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September 10, 2019
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カテゴリ:気になるTV番組
2019年NHK大河ドラマ 『いだてん~東京オリムピック噺』
第34回の部分的な感想です。

今回の話のメインは「二・二六事件」と「ラトゥールの
おもてなし大作戦」で、2つの話がホントにうまい具合に
絡み合って、そして面白くて、クドカンさんの脚本の
凄さを改めて実感した回でした。

そして今回は何より、役所広司さん演じる嘉納治五郎の
人間的魅力と、嘉納を取り巻く人々の努力によって、
ラトゥールの心を和らげて東京オリンピックに気持ちを
向けさせていく流れが実に面白いものでした。

戒厳令下の東京を視察&観光するのに抜け道に詳しい
専用の車がいると考えたときに、嘉納が「ふさわしい
男が一人いる」と気が付きました。
私はTVを見ながら誰のことかと思ったけど、先週の
予告で人力車の清さん(峯田和伸さん)が出ていたのを
思い出した瞬間、これか~スマイルと思いました。

嘉納治五郎自身、世のため人のためになると思えば、
損得なしに思いついたアイデアを実行していく人です。
だから嘉納に付き合う人も、つい損得は後回しにして
嘉納に気持ちよく協力する、そんな人間関係ができて
いるように感じました。

清さんのラトゥールへの接し方は、まさに嘉納が望む
ナチュラルな姿でした。
相手が偉い人だからといって言葉や態度が必要以外に
堅苦しくならず、日本の車夫らしく「ラトゥールの旦那」
と共に時間を過ごしました。

ラトゥールを演じたヤッペ・クラースさん、これまで
ずっと難しい顔しか見てなかったように思います。
でも今回、来日して清さんと一緒にいるときは、本当に
可愛い人になっていました。


昭和11年(1936)2月26日の午前5時、武装した陸軍の軍人たちがまーちゃん
(田畑政治;阿部サダヲさん)の家の前を通り過ぎ赤坂表町に向かっていました。
ただ事ではないと感じたまーちゃんは急ぎ支度し、新聞社に出勤しました。



陸軍・皇道派の青年将校たちが首相官邸、警視庁を占拠し、岡田啓介首相や渡辺錠太郎
教育総監らを襲撃するクーデターを起こしたことは、午前6時半の時点で新聞社でも
すでに情報をつかんでいました。
その記事をなんとか朝刊に間に合わせようと社員が動き出そうとした矢先、内務省から
一切の記事を差し止めよと命令が入り、さらにそこへ中橋中将(渋谷謙人さん)ら武装
した軍人が乗り込んできて、新聞社の社員たちに全員外に出るよう命じました。



事件発生から15時間がたった午後8時半、第一報が臨時ニュースで放送されました。
熊本の富豪・池部家では世の情勢を把握すべく、幾江(大竹しのぶさん)やスヤ(綾瀬
はるかさん)が真剣に耳を傾けています。
そこへ家出したものの熊本駅から東京行きの汽車が止まってしまった四三が戻ってきて、
世の情勢に興味のない四三はあれこれ話しかけて叱られていました。



反乱軍によってまーちゃんがお世話になった高橋是清大蔵大臣は殺害されました。
首都機能が占拠されるという事態を受け、政府は戒厳令をしきました。
反乱軍は2月29日に投降したけど、東京は依然、戒厳令下にありました。



オリンピックがある年に自分が深く関わった政治家が次々と襲撃されて殺されてしまう
(1932 犬養毅首相、1936 高橋是清蔵相)ことの恐れをまーちゃんは妻の菊枝に思いを
ぶちまけつつ、それでも4年後の東京オリンピックに向けて体協に向かいました。
どんな状況下であろうが東京オリンピックをやる、そのための努力は惜しまん!と決意
している嘉納治五郎(役所広司さん)にまーちゃんの迷いも吹っ切れました。
そしてこの戒厳令下に来日するラトゥールの接待大作戦が始まりました。



