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Prayer Hills Church 滑川一麦教会

Prayer Hills Church 滑川一麦教会

☆7月

7/26「信仰によってただ前進する」


「信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。」(ヘブル11:11)

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。」(ヘブル11:6)

「私の兄弟たち。だれかに自分には信仰があると言っても、その人に行いがないなら、何の役に立ちましょう。そのような信仰がその人を救うことができるでしょうか。」(ヤコブ2:14)

信仰は言葉で説明することは出来ないものです。信仰は説明するものではなく、行いをもって証明されるものであると思います。私達はその事を多くの聖徒から学ぶことができます。また私達はそれぞれに自分の走るべき地上のコースを走るランナーです。そして神は私達がただのランナーではなくて、炎のランナーとなることを望んでおられます。それはまるで、雪の坂道を登る4WD車のようです。たとえエンジン音が大きくなっても坂を上がっていきます。私達も人生の坂道を上り続ける、前進し続ける炎のランナーであるべきです。御霊に燃やされて日々前進していきましょう。

pansy


7/19「恐れないで、ただ信じなさい!」


「それからトマスに言われた。『あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手を伸ばして、わたしのわきに差し入れなさい。信じないものにならないで、信じる者になりなさい。』」(ヨハネ20:27~29)

「恐れないで、ただ信じていなさい。」(マルコ5:36b)

信仰者は、毎日が神から与えられたテストであり、毎日が一時的な預かり物であり、毎日が一時的であることを知っています。その中で状況や物事を考えるのではなくて、(十字架のゆえに)真実なる神を信じ信頼する事の訓練をされていきます。日々考えることでなくて、(十字架のゆえに)信じることです。考えるとしても聖書は言っています。「イエスのことを考えなさい。」(ヘブル3:1)。イエス様ならどうされるかを考えるのです。しかし、考えて信じるのではなくて、信じて考えることが重要です。考えることより、信じることが先に来ることによって勝利の信仰生活を送ることが出来ます。単純に信じることです、主を見上げて信じることです。信じて踏み出さすのです。ただ信ぜよ。ハレルヤ!


pansy



7/12「いのちの冠を受ける」



「私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。信仰がためされると忍耐が生じるということを、あなたがたは知っているのです。その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは、何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全な者となります。」(ヤコブ1:2~4)


「試練に耐える人は幸いです。耐え抜いて良しと認められた人は、神を愛する者に約束された、いのちの冠を受けるからです。」(ヤコブI:12)


試練に会うとは、こういう意味があるように思います。それは訓練に耐えることです。また、それは神のテストを受けるという意味もあるでしょう。そしてその神のテストに不合格だったら、地上の生涯、何度でも訓練をうけテストを受けることになるでしょう。またそのテストに合格の場合でも最終的に主の前での最終的なテストの時まで何度でもテストを受けることになります。地上の生涯におけるテストに終わりはありません。そして最終的テストにパスする時、いのちの冠を受ける喜びの時が来るのです。

pansy


7/5「私があなたを背負います」



「するとそこに、男たちが、中風をわずらっている人を、床のままで運んで来た。そして、何とかして家の中に運び込み、イエスの前に置こうとしていた。しかし、大ぜいの人がいて、どうにも病人を運び込む方法が見つからないので、屋上に上って屋根の瓦をはがし、そこから彼の寝床を、ちょうど人々の真ん中のイエスの前に、つり降ろした。」(ルカ5:18、19)



私達が誰かをイエス様のところへ連れていこうとする時、そこにそれを妨げる障害がいつもあるものです。それがこのときは大群衆でした。しかしこの時、どうするかが問題なのです。屋根の瓦をはがすという常識はずれの方法を取るか、それともあきらめるか、屋根の瓦をはがしてでも連れて行きたいかどうかが問題でした。ではどうしてそこまでして連れて行ったのでしょうか。それはこの人たちにとっては、この事が背負うべき十字架であったからでしょう。さあ今、あなたにとって、あなたが背負うべきあなたの十字架は何でしょうか。あなたは今それを背負っていますか。

pansy


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