マシンメイデン天上とは。 階級的なものではなく、寓話的なものでもないとすれば、それは、一体何なのだろう。 前置きもなく出来事は起きる。意味もなく現象は起きる。後もなく。唐突に。 鈴仙・優曇華院・因幡が機能を停止した。朝一番の挨拶がなかったことを不審に思った八意永琳が彼女の寝室まで訪ねに行ったところ、六畳一間のその上で煎餅布団に横たわり、半目を開けて貌を白くさせていた。 永琳は一瞥しただけで一言、 「死んだわね」 とくに何の感慨もなく月兎の死体を自分の研究室に持ち込んで防腐処理をし保存液にひたした。 因幡どもがそれについて囁きあっている間、頭領は青ざめた表情で永琳の部屋の前に佇んでいたという。 神。 エントロピーの極点であり、思想上の枠組。 はじまりに星があった。 おわりに星があった。 時間軸上に存在しない、囚われない、存在。 望み焦がれ手を伸ばすという行為は、いつまでも熱望していたい、という想いを一握もつ。時間を止めたいということだ。時間などというものに囚われているからだと言ったのは誰なのだろう。 私はレイセン。月の兵器群の一翼。私は戦うために生まれた。 月面は地上と戦火を交えている。ファーストコンタクトに失敗した双方がやむなく取った方法は、月面にとって終演を意味している。月は地球無しに留まれない。 どうでもいい。私はレイセン。戦うだけ。月面は生まれ故郷、地上の不細工な兵器は敵、姉妹達と戦術行動。それらは闘いという概念の上に成り立った草木に過ぎず、地下に埋もれる巨石にとっては身震い一つで滑り落ちるものでしかない。 ない、筈だった。私は否定し、拒否し、逃亡した。 私は乙種強襲型レイセン参壱玖蜂零伍番。巨石を捨て、浮き草だけがただよう物体。故郷に背を向け、天に蒼く輝く星へ渡った存在。 天上とは。 決してそれは、神の座ではない。 永琳が因幡の頭領を呼んだ。部屋の前で身動きしなかった兎の妖怪はぶるりと身を震わせて何用かと答えた。 「ひとっ飛び、あいつを呼んできて頂戴」 実に素っ気ない。因幡の目に気付いたか否かは定かでないが、永琳は右手を首元に当てて因幡を見、部屋の中へ帰っていった。因幡は一度だけ顔を俯けると脱兎の勢いで永遠亭を出て竹林を抜けた。 「それでなんだ? 私はまだ顔しか洗ってないんだが」 霧雨魔理沙はしょぼしょぼする目元をこすりながら胡乱に聞いた。欠伸一つ、右手で隠す気があるのか無いのか微妙なところに構え、へぶしとくしゃみを因幡にかました。魔砲使いの側頭部にソバットが決まる。 永琳は魔理沙を部屋の中に通す。因幡は意味もなく付いてくる。永琳はそれを見逃した。 「霖之助さんに聞けばもっといいのがあるかもしれないけど。貴女でも代用できるから文句言わないでしょ」 もっと言えば天狗か白沢か魔女でもよかったが、相性は魔砲使いのがもっともいいだろう。 魔理沙の眠気覚ましの一発は月兎を巻き込んで朝霧煙る薄明を一閃に切り裂いた。 どうして私は逃げたのかな? ああ、それは、天に昇ってみたかったからだ。 「うあ」 私は自分の小さなうめき声で目を覚ました。ゆっくりと目をしばたいて眼球表面の涙をぬぐい、三秒後に思考を立ち上げて意識を復活させた。枕元に師匠とてうぃが座っている。部屋の端で黒白の服がもごもごと箸と口を蠢かしていた。 「ああ……?」 白光。視界が消える。世界が白く塗りつぶされる。閾下。 ここはどこだ。わたしはだれだ。自己を確認せよ。状態を確認せよ。兵装を確認せよ。失敗。失敗。失敗。全て確認不能。汝は在らず。 「違う。あなたは鈴仙。鈴仙・優曇華院・因幡。私の弟子」 世界に暗黒の虫食いができる。急速に広がって全てを喰らう。黒に閉ざされた全ての中で先の声が浸透する。鈴仙。鈴仙。視界が加速して漆黒が加速し、より加速し、まだ加速し、さらに加速し、世界は先端から暗黒を破って生まれ変わる。 再起動成功。緊急状況終了。通常状態へ移行する。 師匠と、てうぃと、口の端にご飯粒をつけた魔理沙がのぞき込んでいる。 記録が残っていたため、全ての状況を理解した。私は光波ジェネレータの作動不良を起こして仮死状態になっていた。師匠が修理したそれを再び活性化させるために大出力の波動エネルギーを送り込んで呼び水とするため魔理沙が寝起きで呼ばれた。 夢を見ていた気がする。 どうしようもなく夢に過ぎないものを。 きっとそれは、届こうと藻掻きながら、しかし届かないことを期待している。いつまでも、いつまでも。 鈴仙は少し微笑んで、ありがとう、と皆に告げた。 |