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September 17, 2019
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カテゴリ:気になるTV番組
2019年NHK大河ドラマ 『いだてん~東京オリムピック噺』
第35回の部分的な感想です。

1912年のストックホルム大会で2人の日本人選手
(三島弥彦と金栗四三)が初めてオリンピックという
ものに参加してから、日本人は大会ごとに少しずつ
スポーツの力をつけていき、1932年のロサンゼルス
大会では水泳陣が大躍進しました。

陸上でも少しずつメダリストが増えていったものの、
金栗四三(中村勘九郎さん)から始まったマラソンは
どうしても獲りたい金メダルでした。

そしてこの1936年のベルリン大会で、孫基禎選手
(日本の統治下にあった朝鮮国の選手)が、ようやく
悲願を達成しました。

孫選手が1位で競技場に戻ってきて、優勝のテープを
切った瞬間に嘉納の「やったぞーっ!」叫ぶ声。
ラジオの実況を聞いて歓喜の涙が止まらない四三、
歓声をあげて狂喜乱舞する人々、・・etc。
どれもがやはり、じーんとくる光景です。

そして現地の様子を伝える報道関係も、オリンピック
ごとに進化していくのも興味深いものです。
ロサンゼルス大会のときは時間差のラジオ中継だった
のがベルリン大会では実況中継に。
ただまあ時差の関係か、当時の日本の事情か、競技中
だろうがなんだろうが午前0時になったら放送は終了
というのも、日本人らしいなとも思いました。

ところでアナウンサー・山本 照 役の和田正人さん、
この部分だけ本職の方が演じているのかと思ったくらい、
当時のアナウンサーらしいしゃべり方でした。

『いだてん』の序盤の頃に、落語家の橘家圓喬を演じた
松尾スズキさんの演技も、本職の落語家かと思ったほど
素晴らしいものでした。

選手役の俳優さんたちも、水泳や走りの指導を受けて
いかにも選手らしい演技をしています。
役者の皆さんの、自分の役作りのために重ねる稽古と
意気込みは、本当にすごいですね。


弟子の小松 勝(仲野太賀さん)を連れて上京した金栗四三(中村勘九郎さん)は、かつて
下宿していた黒坂辛作(三宅弘城さん)が営む播磨屋に無事着きました。
そしてそこには関東大震災で消息不明となったシマの娘の増野りく(杉咲 花さん)が
お針子として働いていて、父・増野(柄本 佑さん)とも感動の再会となりました。
ただ可愛い娘・りくに対して小松が馴れ馴れしいので、増野はカチンときています。



昭和11年(1936)7月31日、明日オリンピック開幕を控えたベルリンでは、次回の
1940年のオリンピック開催地を決めるためにIOCの総会が開かれていました。
フィンランドのヘルシンキと一騎打ちとなった日本は、嘉納治五郎(役所広司さん)と
副島道正(塚本晋也さん)が思いの丈をこめて投票を控えた委員たちに訴えました。



嘉納は全体の半分弱は票を固めたと見ていて、あとは中国代表の王正廷(ホァンシーさん)が
どう動くのかが気になるところでした。
このときは満州事変(1931)の後で日本と中国の関係は悪化していて、王はまず東京には
投票しないだろうと嘉納は思いつつも、王が東京へ投票してくれた気がしたのでした。



全投票が終わり、開票の結果、次回の開催地は東京に決定しました。
王はやはり「TOKYO」に票を入れてくれてたのでした。
「同じアジア人として私、東京を支持するしかなかった。スポーツと政治、関係ない。」
そんな王に深く礼を言いつつ嘉納は握手を求めましたが、難しい立場にある王は握手を
返すことなく、その場から去っていきました。



1940年のオリンピックが東京で開催されると報じられ、国民は誰もが喜びにわきました。
アドロンホテルのラジオ実況ブースから嘉納と副島がオリンピックへの思いを語ります。
24年前のストックホルム大会で日本人のオリンピック参加への道を開いた金栗四三と
三島弥彦に嘉納は礼を伝え、他にもオリンピックのために努力してきた人たちに、嘉納は
その名を呼んで礼を伝えていきました。



