幸せに日向ぼっこ

2021/01/26(火)16:53

大河ドラマ『麒麟がくる』第42回~強権と引き換えに孤独になり疑い深くなっていく信長と、愚直過ぎる光秀の対立がいよいよ決定的に

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2020年NHK大河ドラマ 『麒麟がくる』 の感想です。 今回はラストで、明智十兵衛光秀@長谷川博己さんと 織田信長@染谷将太さんの、お二人の白熱した演技に 見入りました。 信長が自分に逆らう光秀に怒り狂い、光秀を扇子で打ち すえる場面があるのですが、その前のやりとりから信長 @染谷さんがずっと涙目なのですよね。 怒りとともに寂しさや悲しみや不安定を表すような。 そして同時に光秀の愚直なまでの不器用さ。 これが貧しい百姓の出で、おそらく生きるためになんでも してきたであろう秀吉ならサラリと嘘を言うでしょう。 でも越前で貧乏暮らしをしたとはいえ武士としての誇りを 失うことなくきた光秀だから、その場を切り抜けるための 必死の嘘が言えないのです。 まあカンが鋭い信長にはすぐ見破られるかもですが。 そして今回ドラマ全体にあったのが、信長に関わる人たち (羽柴秀吉、宣教師)は信長を絶対的な存在に置こうとし、 光秀に関わる人たちで帝と徳川家康は信長に警戒心を抱き、 将軍・足利義昭は信長がいなければと、それぞれが光秀に 心の内を語っているのだけど、それが光秀の信長に対する 違和感と一致していきます。 まあ人は同じ話を聞いても、自分の心の中のフィルターを 通して自分の聞きたいように聞くものです。 でもドラマのこの流れでは、光秀が自分が感じる違和感が 周りの皆が言うことと合致する、自分の考えは正しい、 そう思っても仕方がない、そんな印象でした。 (かく言う私も自分のフィルターを通して見てますから) 各地の大河ドラマ館もオープンしています。 (それぞれにコロナ拡散防止のための注意事項はあります) 期間は2月14日(日)まで延長になっています。    ↓   ↓   ↓ 岐阜 大河ドラマ館   ぎふ恵那 大河ドラマ館 可児 大河ドラマ館   京都亀岡 大河ドラマ館 ※こちらも盛り上がっています。 ⇒  #麒麟がくる 天正6年(1578)秋、摂津の有岡城城主の荒木村重(松角洋平さん)が織田信長を 裏切って城に立てこもり、荒木を説得するために明智十兵衛光秀(長谷川博己さん)と 羽柴秀吉(佐々木蔵之介さん)が有岡城に赴きました。 秀吉の恫喝的な言い方にもひるまない荒木に、光秀は何が不満なのかを尋ねました。 荒木には、信長が摂津の国に過酷な税を課すので国衆や寺社が自分を恨んでいる、恩のある 将軍・足利義昭をみじめな形で京から追い出したのは許せない、毛利は将軍・義昭を再び 京に戻して政を行うというので自分もそれに従いたい、という思いがありました。 全ての争いが将軍・足利義昭(滝藤賢一さん)につながっているのをなんとかしたいと 思う光秀は、陣に秀吉がいない間にと備後の鞆にいのところにやってきました。 義昭に従う渡辺民部に釣竿を渡された光秀は海にいる義昭のもとへ行き、一緒に釣竿を海に たらしながら荒木のことや毛利の動きを義昭に語りますが、義昭は毛利が自分を都合よく 使っていることをちゃんとわかっていて、この鞆の地に留まっていたのでした。 義昭に将軍として京にもどらないかと光秀が尋ねると義昭は、以前兄・義輝が三好一党の 誘いで京に戻ったが政治の実権もなくしまいには殺された、信長がいる京には戻らない、 光秀一人の京なら考えると答えました。 そんな話をしていたら光秀の竿に鯛がかかり、二人は夢中で大鯛を引き上げていました。 光秀の顔を見て久しぶりに胸の内を語れた義昭には、大和で政とは無縁の僧として民衆に 施しをしていた時のあの優しい笑顔が戻っていました。 数日後に光秀が摂津の陣に戻ると秀吉が先に戻っていて、光秀を問い詰めました。 荒木をどうしたらいいか信長に判断を仰ぎに行っていて正当性のある秀吉に対し、鞆に 行ったとしか言えない光秀は分が悪いので、このときはこれから荒木の説得に一人で行く と言って勢いで秀吉を黙らせて立ち去りました。 