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September 3, 2019
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カテゴリ:気になるTV番組
2019年NHK大河ドラマ 『いだてん~東京オリムピック噺』
第33回の部分的な感想です。

今回は、国際オリンピック委員で日本のイタリア大使で
ある杉村陽太郎(加藤雅也さん)がオリンピック誘致を
かけて自信をもって臨んだはずの国際会議で、想定外の
展開に苦慮して挫折した回でした。

語学が堪能で仕事もデキて、ムッソリーニ首相の説得と
いう最大の根回しもできているからあとは大丈夫だろう
と臨んだ場での、IOC委員たちから政治的圧力とまで
言われて怒りを買ってしまった思いがけない展開です。

師の嘉納治五郎はといえば、外国語はテキトー、気分が
乗ってしまうとすぐ後先考えずに思いつくまま行動して
しまうわ、誰かのためとはいえ平気で借金するわ…etc

彼に振り回される側にとってはとんでもない迷惑爺さん
なんだけど、でもなぜか憎めない、この人の傍にいたい
と相手に思わせる、そんな人間性を持っています。

杉村だってこれまで人一倍努力をしてきて、国を代表
する今の地位にいるのでしょう。
ただ杉村は相手を気持ちよく動かす術を天性でも持って
いなくて、これまで学ぶこともなくて、この大事な場面
での挫折を味わった、そんなものを感じた回でした。


「1940年のオリンピックをイタリアのムッソリーニに譲ってもらおう!」ー―
そう意気込んでいた嘉納治五郎先生でしたが、東京での理事会のさなかに突如、持病の
腰痛が悪化して緊急入院することに。(もう74歳だったのですね)
ムッソリーニの説得にはIOC委員になったばかりの副島道正(塚本晋也さん)が行く
ことになり、イタリア大使の杉村陽太郎(加藤雅也さん)、そしてまーちゃん(田畑政治;
阿部サダヲさん)は記者として同行することになりました。



ところが副島は長旅の疲れで体調を崩してしまい、イタリアの首相官邸でいよいよ
ムッソリーニと会う段階になって、肺炎で倒れてしまいました。
後で杉村はムッソリーニに「副島はあなたと会うために耐えていた」と釈明し、話を
聞いたムッソリーニは「サマラ~イ!」と叫んで退出していきました。



副島が肺炎で倒れたと知らせを受けた嘉納治五郎(役所広司さん)は、やはり自分が
ローマに行くと言い、ベッドから出ようとしました。
しかし体は動かず、スポーツ医学の権威である主治医の東 龍太郎(松重 豊さん)から
「腰痛じゃなく脊椎損傷!(=絶対安静)」と叱られ、おとなしくすることにしました。



副島の病状はかなり重篤で、注射の痛みに耐えながら生死の境をさまよいました。
そして2週間後、ドクターから30分だけ外出許可をもらい、副島はムッソリーニとの
会談に臨みました。
杉村と副島は、1940年はどうしても日本で開催したい、1944年のローマ開催は日本が
全力で協力すると訴えました。
病を押して会いに来た副島にムッソリーニは心を動かされ、この話を了承しました。



1940年をローマが辞退したことが新聞に載り、病床の嘉納は意気盛んになってきました。
「オリンピックが東京に来る!」ーーそして「そろそろやつを東京に呼び戻す。ミスター
マラソン・金栗四三!」と次の行動に出ようとしていました。



その金栗四三(中村勘九郎さん)は故郷の熊本にいて、弟子となった小松 勝(仲野
太賀さん)を連れてマラソンの練習に励んでいました。
その道すがら、ふと立ち寄ったカフェは幼なじみの美川秀信(勝地 涼さん)の店でした。
美川から「君の夢は何か?」と問われた小松は「東京オリンピックに出ることです!」と
マラソンで日本人初のメダリストになる夢を嬉しそうに語りました。
(ちなみに『いだてん』公式サイトには、この「カフェ・ニューミカワ」のセットや
メニューが紹介されています。メニューはスクロールして一番下です。 こちら



昭和10年(1935)2月、1940年のオリンピック開催地を決めるIOCのオスロ総会に
出席するために、杉村は一人でノルウェーに向かいます。
まーちゃんも同行する気まんまんだったけど、杉村からは留守番を命じられました。



そして始まったIOC総会で、嘉納治五郎から託された手紙を胸に杉村は演説します。
ムッソリーとの話でイタリアは辞退したと思っていた杉村でしたが、長年私財を投じて
オリンピック誘致運動をしてきたイタリア代表のボナコッサ伯爵はその話に納得して
いなくて、食い違う話に杉村は慌て、どうしたらいいのかと悩みました。



3日後に投票を控え、杉村はまーちゃんに「すぐ来い」と電報を送りました。
そして同時にイタリア政府のロドロ公使を味方につけ、ボナコッサ(フランチェスコ・
ビショーネさん)を説得するためにバーで集いました。



杉村はボナコッサに「ムッソリー首相からの手紙にも、東京に譲れと書いてある。我々に
協力してほしい」と改めて頼みました。
そう言われてもやはり譲るつもりはないボナコッサにロドロは、杉村のバックには
ムッソリーニがついていることをさらに強調しました。



そして迎えた3月1日の投票日、ボナコッサは立候補を辞退したものの無念を訴え、
これは政治的圧力であるという意見が出たので杉村は必死に反論します。
しかしIOC会長のラトゥールは「なぜカノウが来ない?彼ならこんなことにはなら
なかった」と残念がり、他の委員たちも口々に「カノウ」の名を出します。
嘉納の愛弟子で仕事でも切れ者であると自負していた杉村でしたが、嘉納のような
人望がないことを痛感し、やっとオスロに着いたまーちゃんに心情を吐露しつつも、
「嘉納さんは貴様を買っている」と認めまーちゃんにエールを送りました。



杉村と副島とまーちゃんは帰国して東京市庁舎に報告に上がりました。
これからどうやって誘致活動をと悩んでいたとき、病院を抜けだした嘉納治五郎が痛い
体をおして東京市庁舎にやってきました。
嘉納が「極論なんだが」と言い出したとき、前回そのために副島の身に起きたことを
思わず話し出すまーちゃんでした。(現代のように針先が細くてて尖っている注射針なら
苦痛は少ないと思うけど、そこまで技術のない当時なら注射は痛かったと思います)



嘉納が思いついたことは、謝りついでにラトゥール(ヤッペ・クラースさん)を東京に
招待し、視察してもらって、至れり尽くせりのおもてなしをすることでした。
杉村がラトゥールを怒らせちゃったのに東京に来てくれなんて図々しいことが言えるのか
とまーちゃんが言うと、嘉納はすでにラトゥールに手紙を出したと言います。
そして嘉納の直談判は功を奏し、ラトゥールは訪日の意向を示しました。



まーちゃんはその後で会った河野一郎から、これはドイツのヒトラーが裏から圧力を
かけてラトゥール動かし日本に恩を売っている、という話を聞かされました。
オリンピックに対する河野の政治的な見解を否定するまーちゃんはでしたが、現実では
この日本の中でも政治的な一大事が起ころうとしていました。






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Last updated  September 3, 2019 10:39:09 PM


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