全自動蓬莱蛇口燃え盛る紅蓮の炎は気焔を巻き、鉄火の如く荒れ狂う。神々しく轟々と息吹を轟かせ、大地の朱雀は不死を吐く。 「バァァァゼスト・バイ」 その中心で。 神の力をその身に纏い、死なずの身体は生を生む。消滅の原理が不滅の超定理に負け、爆熱となって紅の翼を飾る、その威容。 人でありながら人を超え、神にも比する死なき生。 死なずの人型・藤原妹紅。 在ってはならぬ、遭ってもならぬ――その存在こそ恐るべし。 「フェニックスッ!」 「――第弐の難題」 ドォン――と大地を燃やし、死なずの鳥は飛翔する。天の怒りに我が身を燃やし、向かう先には一人の貴人。 「砕けぬ意志の、仏の御石」 シンと玉の枝が静と鳴り、貴人の周囲に神器を呼ぶ。月を誘う五つの難題、第二のそれは磐石を呼び、不朽の院を顕現させる。院とは聖域。輝かしく孤高に立ち伸びる仏の御座にすくりと立つその麗人はまるで己が本尊とばかり。さもありん、十二単も霞まんばかりの麗しき流れるような黒髪はまさにぬばたまのそれ、その顔立ちは高貴の一言、その立つ姿は御伽噺の天女そのもの。さすればその方、恐れ多くも月の姫、蓬莱山の御名を輝夜。天孫も飲まれるたおやかな美貌が薄く笑いながら飛鳥を見る。不死の鳥が一気呵成に火の粉を舞わせ、磐石の仏院へ激突する。 ゴォン、 ゴォン、 ゴォン――! 憎悪と爆熱の神獣が、不朽の院の鐘を打つ。一度ならず二度三度、杭を打つように火の鳥は仏院を叩き、聖域を燃やし尽くさんと奇声を上げる。みしりみしり、と、一打ちごとに磐石のはずの基石が悲鳴を上げる。 ――忌々しい! ――忌々しい。 炎と聖域を隔てて、二つの意識が重なった。千年に及ぶ戦いの歴史において、怨念も憎悪も洗練された、その末の感情。同族嫌悪と名を変えて、二つの超常は対立する。 ある時は気まぐれに。 ある時は明確に。 そしてまたある時は、 「家の茶請けをどうするつもりだ――!」 憤怒の相で怒号を上げる妹紅に、 「知れた事――頂くのみよ」 氷の貌で残酷な返答をする輝夜。 ――至極現実的な理由で。 貴人の返答により一層怒り狂った火の鳥が、翼を織り畳んで火球となる。超重量の熱源が、とうとう磐石の礎を破壊する。 きいいええええええ! 爆熱の光球が唸りを上げて、院を上から下へと燃やし尽くす。本尊座に立つ輝夜は不愉快そうに眉を顰め、さっと玉の枝を振り上げた。 「死ぬほど痛がれ!」 妹紅の翼が羽ばたき一つ、轟音と共に纏っていた火球が撃ち出される。高次元火気が空気を延焼させ蔓延していた土気木気を巻き込みながら暴風と共に落下、輝夜の掲げる玉の枝と激突。その瞬間、彼女の周囲が陥没、次いで熱気により蒸発した。 輪廻の鳥、フェニックスの炎を消滅に転換して放つこの火球、一度放てば大地が揺れ、千里の彼方へ音を鳴らす。驚くべきはそれほどの技を枝一本で受け止める貴人の神通力か、熱気に晒されながら一時も揺れる事の無い玉の枝の神秘か。 「……ええい、あいも変わらず馬鹿力ねっ」 鋭く罵りながらさっと玉の枝を振り払う。火球は玉の枝に導かれるように、輝夜を避けて大地に落ちる。周囲を溶解させ地下へ埋没する神気の火球が輝夜の周囲を炎で覆い、しかし彼女自身は冷ややかな貌を崩さない。それは月のようにあやかしく。 ずどん、と、貴人と僅か三尺の間を置いて、炎の少女は地に降り立った。舐めるように燃え盛っていた火球の熱気は吹き飛ばされて消え、変わって白煙を上げはじめたそこに二つの不死は対峙する。 ――手が出せない。 妹紅は輝夜の懐に目をやった。落ち着いた重ね合わせの胸元に、不自然なほど盛り上がった程度の膨らみが見える。それこそ上白沢慧音が自慢げに持参し己もそこはかとなく楽しみにしていた、 「――よほど執着があるようね。