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May 7, 2019
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カテゴリ:気になるTV番組
2019年NHK大河ドラマ 『いだてん~東京オリムピック噺』
第17回の部分的な感想です。

今年1月に、主人公が無名で陸上競技を題材にしたこの
大河ドラマが始まったとき、これは1年間見続けられる
ドラマなのか、私は正直疑問に思っていました。

ところがいざ蓋を開けてみれば毎回それぞれ見どころが
あり、笑いがあり、物語というのは表現一つでこんなにも
面白くなるのかと感じながら視聴しています。

ただ視聴率は残念な数値になっています。
ところが今回は、放送後にUPされたツイートによって
凄いことがおこりました。


オープニングのタイトルバックの最後のほうで、出演者の紹介が終わった後
くらいにアップで出てくるこの子についてです。


 ⇒ ⇒  こちら

ネットのない時代なら見知らぬ誰かのことは遠くで思うだけ
だったでしょうが、今の時代ではこうしてつながってしまう
こともあるのですね。
本当に素晴らしいことです。

ドラマに関しては、まあ正直なところ私も、例えば主人公の
金栗四三を演じる中村勘九郎さんの声がウルサかったりとか、
ときどきは苛立ちも感じます。

それでも、そういったマイナス面を十分にカバーして来週も
また見たいと思う面白さと、ドラマ全体に流れる優しさを
毎回味わっています。
ドラマ制作陣の方々には、数値や世の批判に負けずに、この
先も頑張っていただきたいものです。


大正4年(1915)6月、ヨーロッパで戦争が拡大したため、翌年に開催される予定
だったベルリンオリンピックの中止が報じられました。
このオリンピックのために過酷なトレーニングを積んできた金栗四三(中村勘九郎
さん)は激しく落胆し、彼を心配して車屋の清さん(峯田和伸さん)や大学卒業後に
遠くに行った東京高師の仲間たちが集まってきました。



茫然自失となり励ましても動こうとしない四三に苛立った清さんは四三につかみかかり、
ぜいたく言ってんじゃない、客の命ずるがまま走り俺たちは自分で行先も決められない、
俺は読み書きも力仕事もできないから走るしかない、と自分の心の内を訴えました。
(このセリフには感動でした)



オリンピック中止を新聞で知ったスヤ(綾瀬はるかさん)は夫の四三を心配して
再び熊本から駆け付けました。
四三は妻のスヤに、自分はこの3年間ずっと毎日クタクタになるまで練習してきた、
オリンピックが終わるまでの辛抱と自分に言い聞かせてきた、戦争で中止になって
悔しい、悔しいとスヤに訴え、苦しいときほど逢いたくてたまらなくて夜必ず夢を
見た妻・スヤの腕の中で泣き崩れました。



翌朝、少し元気が出た四三は、日本代表のときのユニフォームを着て、自転車で走る
スヤと共にランキングに出かけました。
走る気力が出た四三を見て、黒坂辛作(三宅弘城さん)と妻・ちょう(佐藤真弓さん)は
自分のこと以上に一緒に喜び合いました。(こういうの、いいシーンです)



「これからの日本のマラソンのために全国にいる韋駄天の卵を育てたい、でも自分
一人ではできない」ーー「金栗四三が50人いたら」
そんな話をスヤとしていて、四三はふと思いつきました。



一人10kmで50人走れば500km、東京から大阪まで走れる!
四三は嘉納治五郎に相談したら嘉納も、マラソンは孤独で辛いけどこれなら面白い!、
世に普及するだろう、と賛成してくれました。



東京から大阪を走破する、その50人を育てるために自分は教員になる、と四三は
嘉納治五郎(役所広司さん)に決意を表明しました。
そして四三がマラソンに代わる次の目標が見つかったことを嘉納も喜んでくれました。



嘉納と四三はカフェで読売新聞の土岐(山中 聡さん)と大村(竹森千人さん)から
声がかかり、さらなる打ち合わせのときにかつて天狗倶楽部にいて今は読売新聞社に
勤める吉岡信敬(満島真之介さん)と再会しました。
そしてこのときに東海道マラソンレースの構想が固まりつつありました。



浅草十二階(凌雲閣)から外を眺めたとき、嘉納は明治神宮の広大な敷地を見て、
いつか東京でオリンピックを開くために世界に誇れる競技場を作る決意をしました。
「スポーツは国力の証、スタジアムはそのシンボル!」ーー
それは嘉納の次なる目標となりました。



東海道マラソンレースは「驛傳」と名付けられ、開催が決定しました。
そしてスヤの姿から次の走者につなぐときにはタスキがいいと四三思いつきました。
そのころ熊本では、スヤが上京したきり戻ってこなくて機嫌の悪い池部幾江(四三の
養母)が、四三の兄・実次に苛立ちをぶつけていました。(毎度のパターン)



驛傳のことは新聞で広まり、いよいよ世の関心が高まってきました。
四三は黒坂にタスキと特注足袋の製作を依頼しました。
(四三さん、少しは相手の気分を良くする言い方を覚えたようです)



大正6年(1917)4月27日、日本初の駅伝レース「東海道五十三次驛傳」が開幕。
午後2時、京都三条大橋から選手がスタートし、順番に東京を目指しました。



つめかけた観客は街道沿いの旅館に泊まり、走り終えてタスキを渡した選手は
ランナーと一緒に走って東京を目指すほど、大会は盛り上がりました。
(番組最後の紀行によると、夜道は走り終えた選手が松明をもって走者の足元を
照らしてたのですね)



この駅伝の関東軍の最終走者はもちろん四三です。
4月29日の午前10時5分に川崎を出た四三は、喜び一杯に走りだしました。
そのころ東京では四三のゴールを迎えようと10万人以上の観衆がつめかけ、
「駅伝っ!」とコールしていました。
ヤジ将軍の吉岡はさらに盛り上げようと、大型メガホンで観衆を先導しました。



たくさんの日の丸の小旗に迎えられ、四三が戻ってきました。
大観衆の声援の中から聞こえた「金栗~!」と叫ぶ妻・スヤの声援。
その声に応えて四三はスヤに目で合図を送ります。
そして516kmを46人の韋駄天が駆け抜ける運動史上未曾有の計画だった
この大会は、各地で観衆がわいた大成功で幕を閉じました。






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Last updated  May 8, 2019 09:52:51 AM


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