そして3月19日、IOC会長のラトゥール(ヤッペ・クラースさん)がやって来ました。
まーちゃんの妻・菊枝が夜なべして作ったベルギーの国旗を皆で振っておもてなしが
始まりましたが、ラトゥールが移動に1カ月かかったと話すと嘉納は、自分たちは毎年
そうしてきたと英語で伝えつつ、日本語で「ざまあみろ~笑」と可愛く独り言も。



戒厳令下の東京でいかにしてラトゥールを視察と観光で各所に案内するか、それを考えた
ときに嘉納が白羽の矢を立てたのが、人力車の清さん(峯田和伸さん)でした。
清さんなら東京中の道を知っていて面倒な軍人に出くわしても抜け道で逃げてくれます。
嘉納は清さんに直に依頼し、清さんも誇らしげに快諾してくれました。
清さんの妻・小梅も身なりが整っていました。
あれから二人で頑張って働いて、ちゃんとした暮らしをしているようです。



一行はオリンピックのメイン会場となる明治神宮外苑競技場に到着しました。
大正12年(1923)の関東大震災のときにはここが避難所となった話を紹介しつつ、
嘉納は第一次世界大戦後の戦禍の跡が残るベルギーのアントワープで(1920)大会の
開催を決断したラトゥールに感銘を受けたことを伝えました。
そして「震災後に復興したこの地で是非ともオリンピックをやりたい」とも。



競技場で次はどこか行きたい場所はあるかと訊かれたラトゥールは、IOC委員として
長年時間を共にしてきた岸 清一のお墓参りがしたいとリクエストしました。
一行は明治神宮を参拝した後、岸のお墓を訪れました。
遠い国に来ても故人にも思いを寄せてくれるラトゥールの心遣いが嬉しいですね。



墓参の後はYMCAプールを視察し、その後は寄席にも足を運びました。
日本語での噺は意味はわからないだろうけど一緒に楽しんでくれるラトゥールと、
必要以上にかしこまらずラトゥールをもてなしてくれる清さん、皆いい人たちです。



寄席を出たら軍人たちがいたので、清さんは抜け道となる細い路地に入りました。
そこでたくさんの子供たちが遊んでいるところに興味を持ったラトゥールは下車し、
日本の子供たちが身近なものを使って運動している姿に感心し大いに喜びました。



ラトゥールの日本でのおもてなしには嘉納と柔道をやるのもあって楽しんでいました。
そこにはラトゥールを激怒させた杉村陽太郎(加藤雅也さん)もいて、嘉納は杉村に
一連の行動は自分が杉村に命じたと通訳させ、ラトゥールに深く詫びました。
そして日本ではオリンピック熱が高い、東京も準備はできていることを訴え、さらに
「もし東京でオリンピックをやってくれたら、アジア初の歴史に残る平和の祭典にして
みせる!約束する!」とラトゥールに強く訴えました。



杉村はラトゥールにIOC委員を辞任すること、東京にオリンピックが来るなら
自分は喜んで身を引くことを伝え、その場を去っていきました。
そんな杉村にまーちゃんは、ローマが降りたのは杉村さんの功績と言葉を贈りました。
視察の最終日の挨拶でラトゥールは「戒厳令の町で子供はスポーツに夢中だ、この国は
オリンピック精神が満ちている、弁当箱の中にまで」とご機嫌に語りました。
弁当箱、そう、あのとき下町でお腹が空いたラトゥールに清さんが出した自分の弁当は、
一面白いご飯に梅干しの「日の丸弁当」で、絶妙にラトゥールの心を打ったのでした。



ラトゥールは挨拶の中で「オリンピックはアジアにも来るべきだ」と語り、関係者
一同に大きな期待を持たせました。
帰国の途につくラトゥールは人力車の中から東京の町を走るカナクリを見た気がして、
「アラヨット(清さんのこと)ストップ!」と車を停めてもらいました。
まーちゃんはラトゥールの勘違いだと言って車は動き出したのですが、じつは四三が
小松と共に熊本から上京していて、ラトゥールの見間違いではなかったのでした。






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Last updated  September 10, 2019 09:25:30 PM


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