この―― ――いもけんぴに」 「……んッ? ちょっといまだけ正気に戻るがなんでいもけんぴなんぞ盗むんだ。あるだろアンタのところ。いくらでも」 「あら、だってここしばらく貴女篭りっきりじゃない。身体に悪かろうと思って」 「ぬう……アンタに健康の心配されるとは。ありがとうとは言っておくわ」 「あらら、これはこれはご丁寧にどういたしまして……」 「最近慧音が里の雪掻きばっかりで構ってくれなくてね……あんまり人と話してなかったから危うく冬眠するところだったの」 「危ないわねぇ。家に遊びに来れば良いのに」 「面倒ごとが多いから、あんたのところに行くのいやなのよ……そんじゃ正気を失うわ」 「はいはい」 言うと同時、輝夜が玉の枝を突き込んだ。抵抗無く妹紅の腹部は貫通されるが、少女は無視して貫手を放つ。狙いは額。指三本を砕きながら頭蓋を吹き飛ばすものの、瞬きの間に再生した額が顎となって妹紅の貫手を噛み砕く。炎の少女の翼が広がり、くわっと開いた口から火炎が放たれた。全身を焼かれて輝夜は厄介そうに身じろぎする。突き刺したままの玉の枝を捻り込みながら、房の玉から五色の光線を撃つ。発破をかけられたように妹紅の身体が中心部から爆散、炎の翼が残り香のように火の粉と舞った。同時に輝夜に纏わり付いていた炎が絶命確定の範囲を炭化させる。両名死亡を確認した各々の蓬莱の薬が別宇宙から必要元素を吸出し、妹紅と輝夜二人分の存在を確定、再現、復活させた。再び炎の翼を広げ神気を練る妹紅に対し、輝夜の動きは即座の一言。流行りの弾幕ごっことは似て非なるこの永久遊戯、唯一の縛りは消滅それのみ。 岩石層を砕く音と共に、金剛石の大黒柱が直下から起立する。続いて二本、三本、さらに梁が渡され、塔が建ち、講堂が建ち、門が建ち、蓬莱山輝夜を本尊とする金剛石の仏閣が建立した。これぞ貴人が所持する五つの至宝がその二、ブディストダイアモンド。続く一息の間に、本尊の光背から金剛石の輝線が奔る。陽炎を揺らめかせながら瞑目する炎の少女は甘んじてそれを受け、成仏昇華する寸前に活目した。 ――『凱・風・快・晴ッ』―― 少女の全身が、貫く輝線を巻き込んで爆発する。藤原一門に連なる血筋と格式をもつ妹紅の魂が地脈を動かし血脈を穿つ。 燃え上がる妹紅の翼を、輝夜は睨む。 同時、これまでとは趣を異にする地響きが来た。地殻の更に奥深く、大地そのもの、惑星の息吹が噴出しようと身悶えている。ごおう、ごおうと妹紅の笑い声が竹林に響き、赤熱した血脈を呼び寄せる。 ――『フ・ジ・ヤ・マ、』 ヴォルカ――――――ノッ! 瞬間、大地が破裂した。マントル層から地殻を突き破り進入してきたマグマが間欠泉の如く立ち上り、妹紅の哄笑に合わせて周囲に満遍なく一万度超の熱波と溶岩を撒き散らす。 「……活火山とはまた、迷惑な! 竹が燃えたらイナバが悲しむでしょうにっ」 自分のことを棚にあげて罵る。玉の枝を縦横に三度振って足を打ち鳴らし、短い呼気の後に仏閣全体から金剛石の輝線を放った。高熱の濁流を吹き飛ばす勢いで輝きは溶岩流を貫きに貫き、しかし溶岩流は留まらない。金剛の仏閣をじわりじわりと侵食し、妹紅の熱気は輝夜を目指す。 ――飽きたなぁ。 溶岩流となり侵攻していた妹紅の意識が呟いた。呟きは気力の激減を示し、苛烈な進撃を緩め衰えさせやがて冷却作用により完全に中断する。蓬莱の薬効果により忽然と人型として現出した妹紅は、 ――腹減ったしなぁ。 と思い、止め止め今からアンタの寝床に行くわよ、と輝夜に言い、ブディストダイアモンドを引っ込めた輝夜は、あらやだ妹紅ったらそんなはしたない、でもどうしてもと言うならいま此処でもいいわよ? と言って来たので、 「馬鹿じゃないの」 と蹴り飛ばした。 