大河ドラマ『光る君へ』第16回~「華の影」
2024年NHK大河ドラマ 『光る君へ』 の感想です。この回では私は、人はその人の生まれ持った性格や能力に育った環境が加わると、ある価値観を持った人になってしまうのだな、と思って観ていました。栄華を極める中関白家で、身びいきの父・藤原道隆(井浦新さん)が、周囲の気持ちに配慮することなく、まだ若いのに位を強引なまでにグイグイと押し上げてしまった嫡男の藤原伊周(三浦翔平さん)。学問・芸事・武術など何をやらせても人より秀でていて、もちろんこれは本人が幼い頃より勉強や稽古に励んだからなのですが、それでもできてしまう伊周です。加えて見た目も麗しいし、父が高位を授けてくれます。苦労知らずの伊周は、万能感にあふれていますね。これは伊周が育った環境が、父も母・高階貴子(板谷由夏さん)も優秀で、金持ちだから生活のために働くことを考える必要もなく、優秀で自分たちは他者より優位に立つのが当然、という家だからでしょう。伊周が若さの勢いもあるけど万能感に少々生意気さを感じてしまうのは、その前の話で藤原道兼(玉置玲央さん)の人生が描かれたからだと思います。道兼が努力しても報われない人生とか、父の裏切りで一度はどん底に落ちた人生を見せてくれたので、人の心の痛みをまだ知らない、父・道隆からの優遇を当然のように受けて進むだけの伊周が軽く見えるのです。同時に余計な見栄とかを捨てて自分らしく生きるようになった道兼が肩の力が抜けた感じで、「汚れ仕事」と言っても政務者としてだけど下々への思いやりを感じられるようになったのがいいですね。こちらでは様々な意見がでていて参考になります。 ⇒ ⇒ #光る君へ 正暦5年(994)、中宮・藤原定子(高畑充希さん)のいる登華殿は帝(一条天皇;塩野瑛久さん)のお渡りが多く、若い公達たちも集って華やかさを増していました。定子の兄で中関白家の藤原伊周(三浦翔平さん)は、帝との親密さを殊更に周囲に見せつける形となりました。藤原行成(渡辺大知さん)や藤原斉信(金田哲さん)はそれぞれに帝や中宮に気の利いた贈り物を献上し、若い二人は感激して快く受け取っていました。定子は公達たちに、末永く帝の良き友であるようにと言葉をかけました。登華殿に皆が集まったこの日は雪が積もっていて、さて帝と何をして遊ぼうかとなった時、定子は少納言(ききょう;ファーストサマーウイカさん)に「香炉峰の雪はいかがであろうか。」と問いかけました。定子の意図を瞬時に理解したききょうは女房たちに御簾を上げるよう言い、そして帝と定子に廊下まで出てくるように促しました。これの意味がわからない者のために藤原公任(町田啓太さん)が、これは白楽天の詩で『香炉峰の雪は簾をかかげてみる』ということだと解説をし、定子はききょうを「見事であった」とほめました。それから定子は皆に雪遊びをしようと提案し、定子は嬉しそうに裸足で雪が積もる庭に下りていきました。帝や他の者たちも定子に続き、若い皆は無邪気に雪遊びを楽しんでいました。中宮・定子の登華殿に対しては経費のことなどで、定子の叔父ではあるけど中宮大夫の藤原道長(柄本佑さん)には思うところがいろいろありました。道長は定子に進言したかったのですが、登華殿は帝もいていつも賑やかで楽しそうなので、道長も皆の気分を壊すことは言いにくいままでした。ただ帝の母である女院の藤原詮子だけは、時折り登華殿を訪ねては皆に気遣うことなく苦言を呈していました。すると伊周が女院に対し「これが帝が望んでいる新しき後宮の姿」と堂々と意見を述べて女院に理解を求め、伊周の父で関白の藤原道隆は満足そうでした。この時の光景を見ていた藤原道綱(上地雄輔さん)は弟の道長に興奮気味に話し、そのついでに先日の石山寺であった出来事も話しました。まひろのことはもう忘れたつもりだった道長だけど、兄・道綱がまひろに手を出しかけたと知り、道長の心中は穏やかではありませんでした。ところで、この頃は御所内の後涼殿と弘徽殿で火事が相次ぎ、次はどこかと関白・藤原道隆(井浦新さん)の妻の高階貴子(板谷由夏さん)は不安がっていました。さらに貴子は、この家への妬みが帝や中宮(定子は道隆と貴子の子)に向かっているのかと心配になりました。その話を聞いて次男の藤原隆家(竜星涼さん)は、犯人は女院か?と軽口を言い、妬まれて結構と笑っていました。道隆が「女院(道隆の妹)が我が子の帝に危害を加えるとは思えない」と言うと隆家はならば父上を恨む者だと言い、兄の伊周が隆家をたしなめました。でも道隆は「光が強ければ影は濃くなる。恨みの数だけこの家は輝いているのだ。私たちが動揺すれば相手の思う壺。動じないのが肝心だ。」と笑っていました。