☆9月9/27「少年の差し出した五つのパンと小さな魚 パート2」「『ここに少年が大麦のパンを五つと小さい魚を二匹持っています。しかし、こんなに大勢の人々では、それが何になりましょう。』」(ヨハネ6:9) 「『この子が、大麦のパンを五つと魚を二匹もってますよ。でもなあ、こんなに大ぜいじゃ、焼け石に水かな?』」(リビング) 主はこの少年の事を知っておられたと思います。その少年の捧げ物はアベルのような捧げ物でした。粗末な大麦のパンと粗末な魚の干物であっても、この少年にとっては最高の捧げ物だったのです。主はそのことを喜ばれました。そして主はこの捧げ物を祝福し、約2万人の人々の必要を全て満たされたのです。主への捧げ物は、それを人がどう思うかではなくて、あなたにとっての心からの精一杯のものであるかどうかという事が重要なのです。私達も大切なものを惜しみなく、主に(人に)捧げたいと思います。主はそれを祝福されるのです。主の祝福を受けましょう。 9/20「少年の差し出した五つのパンと小さな魚」 「『ここに少年が大麦のパンを五つと小さい魚を二匹持っています。しかし、こんなに大勢の人々では、それが何になりましょう。』」(ヨハネ6:9) 「私の弟子だというので、この小さい者たちのひとりに、水一杯でも飲ませるなら、まことに、あなたがたに告げます。その人は決して報いに漏れることはありません。」(マタイ10:42) この少年が差し出したこの粗末なパンと魚は非常に大切なものであったと思います。母親からもらった昼食かもしれませんし、これをあげたら昼食べるものがなくなるかもしれないのです。また、黙っていれば、だれも分からないものでした。それに約2万人の人はだれも捧げなかったのです。しかしこの少年は大切なものを惜しみなく捧げました。イエス様はこのことをご存知だったと思います。そしてこの捧げ物を喜ばれ、大変祝福されました。あなたも大切なものを主に捧げましょう。 9/13「叫びの声(主よ~!)」 「私は苦しみの中に主を叫び求め、助けを求めてわが神に叫んだ。主はその宮で私の声を聞かれ、御前に助けを求めた私の叫びは、御耳に届いた。」(詩篇18:6) 「三時ごろ、イエスは大声で『エリ、エリ、レマ、サバクタニ』と叫ばれた。これは、『わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか』という意味である。」(マタイ27:46) 「そのとき、イエスはもう一度大声で叫んで息を引き取られた。」(マタイ27:50) 私達は追い詰められないと叫べないものです絶体絶命のピンチになったとき、初めてありったけの声で全身の力を込めて叫びます。「主よー!」しかしもし世に逃げると主に叫ぶことができません。主に心から叫ぶことができれば、主は助け励ましを下さいます。御言葉をもって励ましてくださるのです。イエス様ご自身も十字架の上で父なる神様に叫ばれ励ましを受けられました。逃げないで主の御名を心から叫び求めましょう。 9/6「今日が私にとって地上最後の日」 「あなたがたのうちだれかが、心配したからといって、自分のいのちを少しでも伸ばすことができますか。」(マタイ6:27) 「だいたい、どんなに心配したところで、自分のいのちを一瞬でも延ばすことができますか。」(リビング) 「だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。」(マタイ6:33、34) 「神を第一とし、神が望まれるとおりの生活をしなさい。そうすれば、必要なものは、神が与えてくださいます。明日のことを心配するのはやめなさい。神は明日のことを心にかけてくださるのですから。一日一日を力いっぱい生き抜きなさい。」(リビング) 「今日が私にとって地上最後の日」として生きることが重要です。天国へ行く本当の準備をするのです。ただ感謝、感謝!これ以外何もありません。 ジャンル別一覧
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