「きゃあー妹紅、不意打ちなんて、あなたも成長したのねっ」 やはり宇宙人は変態だ。妹紅は自分の認識の正しさを改めて実感し、くねくねと喜んでいる阿呆の襟首を掴んで飛び上がろうとした。炎の翼は広げると周囲を紅と燃やすので輝夜の身体は一瞬で燃え尽き、すぐに復活してまたくねくねと喜びだした。 結局、飛び上がることは出来なかった。大地が再び鳴動しだしたのだ。 「……?」 妹紅は訝しげに足元を見、ついで首を横にめぐらした。見えたのは、噴煙を上げる巨大な穴――フェニックスの火球によって出来た穴だ。鳴動はその奥からのような気がする。 もしかしたら、と妹紅は思った。この辺りは地盤が緩いのだろうか。だとしたら溶岩を呼んだのはまずかったかもしれない。しかし今まで何度となくこの辺りでドンパチやっていたけどそんな感じはしなかったし、それに鳴いているのは火山口ではなく、だったらこの地響きは一体何事だろうか、わけわかんない。 「とりあえず逃げた方が良いのかしら」 「ん、え? うーん、わざわざ危ない事することもないしねぇ」 「そうねそんならわおッ」 ごごごろごろごろごごごごん。 激震する大地は直立を許さず、妹紅と輝夜は地面につんのめった。遠く炭化を免れた竹林がざわざわと騒ぎ出し、二人のどつきあいに息を潜めていた動植物たちが悲鳴を上げながら我先へと逃げ出していく。妹紅と輝夜は二足歩行体の悲しさか、這いつくばって打撲傷を減らすしか手だてはない。 「ってか飛んで逃げりゃいいでしょうが!?」 「ああん妹紅ったら賢いっ」 「じゃかましいアホンダラッ」 翼を広げて大地を打った。作用反作用の原理で身体を浮かせ、空気を掴もうとする。輝夜は面倒なのか妹紅にまかせっきりだった。 それが、妹紅に悲劇をもたらす。 要するに、重かったのだ。輝夜の大して肉付きの良くない身体を包む、重装甲の十二単もどき……ゆうに本人の三倍はある。意外な重量に、妹紅は腰砕けになり、思わず輝夜の旋毛に唾を吐いた。 そして、激震は頂点を向かえる。その結果は、 火炎の孔から噴出する、 熱湯、 と言う形で現れた。悪いことに妹紅の位置は熱湯の直撃がぶち当たる場所であり、スローモーションのように迫る大量の瀑布を前に、妹紅は走馬燈を見た。 「ごぴょぶば」 女性的に出してはいけない奇声を最後に、妹紅と輝夜は水流に呑まれた。 「――ということが、あったらしいぜ、霊夢」 「それは、それは……」 その日も博麗霊夢と霧雨魔理沙はだらだらと日中を過ごしていた。しんしんと重く降り積もった雪が境内の殆どを覆い、銀雪の石畳からにょっきりと生えた鳥居が頭に雪を被って立っている。常に欠かさぬ境内掃除はここしばらく雪かきになっていて、それも今日ぐらい積もっていると意味がなかった。雲は重くたれ込めて、日中でも薄暗い。 境内では真新しい雪だるまが一つ出来ている。先ほどまでやいのやいの騒いでいた化け猫と伊吹鬼が作ったもので、無様だが如何せんでかい。もっと巨大な達磨を作りだしそうな気配だったので、霊夢がよそでつくれ、と言うと、 「じゃあ紅魔館いこうぜ!」 と雪玉をごろんごろん転がしながらぎゃはははという笑い声と共に境内から出ていった。おそらくフランドールでも連れ出してひょっこりひょうたん雪島遊びでもするつもりだろう。 「温泉ってことになるのかしらね」 「温泉って事になるんだろうなぁ」 藤原妹紅が偶然掘り当てた温泉脈は、不死人の戦いによってできた巨大な陥没跡に蕩々と流れ込み、いまや竹林に湯煙が立ち上るというひどく奇妙な光景を作り出した。 喜んだのは白玉楼の亡霊である。