読めなかった
部分が気になりました。

というのもドラマ 『坂の上の雲』 では、主人公たちが
この『いだてん』より少し前の時代であっても、大学生
には英語が必須で猛勉強をしていたからです。

あと四三は地理歴史学科なのにストックホルムの位置を
知らなかったのか?とも。
遠い世界の国がどんな国なのかは当時はわからなかった
としても、世界地図とかあまり見なかったのかな?と。

あの時代の師範学校の大学生が、どの教科をどれぐらい
勉強していたのか、ちょっと気になったりもしました。


マラソン大会で優勝した後、世話になった足袋屋の黒坂辛作(ピエール瀧さん)を
激怒させてしまって、店に入ることすらできなかった金栗四三(中村勘九郎さん)
でしたが、車夫の清さん(峯田和伸さん)のとりなしで黒坂に平謝りできました。
でも黒坂は実は四三のために、さらに走りやすい足袋を作ってくれていたのでした。



羽田の予選から1ヶ月がたった明治44年(1911)12月、大日本体育協会
会長の嘉納治五郎(役所広司さん)は、何をやるにも資金がない中で、来年開催の
ストックホルム五輪の選手を選抜する決断を迫られていました。



選手をストックホルムに送る費用は、ひと月で1人1000円かかります。
(消費者物価指数による換算サイトによると、1911年当時の1000円は
2017年では約326万円になります)

永井道明(杉本哲太さん)が渡航費用のことで文部省に相談したら、文部大臣の
小笠原(春海四方さん)から「スポーツは遊び、国費で学ぶ国立大学生をひと月も
海外で遊ばせることはできない」と、あっさり却下されました。



現状ではどう頑張っても選手は一人しか連れていけないことが判明しました。
なので選手は金栗四三と三島弥彦だけにし、金栗の分は体協でなんとか工面し、
金持ちの三島は自費で行ってもらおうということになりました。



ストックホルム行きの選手が決まり、四三は嘉納のもとに呼ばれました。
四三は嘉納からオリンピック出場を強く要請されたものの断固辞退し、さらには
「オリンピックとは何ですか?」と根本的に話が分かってませんでした。
嘉納がポスターを指して説明すれば「裸で(走ること)」と解釈するし・・(笑)



なかなかオリンピックを理解しない四三に嘉納が「言葉も文化も思想も違う国の
若者が互いを認め合い、技を競い合うこと」と丁寧に説明すれば、四三はなぜか
「負けたら切腹」と思い込み、土下座して辞退の許しを乞いました。



四三だけでなく、競技会であんなに張りきっていた三島までオリンピックの
辞退を申し出てきたので、どうしたらいいのかと役員は皆で悩んでいました。
するとそこへ清国からの留学生たちが騒いでいると知らせが入りました。



この年に勃発した辛亥革命のために本国は大混乱となり、国からの援助が途絶えた
留学生たちは激しく動揺して、中国に帰ると騒いでいたのでした。
しかし嘉納は、羽田運動場を作った折に泥まみれになって一所懸命に働いてくれた
留学生たちが可愛いこともあり(第1回)、今帰るのは危険だからと諭しました。



嘉納は留学生たちに「今戻れば君たちの身に危険が及ぶ、君たちは祖国の未来の
ために私のもとに留学してきた、外務省に一時たて替えを交渉しよう、それが無理
なら学費は私が出す、心配するな」
と言い、彼らの大半は日本にとどまりました。
(ただこのときの借金の数億円は、嘉納氏の生涯にわたっても返せないものでした)



敬愛する嘉納をがっかりさせてしまったけど、やはりオリンピックには出場しない
と決めた四三は、先日の大会で受け取った優勝カップを嘉納に返しにきました。
しかし嘉納は、それでも四三に出場を再度要請しました。
「我が国の運動競技は欧米各国に比べ遅れをとっている、学生が先頭に立って国民の
体育熱を煽るんだ、勝てなくても最善を尽くしてくれればいい、何事も最初はつらい、
自信もない、しかしここで誰かが捨て石となり礎にならなければ。」



「日本のスポーツ界のために、黎明の鐘となってくれたまえ!君しかおらんのだよ。」
嘉納は思いをこめて四三を説得し、彼に頭を深く下げました。
敬愛する師が自分のためにここまでしてくれることに四三は感動し、オリンピックに
出場することを涙ながらに申し出ました。
しかし・・・嘉納は大勢の留学生を守るためにますます借金がかさんでいたので、
四三は自費で行くよう言葉巧みに説得されてしまいました。



オリンピックに出るためにの航費と滞在費が最低1800円(現在で約587万円)。
ふと我に返った四三は自分ではどうしようもないことに気づき、事の次第を正直に
打ち明けた手紙を故郷の長兄・実次宛てに書きました。
ただポストの前に立ったとき、つましい暮らしの実家に大金をどうか工面して欲しい
なんて内容の手紙を出していいものかと、四三は悩んで投函をためらっていました。
(でもこの勝蔵少年のおかげで、手紙は無事ポストに投函されました・笑)



さて橘家圓喬(松尾スズキさん)に弟子入りを許された美濃部孝蔵(森山未來さん)は
師匠・圓喬の行く先々に車を引く日々でした。
圓喬は孝蔵を「美濃部君」と呼び、車を引く彼に自分の落語を聞かせ、さらに「噺は
足で覚えるんだよ」と大事なことを伝え、孝蔵を可愛がってくれました。
(たしかに実体験が伴う話は感覚もよく伝わって聞き手もわかりやすいですよね)



一方オリンピックに出るために練習を重ねる四三は、車屋の清さんや足袋屋の黒坂の
助言を受けて、上野~浅草~人形町~日本橋~芝の道を往復することにしました。



四三が練習で走る道、それはちょうど孝蔵が師匠を乗せて往復する道でもありました。
孝蔵は背中越しに覚えた師匠の噺を、一人のときにずっと稽古をしていました。



ほぼ同じ道を毎日往復する四三と孝蔵。
二人はいつしか互いの存在を知らぬまま、どこかですれ違うようになりました。



二人がすれ違う場面を彩る日本橋の麒麟像と花火。
花火の色がオリンピックカラーになっているという、さりげない粋な演出でした。






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Last updated  February 12, 2019 11:32:29 AM


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