ただ鞆と言えば秀吉もすぐピンとくるし、この口喧嘩に勝った状態は、出世して光秀と ほぼ対等の立場となった秀吉に禍根を残すことになったでしょうね。 光秀の説得は荒木には通じず荒木は籠城を続け、荒木の嫡男・村次に嫁いでいた光秀の 長女の岸(天野菜月さん)は離縁され、父・光秀の元に戻ってきていました。 自分の至らなさを父娘は互いに詫び合います。 明智左馬助(間宮祥太朗さん)は岸が生まれたときからずっと傍で成長を見守ってきた分、 岸が不憫でなりませんでした。 (この後、有岡城にいた者たちは全て悲惨な最期となるので離縁されて追い出されてまだ よかったし、後に岸はこの左馬助と再縁して山崎の戦いの後に結局は死ぬことになりますが、 自分を大事にしてくれる夫・左馬助の手で最期を遂げることができてよかったと思います) 寝返った荒木にもう容赦はしないと織田信長(染谷将太さん)は家臣たちに非情な 命令を下しますが、光秀の表情に何か言いたげなのを見て信長は問いました。 光秀は、織田は今、毛利、本願寺、赤井、波多野、東に武田勝頼と一つの輪になった敵に 囲まれているから荒木とは争うべきでないと主張します。 しかし信長は、毛利と本願寺は朝廷を通じて和議を結ぶ、東は徳川家康が始末をつけると 強気で、毛利と本願寺の和議は確かではないと佐久間信盛が進言しても信長は聞き入れず、 逆に佐久間の働きの悪さを万座の中で叱り飛ばすだけでした。 天正6年(1578)末、織田信長は荒木村重のこもる有岡城を力攻めにしましたが、城の 守りは堅くて1年にわたる持久戦となりました。 そんな頃(1579)、忍びの菊丸を通じて密かに徳川家康(風間俊介さん)と会うことに なった光秀は、摂津沖に浮かぶ家康の船の中にいました。 家康は正妻の築山殿と嫡男の信康を斬れと信長から命令される難題を抱えていて、その 相談に幼い頃から知っていて和歌の師匠・三条西もよく知る光秀を頼ってきたのです。 家康は、たとえ信長の命であってもあまりに理不尽なことには従わないと決めています。 後日、光秀が京の二条の館にいる信長の元に行くと、信長が庇護する宣教師(マンスル・ ファーケルさん)たちがいて、信長に西洋の話をしていました。 宣教師が「我らをここに遣わしたのは逆らえぬ力、我らの神の力です」と語る話を信長は 気に入っていたようでした。 織田方の九鬼水軍が毛利水軍を破り、毛利の援護がなくなって本願寺がやっと弱って きたので信長は上機嫌でした。 そこへ光秀が徳川家のことを出して徳川家への対応を考えるよう進言しますが、自信に あふれる信長は白黒はっきりさせたいのだと聞く耳を持ちません。 家康は、もし我が息子に不始末があれば自分が処断する、他家から指図はされない、 三河にも誇りがあるという自負心がありました。 そして信長の徳川との同盟に疑念を抱く家臣の中には、信長がわずかな供周りのときなら 「今なら討てる」と考える者もいると光秀に話していました。 光秀にとっては信長を思えばこその進言でしたが、今や自分を讃える者ばかりに囲まれ 自分を否定する者などいない信長なので、光秀の反論は煩わしいものでした。 しかも光秀は自分に内緒で帝と会っていて、そのときにどんな話があったのかをいくら 訊いても光秀は一切言わないので、強い腹立ちのあまり光秀を扇子で打ちすえました。 信長は親の愛が薄く、妻の帰蝶を心の支えにしてきたのに帰蝶は自分から去っていき、 表向きは順風満帆でも精神的に不安定だったでのしょうか。 信長は光秀が自分から離れるのが恐かったのか、怒りながらもずっと涙目でした。 信長は怒りを爆発させた後で少し落ち着いたかと思ったら、今度は「帝を変えよう」と 言いだし、光秀には1年以内に丹波を平定せよと命じて退出していきました。 信長の変貌ぶりに悔しさや怒りを抱えながら光秀が京の館に戻ると、細川家に嫁いだ次女 たまとの約束で薬湯を作って駒(門脇 麦さん)が待っていました。 将軍・足利義昭の思い人である駒は義昭から文を受け取っていて、文には鯛釣りのことを、 そして十兵衛(光秀)となら麒麟が呼んでこれるやも、とあったと語りました。

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