温泉発掘の訪を耳にするやいなや狂喜の歓声をあげ、池の飛石に生えた苔の具合に満足していた庭師の襟首を掴んで即座に現場にたどり着き、温泉の体裁を整えよ、と命じた。 実直な庭師は白玉楼の剪定がまだ終わっていないことを気にしながらも、主人の命令なので、しぶしぶ、熱湯の湧き出る穴に研磨した岩石を沈めて周囲を囲い、巧いこと竹の具合を合わせ、即席の脱衣所を精力的な勢いで造りあげた。興味津々で顔を見せたワーハクタクの手伝いもあり、なかなかどうして立派なものが出来ている、という話だ。 当人の妹紅と輝夜はまだ発見されていない。そのへんに埋まっているのだろう、死にはしないから出てくるまで放っておけ、と、ひとり焦る月兎を八意永琳はたしなめていたりする。正直彼女も温泉に気がむいていた。 幻想郷に温泉のたぐいは珍しくない。しかしそこら中にあるわけでもなく、少しばかり遠出をしなければならなかった。無ければ無くて構いはしないが、有れば嬉しい。そういうのが永遠亭にほど近い場所に湧き出てきたのだ。永遠亭に近い、もっと言うと、泊まるところのある場所に近い、と言うのが最大の要点である。 「雪見露天、てのも、なかなかおつなものじゃないか。どうだい、今晩あたりにでもひとつ」 「悪くない……悪くないわ。お酒が一献あれば、もっと良いわね」 「どうせ、いつもの面子が来てるだろ。なんなら伊吹鬼を連れて行けばいいさ」 「あんまり宴会って雰囲気じゃないけどね」 それから夕暮れになるまで、二人は温泉についてあれやこれやと話していた。 かぽーん。 『バンブー魂魄温泉白沢味』と書かれた暖簾をくぐって、霊夢と魔理沙はその温泉に足を踏み入れた。えらくしっかりした造りの脱衣所、というか、衣類置き場に着ていたものを投げ入れ、桶と手拭ひとつ頭に乗せて、 「「うひょーう……」」 と、同時に感嘆の声を上げた。 もうもうと立ち上る湯気が、銀雪に溶け込む。夜の深い闇のなか、雪のほの光る、整然とざわめく竹林の中……ひっそりと咲いた一輪のように。満天の星空が湯気に霞む。 浮かび上がる銀白。湯煙と夜気に見え隠れする竹、竹、竹、その伸びる先に、夜が。 水墨画のように。 「見事なもんだなぁ、霊夢――」 「見事なものねぇ、魔理沙――」 しばしそのある種恐ろしさを感じさせる光景に見とれ、へっくしとくしゃみを一つ、いそいそと湯船に近付いた。 掛け湯を二度。そのまま、足先を浸した。そして、ゆっくりと全身を沈める。 じんじんと肌に突き刺さる熱湯の感触に、しばらく二人は息を殺した。 「ぎゃははは見てみてちぇーんふらーんそうら背面バタフライ!」 「きゃはははは萃香すごいーへんたいだー!」 「あははははは私も私もー!」 ばっしゃんばっしゃんと大波が来て霊夢と魔理沙の頭上に落ちる。霊夢と魔理沙は水中に飲込まれあわや窒息と言うところで命からがら脱出し、声のしたほうにむかって魔弾をぶちかました。 「巫山戯るなこのボケナス三匹! 家帰って自慰して寝てろ!」 「貴様小娘橙になんて事言っとんじゃクラァ絞って挽いて溶かして飲むぞ東夷人!」 「はいはい妹様もあんまりはしゃいじゃ駄目ですよー術切れて灰になりましたなんて事になったら私トンズラこかないけませんからねー」 「どどどどこから湧いて出てきた共産系」 ぎゃあぎゃあはしゃいでいる三匹のと二人の間、いきなり湯気を割って出現した大陸系の妖怪二匹に、魔理沙はむしろ度肝を抜かれた。霊夢はそれをみて、よくそんな余裕があるわね、と、水抜きのために頭を叩きながら思った。鼻も痛い。 海か何かと勘違いしている三匹に、魔砲をちらつかせながら、黙れ、と押さえ込み、再びゆっくりと湯に浸かる。底は深いが、うまいこと段々になっており、肩口が少し出る程度に座ることが出来た。 