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August 6, 2019
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カテゴリ:気になるTV番組
2019年NHK大河ドラマ 『いだてん~東京オリムピック噺』
第29回の部分的な感想です。

オリンピックをテーマとしたこのドラマは、1912年の
ストックホルムから始まりオリンピックや現地のシーンに
なると毎回、各国の選手を演じる役者さんや観客を演じる
エキストラさんの数がすごいと思ってみています。

そして今回、多くの視聴者の感動を呼んだのは、斎藤 工さん
演じる高石勝男と現地のプールで門番をする黒人の守衛さん。

高石は社会人になっての練習不足と年齢による体力面、また
同時に若手の台頭によって日本トップの記録が出せなくなり、
人気者ではあっても世界で戦う力はなくなっていました。

勝ちにこだわる総監督の田畑政治(阿部サダヲさん)からは、
水泳チームのキャプテンだけど試合には出せないと言われ、
悔しくて納得ないかなくて夜一人こっそり練習していました。

そんな高石を、黒人の守衛は見て見ぬふりをしてくれました。
門限を破っているけど、松澤たちも見逃してくれていました。

そして選考会の前夜に、田畑がなぜ勝ちにこだわるか、その
真相を知ることになります。
わだかまりが解けた高石は、選考会では全力で泳ぎます。

守衛さんは高石をフェンスの向こうから “ You can do it ! ”
(君ならきっとできるよ!)と応援してくれました。

結果は、若手にはもう勝てない高石は落選です。
でもどこか清々しい思いが、その表情かと声から伝わります。
全力でぶつかるスポーツのドラマは、やはり感動でした。


昭和7年(1932)、まーちゃん(田畑政治;阿部サダヲさん)率いるオリンピック
選手団の一行は6月23日に日本を出港し、7月9日にロサンゼルスに到着。
ダウンタウンにあるリトルトーキョーで日系人からの熱烈な歓迎を受けた後、この
大会から導入された選手村に入りました。
選手たちが国境や文化を超えて自由に交流できる選手村を、まーちゃんが理想郷!
と喜びを表現した踊りは演出でした。 こちら



選手村での生活は、朝起床して朝礼時に国旗掲揚と監督の話、朝食後の8時40分に
バスでプールに移動し、午前中は9時から2時間の練習です。
しかしこのとき先に練習していたアメリカの選手たちが、日本人選手たちが泳ぎだし
たら一斉にプールから出るという事態が起こり、人種差別的な嫌がらせか?とも。
でもまーちゃんは、そういうことなら貸切だ、と選手たちを存分に練習させました。



午後の練習は暑さを避けて4時から始まりますが、日本人選手が泳ぎだすと
またもやアメリカチームはプールから上がってしまいました。
有色人種差別に我慢ならないとまーちゃんが抗議しに行ったとき、昨年の日米対抗
試合でアメリカチームの監督を務めたキッパスと再会しました。
キッパスは「このオリンピックではメダルは一つも譲らない、屈辱を手土産に日本へ
帰るがいい」と言っているのに、まーちゃんの解釈は超適当で・・。



アメリカで取材を受けたときのまーちゃんの強気の発言が日本で記事になり、銀座の
体協本部にいた嘉納治五郎は12年前のアントワープを思い出します。
あの時は日本泳法が世界で笑い者にされたのに、今では逆にアメリカに研究される
立場になり、嘉納は感慨深げです。
そこにロサンゼルスにいる岸 清一から「昭和15年(1940)のオリンピックに
東京が名乗りを上げれば開催されるかもしれない」という手紙が届きました。



午後の練習が終わって夕食が済むと、それから反省会です。
反省会の後さらに松澤と野口と高石は残って戦略を練っているのですが、一方の
まーちゃんはというと、選手村の庭で音楽をかけながら各国の選手たちと一緒に
踊って、交流を図りながらリラックスしています。



そして日本から男子に遅れて女子チームが到着しました。
日本での練習は男女別々だったけどここでは合同練習になるため、女子選手がすぐ
近くにいることにお年頃の男子選手たちはもう、気もそぞろになる者、カッコイイ
ところを見せようと記録が出ちゃう者、いろいろありました。(嗚呼、青春)



現地での着物姿の日本女子選手の人気は相当なもので、パーティーでは欧米の
紳士たちは若い日本女子にメロメロになり、彼女らは花を添えていました。
まーちゃんは苦情を言いにパーティー会場に乗り込みますが、当の彼女らにしたら
せっかく着付けやダンスや英会話を習ったのだから使ってみたい、ですよね。



ところで高石勝男は日本チームのキャプテンではあるものの、まーちゃんからは
試合には出せないと言われていて、これは本人には到底納得できないものでした。
そこで毎晩こっそり門限過ぎても一人練習していて、実は周りもわかっていました。
若手の小池と宮崎と大横田は監督の松澤に、自分たちは4年後もある、高石さんが
出ればメダル以上の価値があると、最敬礼して頼み込みました。



監督の松澤一鶴はまーちゃんに、高石を選手にすることを再度訴えます。
そしてこのとき、まーちゃんは自分がメダル獲得にこだわる理由をやっと告げます。


日本を明るくするためだ。
犬養さんが撃たれてから新聞の紙面が暗い。
不況、失業、満州問題。朝から暗澹たる気持ちになる。
もし水泳が全種目制覇したら、オリンピックの期間だけでも
明るいニュースを一面に持ってくることができる。
号外が出る。スポーツが日本を明るくする。
たった数日間だけどスポーツで国を変えることができる!



松澤はまーちゃんの考えを理解し、同時に部屋の外で話を聞いていた高石もやっと
納得し、メダルを獲って日本を明るくしたい田畑の思いを受け入れました。
そして翌日の選考会ではオリンピック出場をかけて互いに全力で戦い、またこのとき
プールサイドでは河西・松浦の両アナウンサーが実況放送の予行演習をしていました。



そしていよいよ若手・宮崎との勝負になる高石の自由形100mです。
会場の外には大勢の人たちが観戦に訪れ、その中には毎晩一人でこっそり練習するのを
見逃してくれていた、あの黒人の守衛さんもいました。
真剣勝負に挑む高石に守衛さんは何度も “ You can do it ! ” と声援をくれました。



選考会での戦いは終わり、高石はやはり選手にはなれませんでした。
それでも心のわだかまりが解けた高石は、ノンプレイングキャプテンとして気持ちよく
日本チーム全体を盛り上げていきました。



日本のメダル獲得に向けてまーちゃんと心が一つになった高石の思いは声にも表れ、
士気が上がる放送に日本国民は感動し、各所で拍手と歓声が起こりました



そのころ体協名誉会長の嘉納治五郎(役所広司さん)はロサンゼルスに来ていて、
IOC総会に出席して永田東京市長からの招請状を読み上げました。
これで東京は正式に、1940年のオリンピック招致に立候補となりました。
「オリンピックの聖火が、東洋に導かれますように」
ーー会場は万雷の拍手に包まれました。






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Last updated  August 6, 2019 08:35:04 PM


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