中関白家は栄華を誇っていたこの時、都では疫病が広がっていて、公卿たちは早く疫病の対策をすべきと関白・道隆に何度も提言していました。しかし道隆はそれを無視し続けていて、陰陽師の安倍晴明は疫神が通る(疫病が蔓延する)と予言し、果たしてその通りになりました。帝も疫病と民のことを案じていましたが、道隆は帝にそのようなことは考えずに国家安寧のために早く皇子を、というばかりでした。そんな中、道隆は伊周を内大臣にし、伊周は叔父の藤原道兼(玉置玲央さん)に挨拶をしていました。道兼は伊周に政務者として疫病のことを問うと伊周は、疫病は貧しい者にうつる病だから自分たちは心配ない、と気にもとめていない様子でした。伊周の姿勢に道兼が苦言を呈すると、道兼の昔を知っている伊周は道兼にそれをにおわせるように反論し、道兼の忠告を聞こうとしませんでした。ある日、まひろ(吉高由里子さん)の家にかつて文字を教えていたたねが突然やってきて、両親が悲田院に行ったきり帰ってこないと窮状を訴えていました。従者の乙丸は悲田院に行くのは危ないとまひろを止めましたが、まひろはたねと一緒に行ってしまいました。悲田院には疫病にかかった者たちが苦しそうにしてそこらじゅうに横たわり、息絶えた者はすぐに運び出さなけれないけない有様でした。たねの両親も息絶え、やがてたねも命を落としました。まひろは見ず知らずだけど病に苦しむ者たちを放ってはおけず、悲田院に泊まりこんで、懸命に病人たちの世話をしていました。疫病の対策を急がねばと考える道長は兄の道隆に相談しましたが、道隆は疫病は自然に収まると言うばかりで、それでも道長は関白の兄から帝に奏上してほしいと訴えましたが、道隆は聞き入れるつもりはありませんでした。それどころか帝と中宮を狙った相次ぐ放火のほうが一大事、道隆は中宮大夫だがどうするつもりだ、役目不行き届きだ、と言って道長を下がらせました。道長は退室した廊下で次兄の道兼と会い、道隆が声をかけると道長は、道隆と話しても無駄なので様子を見に悲田院に行く言うと言いました。すると道兼は「都の様子は俺が見てくる。汚れ仕事は俺の役目だ。」と言って、すぐに外に出ていってしまいました。「汚れ仕事」という道兼の言葉には昔のような妙な含みはなく、政務者の一人として民のことを考えている姿勢がありました。兄・道兼を追って道長も悲田院に着くと、そこには惨状が広がっていました。庭には多数の死人が横たわり、薬師たちも何人か疫病にかかって倒れ、今動ける者は看病にてんてこ舞いでした。道兼が薬師の派遣を内裏に申し出ようと言うと、これまで何度も自分たちが申し出ていたけど何もしてもらえないと言われ、道兼は言葉を失いました。(昔の道兼なら下の者から「あんた」呼ばわりされたら怒ったと思います。でもどん底に落ちてから無理をせず生きることを知った道兼は、自分のことよりも苦しむ民草のことを考えるようになったと思います。)やがてまひろも疫病になって倒れかけたときに、悲田院に来ていた道長と出会い、意識のないまひろを道長が家まで送ってくれました。まひろの家に着くと道長はまひろを抱きかかえて家に入り、まひろの部屋まで乙丸に案内させました。父・藤原為時(岸谷五朗さん)が慌てて枕元に駆けつけると道長は、自分が看病するからと言って為時といと(信川清順さん)を下がらせました。道長が大納言と知る為時は、どうして道長がまひろのためにここまでと思いつつ、道長の命なのでまひろの看病を道長に任せて下がり、いともまひろが石山詣での土産にくれたお守りに病気の快復を祈っていました。まひろの従者の乙丸(矢部太郎さん)と道長の従者の百舌彦(本多力さん)は久しぶりの再会となったのですが、互いの主人が突然このような状態になってしまったため、二人とも眠れぬ夜を明かしました。(ところで、ここでふと疑問が。石山詣でのときも乙丸は廊下で座って寝ていて、これは旅先や今回のような非常時の警護だから、という理由だったのでしょうか。ふだんの生活でも主人のために座って寝るとなると、かなり体がキツイかと。)病でうなされるまひろを看病しながら道長は、なぜ悲田院にいたとか、あの時に言っていた「生まれてきた意味」を見つけたのかとまひろに語りかけ、そしてまひろに「逝くな、戻ってこい!」と強く呼びかけました。道長の必死の看病の甲斐あって、翌朝まひろの容態は落ち着きました。為時は道長に夜通しの看病の礼を厚く述べ、道長には大納言としての政務があるから帰るよう促しました。まひろのことが気がかりだけど為時のいう事ももっともなので、道長はまひろが気がつかぬまま妻・倫子が待つ屋敷に帰宅しました。明け方に戻ってきた夫・道長の様子で何かおかしいと倫子は感じ、妾の明子でもない女人の存在が道長の心にあると直感しました。