「フムン? 伊吹鬼は良いとして、後の二人は大丈夫なのか」 「妹様はもともと真祖級だしね。湿気取りの術かけとけば十分なのよ。ちぇんすけのほうは、まあ、ただのまんじゅうこわい」 「情報制限か、猫のくせに」 「くせにってなんだくせにって。捌いて干すぞ」 「なんでお前はなんでもかんでも喰おうとするんだよ」 「椅子以外は喰っても良いという言い伝えが」 「そんなものはない!」 「いやあるのよそれが」 「巫女料理」 「やっぱり無い」 「騒がしいな沈黙しろ。いやいや、喋るな、などと人非人なことは言わん、窒息しろ」 すっと湯気を割って上白沢慧音が襦袢の胸元を隠しながらやってきた。白い肌がほんのり赤く染まっているところをみると少し前から浸かっていたらしい。魔理沙と霊夢は自然見上げるような状況になり、すると両脇に立っている門番と妖狐も同じ視界に収まることになり、はたして二人の目にはもはや隠しようのない女性特有の部位が暴力的な大らかを強制的に喚起させる勢いで二人の意識に理解、さらに感受性の強い少女期には些か印象が強すぎる物体が同時にみっつ、圧迫するようにみずからの上方にあることを繊細な精神が理解を拒否するが現実認識機能がそれを排除、つまり魔理沙と霊夢の二人の心象を言語化すると、 ――か ――かおが隠れて ――三人とも ――うらやまし 「あっあっあっあああ”ッ」 「きしむ! 私の精神的ゆたかな胸元がきしむ!」 「なによどうしたの二人とも」 「あああ”屈むな屈まないで腕を! 二の腕をそうやって使って強調するな!」 悶絶しだした二人を金星虫でもみるようにして三人は一歩下がった。するとその動きに一々反応して女性一般と比べても即物的に豊かな胸部が初夏に縁側で震える寒天が如く揺れ動き、魔理沙と霊夢をよけい精神苦境の断崖絶壁へとたたきこむ。 救いは水面付近を漂っていた伊吹鬼と吸血鬼と化け猫に見いだせる。穴が空くほど凝視ののち、優越にひたって精神の均衡を復活させた。 「抉れてる奴らは衆愚だ。スリムはゼンの体現だ。ミョンパクゼクー」 「アルタイル柔術でいうところの完全なる調和……まさか自分の身体で体現してしまうとは」 禅僧的心持ちで夜空を見上げてみれば、立ち上る湯気が竹林の夜空へ帰っていく。星空と月は煌々と、究極的な純白の雪に輝きが照り返され、湯迫全体がぼんやりと輝いて見える。輝きは立ち上る湯気に写され、天球へと還っていく。 「いやあ、ゼンだな」 と魔理沙はほうっとあらためて呟き、霊夢も、ふぬあー、と曖昧な返事をした。門番も狐も白沢もそれぞれに感じ入った様子で湯船に腰掛け、基地外と能足りんとアル中も逆さアメンボごっこをしながら話半分に頷いた。 「気に入ってくれたなら幸いだ。だが何で私だけ事務員状態なんだ当然のように」 ぺたぺたという足音に振り返ると、湯煙で蒸れた襦袢姿の魂魄妖夢が歯茎に雀の小骨でも挟まったような顔でやってきた。寝るときも手放すことのない二振りの刀は常と同じで後生大事に背負い佩いているが、門番や妖狐から言わせて貰えば、湿気たところに刀なんぞもってくると柄とかあとの手入れが面倒そうだなぁ、馬鹿だなぁ、と言ったところで、妖夢にしてみてももはや意地なのではないだろうかと思えてくる。 妖夢は後ろを振り返って、こっちだ、と右手を振った。その向こうからたっぷりとした銀髪を結い上げ、厚手の布で胸下を隠した八意永琳と、萎びた耳をせわしなく動かしておっかなびっくり永琳の後をついてくる月兎がおり、永琳は何を思ったのか無造作に後ろ手で月兎の耳を鷲掴みにし、足を払い、腰に手を当てて、 「温泉奉納――!」 全力でぶん投げた。見事な錐もみ回転で放物線を描く月兎は、ひょ、と言う叫び声を後に引いて、見事顔面から着水、潜行した。 