大河ドラマ『麒麟がくる』第34回~松永久秀って別に悪人じゃない?そう思わせる吉田鋼太郎さんの演技が絶妙です
2020年NHK大河ドラマ 『麒麟がくる』 の感想です。京の都がだんだんややこしくなってきました。対立が深まる将軍・足利義昭と織田信長、二人の対立を陰で煽る摂津、その信長は将軍のお守りに疲れたようで帝ファーストに心変わり、でも帝は信長を利用するだけ。登場人物の内面を考えると思わず緊張しそうな場面が多々ある中で、なぜか松永久秀を演じる吉田鋼太郎さんが出てくると、妙にホッといたします。よく演劇界では、同じ人物の役でも、脚本や役の解釈や演じる人が違うと、見る側の印象がまるで違うと言われますが、このドラマでの松永久秀はまさにそれでしょう。これまでの戦国ドラマでは信長が中心となって、たまに出てくる松永久秀なんて本当にラストの爆死ぐらいしかインパクトがなかったけど、今回は違います。松永久秀は奈良で戦を起こして東大寺や興福寺を焼いてしまっているのに、このドラマの中では「そんなこともあったけどね」って感じで、なんか憎めないのです。逆に、だから比叡山の焼き討ち後に精神的に苦しむ明智十兵衛光秀(長谷川博己さん)も、松永の話で気持ちが救われてしまうのでしょうか。この先、松永と信長の関係も複雑になっていきますが、どういうやり取りが起こるか、楽しみであります。各地の大河ドラマ館もオープンしています。(それぞれにコロナ拡散防止のための注意事項はあります) ↓ ↓ ↓ 岐阜 大河ドラマ館 ぎふ恵那 大河ドラマ館 可児 大河ドラマ館 京都亀岡 大河ドラマ館 ※こちらも盛り上がっています。⇒ #麒麟がくる 元亀2年(1571)9月、織田信長(染谷将太さん)は比叡山延暦寺を攻撃し、そこにいる者は僧兵だけでなく女・子どもも含めて全て討てと家臣たちに命じました。僧侶たちの首を検分して悦に入る信長に明智十兵衛光秀(長谷川博己さん)は、自分の一存で明智の家臣には女・子どもは討たせなかったと報告します。信長は光秀に、比叡山の・子どもは心に刃を持っている、他の者なら軍律違反で打ち首と忠告しつつ、今回は光秀の働きに免じて許すと言って去っていきました。信長の比叡山焼き討ちのことを将軍・足利義昭は激しく怒っていました。義昭の怒りと、筒井順慶(駿河太郎さん)と松永久秀の争いを利用して側近の摂津晴門は、筒井と松永のそれぞれの背後となる将軍家と織田家を戦わせようと画策していました。そして二条城には比叡山から逃れてきた人たちが傷の手当てを受けていて、それを見た順慶は自分の育った大和も松永に荒らされ東大寺や興福寺が焼かれたと怒りがよみがえり、将軍の力を借りて松永と戦をすると将軍の思い人の駒(門脇 麦さん)に語りました。うたた寝の中で娘たちが戦に巻き込まれる夢を見た十兵衛は不安になり娘たちを探すと、長女の岸は明智左馬助に手習いを教わっていましたが、次女のたま(竹野谷 咲ちゃん)は藤田伝吾(徳重 聡 さん)に頼んで鳥を見に市場に出かけていました。しかしそこでたまは、明智を恨む者たちから投石され流血の怪我をしました。(姫様の外出らしく、ちゃんと供の者を数人連れてました)伝吾はたまの怪我の手当てのために望月東庵(堺 正章さん)のところに駆け込み、知らせを聞いた十兵衛は東庵のところに駆けつけました。たまは父・十兵衛に鳥が大層きれいだったと嬉しそうに話した後で真顔になって、市場に行きたいと自分がせがんだせいだから伝吾を叱らないでほしいと父に訴えました。さらにたまは、父上はやむを得ず戦をしていると母上から聞いた、と十兵衛に伝えました。たまは物事の道理をわきまえた家臣にも思いやりのある聡明な姫様です。東庵のところで駒から、将軍・義昭が信長から離れようとしている、近いうちに順慶と松永が戦をするからそのとき義昭は筒井の後ろ盾になる、と聞いた十兵衛は戦を止めるために下京の筒井順慶の宿所に行って話をしました。順慶は十兵衛に、義昭から聞いた話と違う、自分は信長と敵対するつもりはないと説明しつつ、しかし大和に踏み込んでくる松永を許せないと言います。そこで十兵衛は、大和に戻る前に堺に寄って、松永と話をしたらどうかと提案します。堺の今井宗久の館に着いた十兵衛と順慶は、茶会の前に松永と会うことにしました。階下の気配で順慶が来ていることを知っている松永久秀(吉田鋼太郎さん)ですが、振り返ることもなく自分に道を教えてくれるという易を続けています。互いに敵対している松永と順慶は茶入れの値踏みで軽く攻防。その後で松永は内密の話をするために十兵衛を部屋の外に連れ出しました。順慶との戦をやめてほしいと十兵衛は松永に言いますが、美しい大和の国を我がものにしたいと松永が言うので、十兵衛は松永に自分の志賀の領地をやるから、とまで言います。停戦のためにそこまで言う十兵衛に松永は半ば呆れつつ、古いものを守ろうとする将軍と古いものを壊そうとする信長はいずれ袂を分かつ、自分は(東大寺や興福寺は焼いたけど)比叡山の焼き討ちまではできない、と十兵衛に語りました。比叡山の焼き討ちの後に苦しみが続く十兵衛に松永は、信長を尾張から京に連れてきたのはそなただ、比叡山のことで苦しんでいるがあれをやらねばならぬと自分でもわかっているはずだ、そなたと信長は根が同じでいずれ将軍と対立する、と言いました。ただ志賀の領地をくれるとまでいう十兵衛の心意気を諒とし一旦は筒井との戦を止める、順慶と一緒に茶でも飲もう、と言って松永は茶室に向かっていきました。十兵衛は美濃の岐阜城に行き、松永が和議に応じたことを信長に報告しました。畿内で戦になれば帝の御心を悩ませる、停戦で助かったと信長の心の中では自分の尽くすべき存在がいつのまにか将軍から帝に変わっていました。驚く十兵衛に信長が、将軍・義昭の言う事はいちいち的外れ、だが帝の言葉は万事重く胸に届く、比叡山のことはやむを得ないと帝は自分を褒めてくれた、と信長は上機嫌でした。一方、京の御所では正親町天皇(坂東玉三郎さん)は東庵と囲碁をしながら話をしていました。帝は、昨日関白が来て世間話をしていった、帝が信長を使って弟の覚恕を叡山から追い払ったと世間は言っている、信長とは距離を置いたほうがいいと言った、と。しかし帝は、覚恕は僧侶でありながら都を我がものにしようとした、信長でなければ覚恕を追い払えない、信長が褒めてほしそうだったから褒めてやったと語りました。叡山から逃げ出した覚恕(春風亭小朝さん)は、遠く甲斐の国まで落ち延び、領主の武田信玄(石橋 凌 さん)の庇護を受けていました。信長に対して恨み骨髄の覚恕に信玄は、信長を討ち滅ぼすと決意を語りました。