東京は3日間、人々はお祭り騒ぎとなり、二・二六も戒厳令もすっかり忘れ、花火を
打ち上げ提灯行列でオリンピック開催を祝いました。
そんな中、小松と四三は「東京まで4年しかない」とより一層練習に励んでいました。
(この日本橋からの風景は、24年前とは全然違う風景になりました。 ⇒  第6回



そして1936年8月1日、ベルリンオリンピックが開幕となりました。
しかし街には五輪の旗とナチスの旗が並んではためき、大勢のナチスの軍人たちが軍靴を
響かせながら行進していく様は、まーちゃん(田畑政治)の目には異様に映りました。



開会式では何もかも絢爛豪華、そのスケールと完成度、ドイツ人らしい統制のとれた
演出に、次のオリンピックを控えた日本はただただ圧倒されました。
そんな嘉納にIOC会長のラトゥールは「東京は東京のやり方でいい。期待しているよ」
とアドバイスをくれました。
ただ嘉納と副島は、東京オリンピックはアジア共通の悲願なんだと信じつつも、東京に
票をくれた中国の王正廷が祖国で非難の的になるだろうと彼の身を案じていました。



このオリンピックはナチスの監視下にあり、至る所にナチスの兵士の目が光っていました。
それが何を意味するのかがまるで分かっていない日本人選手たちは、ナチス式敬礼の
「ハイル・ヒトラー」を面白がり、何かにつけてやって笑っていました。



しかし当時ナチス政権はユダヤ人を迫害していて、このオリンピック期間中のみ差別を
緩和して、わざとユダヤ人を各所に配置して「平等」をアピールしていました。
日本人選手の世話役のヤーコブ(サンディー海さん)もその一人で、ナチスの目は彼に
とってまさに死活問題であり、ヤーコブはナチス兵士が近づくと恐怖で顔色がさっと
変わり、「ハイル・ヒトラー」と敬礼してヒトラーへの忠誠と称賛を表すのでした。



試合が始まり、陸上では田島直人選手が三段跳びで金メダル、走り幅跳びで銅メダル、
棒高跳びでは西田修平選手と大江季雄が5時間を超える死闘の末に銀と銅のメダルを、
三段跳びで原田正夫選手が銀メダルを獲得するなど、大活躍でした。
そしていよいよ金メダルの期待がかかるマラソンで孫基禎選手と南昇竜選手(どちらも
日本統治時代の朝鮮の選手)が登場し、号砲とともにマラソンが始まりました。
しかしマラソン中継の途中でアナウンサーの山本 照(和田正人さん)から、午前0時に
なったので放送を一旦終了するなんて言葉が。



ラジオの前で真剣に中継を聞いていた人々は、放送終了に信じられない思いでした。
ドイツと日本の時差は8時間、現地時間午後3時にマラソンが始まったから1時間後に
放送が終わってしまったということですね。
そんな中、金栗四三と小松勝はベルリンで戦っている孫と南に届けとばかりに、夜中の
東京を走ってエールを送りました。



そして日本時間の朝6時30分、マラソン中継が再開されました。
結果は孫基禎選手が見事に金メダル、南昇竜選手も銅メダルでした。
四三から始まって24年、日本のマラソン界にとって悲願の金メダルです。
ただこの頃は朝鮮国が日本の統治下にあったため、表彰式では孫・南の両選手にとって
不本意な部分もあったと思いますが・・・



スポーツを愛する日本の人々は孫選手と南選手を一生懸命に応援していました。
両選手が走る足袋を作った黒坂辛作(三宅弘城さん)は、どの国の選手だって俺が作った
足袋で勝ったら嬉しいと言い、皆も同じ思いでした。
「これは播磨屋の金メダル!」ーー皆で辛作を胴上げしました。






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Last updated  September 17, 2019 08:08:50 PM


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