永琳は止らない。あっけにとられて棒立ちの妖夢にも近付くと、今度は一気にしゃがみ込んで両足首をつかみ、庭師ロケット、と叫びつつ六十度の角度で発射した。そして同時に自らも洗い場を走り、湯船で踏み切って跳躍、気を取り戻した妖夢が無意識のうちに前方へ伸ばしていた両腕を剣柄に当てる前に脇を掴み、水面にぷかぷかと浮いている自分の弟子にむかって投擲。そして体制を立て直し、しっかりと足方向から湯船に落ちるのを確信して、 「やっほー!」 と心底楽しそうに飛び込んだ。大の大人一人分が飛び込んだのに値するだけの水飛沫が上がり、波が霊夢たちのところまで届く。 「――ぷはっ」 と八意永琳は先ほどの狂態など知らぬとばかりにいつもの顔で浮き上がった。そして改めて事態を眺めていた霊夢たちに向かって、 「御邪魔するわ」 「いや。いやいやいや。多分ここは突っ込むべき所なんだろうから一応形式に則って由緒正しく突っ込んでおくが。なんだいまのは」 「え? 地球人はああやって入浴するのが基本じゃなかったの?」 「たしかにそうだが正しいのは最後の行動だけだ。投げた兎と飛んだ庭師は一体なんだ」 「箔付け」 「なんの」 「選手入場とか」 「なんの」 「水中騎馬戦とか」 ひゃあああ、と奇声が上がった。出所は月兎であり、頭頂部からだくだくと命の元を大盤振る舞いしている姿は見ていて愉快だが、そんなことも気にせず月兎はわなわなと全身を震わせ、 「おっ」 がしい、と両手を握りしめ、 「温泉ってキンモチイイー!」 絶叫した。しょせんは兎よのう、と妖狐と門番は哀れそうに囁き合うが、その言葉には同情も混じっている。証拠にもなくまた水中に埋没した人間二人はもはや我慢ならんといった風情でマジックミサイルやら針やらを投げつけ、ひょいひょいと避けた永琳の後ろではふはふと興奮している兎の頭頂にどかどかと突き刺さって追い打ちを決めた。ミサイルが爆発し、月兎は沈没する。わははは撃沈一つだ! ばっかあんた今のは私のスコアよ! 知るかよ脳内補完して自己満足してればこんにゃろじゃああんたが沈めうわやめろ馬鹿ギャアア背骨! 背骨が! 全身から水滴をしたたらせ、ぬっそり水中から立ち上がった妖夢は、 「……なんだこれ」 とだけ呟き、またぶくぶくと沈んでいった。 「よ、よ、よ……おうっとっとっと」 「うひひひ」 つ、つ、つ、と土椀に注がれる酒をすすり、魔理沙は感嘆の気を発した。鬼の瓢箪から湧き出る酒は、立ち上る香気が垣間見えるほど、舌に乗せれば清水の如く、喉に流せば天にも昇る心持ち。 焼き付けるように一口を呑み、額に土椀を当てて、くぅ――と唸った。 「うまい酒だ」 鬼は酒を呑む。宴は酒に縁がある。鬼が宴を好むのは当然で、ではそのような鬼に呑まれる酒は、これは旨いに相違ない。 鬼の酒が旨いのは、酒が鬼に旨く呑まれているからだと、魔理沙は一人頷いた。 のぼせて転がっている橙とフランを介抱している式と門番は、どこからとも無く取り出した白乾酒を酌み交わしている。呵々と話が弾んでいるのは、気が合うからなのだろう。同郷の出自であるのは間違いなさそうだ。 ちびりちびりと土椀を傾けている霊夢がふと気付いたように白沢へ目を向けた。使いっ走りを放棄した妖夢が恍惚死するのではないか心配なくらい緩んだ表情でいるのを優しげに眺めている。霊夢に気付いて、どうした、と問うた。 霊夢はついっと頭を傾けて顔を上にあげる。視線の先に、白濁とした湯気しか見えない。 「今晩って、満月じゃなかったっけ」 「おお、そういえば」 「あーそうだったっけ」 「しょるでしゅるふぇりゃりらみゃ」 漆杯を水面に浮かせた永琳が、首を傾けた。ほんのりと桜色に色づいたうなじが晒される。 慧音は一つ頷く。 「私はワーハクタクだからな。満月になると角が生える」 「尻尾も生えるぜ」 「目玉も増えるわね」 「調子づいたりな」 「率直すぎる。もっと詩的に表現せんか」 息を付き、首元を拭った。 「それは知ってるけど」 「長いつき合いだからな。今日は厳密には満月ではないんだ」 ほうと魔理沙が興味深そうに顔を向ける。 「そいつは長話になるかい」 「ま、相応にな」 「フムン」 続けてくれと魔理沙は顎をしゃくった。 よかろうと慧音は口を開く。 「そも月が魑魅魍魎に某かの影響を与えるのは何故かと言う話だ。五万年前にホモサピエンスが姿を現したとき、つまり今日知られる雑多な化生どもが端を発したとき、月という天体は爛熟の最中にあった。星としての寿命は尽き峻厳たる荒涼な地が全土を支配していたが、その裡においてはある種の形而上的存在が思想活動を活発化させていたのだ。のちにそこな月人の走りになるこの存在は一種の波であり、その波動は太陽の光波に阻まれないときつまり満月時に姉妹星に降り注いだ。吸血鬼が満月の夜にもっとも麗しく鮮烈に紅く狂うのはな、重力移動による潮汐効果や隠秘学的、呪術的な作用だけではない、彼らが良く古代月人の精神波に共鳴したからだよ。この現象は月人が肉を持つに連れて減退してゆき、いまではそのころの名残、思いこみによる自己暗示が、我々を満月の夜にうずかせるのだ。 馬鹿止めろ石を投げるな」 「うっさい黙れ弁当帽子。つまみにならん与太は酒が死ぬわい」 「よ、与太とはなんだ。私は逃げも隠れもしないうえ嘘だって吐かない」 「その台詞は改変してどこかの死に神に言わせた方が格好が付くな。つまりはなんだ?」 「結論を急ぐとろくなことにならん。論理は飛躍ではなく刻むことによって確立されるのだからな。 だからお前等何でもかんでも投げるのは良くないと言ってるだろうがお前もだ月人なに自分の弟子を嬉々として構えてるんだ」 「ついうっかり」 「うっかり? うっかりなのそれ?」 「本人がそう言ってるんだからそうじゃない?」 「スキマ並みに信用できんがな」 「まぁいい、結論を言うとだな。まぁ結も論も無いんだが。今日は月蝕」 ふいに風が一陣通り過ぎ、わだかまっていた湯気を吹きさらした。竹林のぽっかりと開いた温泉の上空が渦を巻いて澄み渡り、夜天の煌びやかな宝石の瞬きが黒曜石の深みと天鵞絨のなめらかさを併せ持つ暗黒に映え、そしてその中天に白皙の美貌を晒す月のまろやかな姿が、完璧を欠損した麗しさで粛々と輝いている。 「淫靡だな」 あるべき姿を歪められることを変形と呼び、だがそこに含まれぬ意図、浸食される乙女、足跡を刻まれた処女雪のような情動をどう表現するかと考えれば、それは淫靡と言うのがふさわしい。 背徳の美と言い換えられる星の乙女に、伊吹鬼は酒を椀に移して捧げ、光輝にひたされたそれを仰ぎ呑んだ。 「水割り、もとい、月割りか」 簡易だけど。魔理沙と霊夢も真似る。 甘い。 誘うような酒になった。 「蜂蜜酒と似たようなものかな」 「物騒なものを引き合いに出すわね?」 あれはあれで旨いんだぞと慧音は肩をすくめた。その動きに併せて肌に流れるしずくが落ちて、艶やかに彩る。 ゆるゆるとした時間が過ぎていく。 芯まで温まることは、かくも心地よいものである。そしてそれを存分に堪能するための、露天であり、竹であり、月であり、夜であり、酒なのであろう。 裸で、誰はばかることなく心を弛緩させること、それだけだが、それ以上の事は無い。極上、と言う奴だ。 「じつに僥倖」 「いや、まったく」 また一口、仰ぎ飲む。 熱気と酒気で出来上がった頭が、ゆらゆらと湯気の中で揺れている。 |