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Prayer Hills Church 滑川一麦教会

Prayer Hills Church 滑川一麦教会

☆2月

2/28「いま心から悔いて泣く者は幸いです」


「しかしあなたがた富む者は哀れです。慰めをすでに受けているから。いま食べ飽きているあなたがたは哀れです。やがて飢えるようになるから。いま笑うあなたがたは哀れです。やがて悲しみ泣くようになるから。みなの人がほめるとき、あなたがたは哀れです。彼らの父祖たちも、にせ預言者たちに同じことをしたのです。」(ルカ6:24~26)

「たとい私がささげても、もことに、あなたはいけにえを喜ばれません。全焼のいけにえを、望まれません。神へのいけにえは、砕かれた霊、砕かれた、悔いた心。神よ。あなたは、それをさげすまれません。」(詩篇51:16、17)


 私たちが幸せになるために求めるのは、世の中では富、食べ飽きるほどの食物、いつも楽しいこと、人から認められること、これらのことでしょう。しかし神はこれらのことについて反対のことを言われるのです。私たちが世の中で求めていることは、哀れなものを求めていると言われるのです。私たちを神に近づかせるのは、貧しいこと、飢えていること、人から認められないこと、これらの苦しみによって神に近づくことが出来るのです。神を心から求め、見出せた人は本当に幸いです。ハレルヤ! 

pansy



2/21「兄弟愛」


「兄弟愛を持って心から互いに愛し合い、尊敬をもって互いに人を自分よりもまさっていると思いなさい。」(ローマ12:10)

「キリストは、私たちのために、ご自分のいのちをお捨てになりました。それによって私たちに愛がわかったのです。ですから私たちは、兄弟のために、いのちを捨てるべきです。」(Iヨハネ3:16)


 兄弟のためにいのちを捨てるとは、イエス様のためにいのちを捨てることです。今、私たちはイエス様の十字架で捨てられたいのちによって生かされているのですから、私たちが自分の命と思っているこの命は実はイエス様の命なのです。もう自分の命はもうとっくにないのです。古い自分はもうすでに十字架で共につけられて死んでいるからです。ですから兄弟のために命をすてるとは、もう古い以前の自分の命は死んだものと認め、今、自分はイエス様の命で生かされていると認めるところから始まるように思います。イエス様は友のために命を捨てられました。私たちもイエス様が歩まれた道を歩みたいと思います。イエス様がそのことを私たちに望んでおられるのです。躊躇することなく、そのことをさせていただきましょう。 

pansy



2/14「愛は多くの罪をおおう」


「何よりもまず、互いに熱心に愛し合いなさい。愛は多くの罪をおおうからです。」(Iペテロ4:8)

「互いに偽りを言ってはいけません。あなたがたは、古い人をその行いといっしょに脱ぎ捨てて、新しい人を着たのです。新しい人は、創り主のかたちに似せられてますます新しくされ。真の知識に至るのです。」(コロサイ3:9,10)
「そして、これらすべての上に、愛を着けなさい。愛は結びの帯として完全なものです。」(コロサイ3:14)


イエス様の十字架は神の私たちへの愛の完全なあらわれです。どんな罪であってもイエス様の十字架を心から信じ悔い改めるなら、その罪は許されます。神の愛が私たちの多くの罪をおおうのです。また神の愛を受けていく中で私達は御霊のみを結んでいきます。その事によって、罪を犯しにくくなっていきます。神の愛によって肉の御霊の綱引きに少しずつ勝利していけるようになるのです。神の愛は私たちの多くの罪をおおうのです。私たちにはもともと愛はありません。愛は十字架からしかこないのです。まず十字架を見上げましょう。そしてまず徹底的に悔い改めましょう。あなたも変わります。 

pansy



2/7「父の御心を行う者が行く場所」


「わたしに向かって、『主よ、主よ』と言うものがみな天の御国に入るのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行う者が入るのです。」(マタイ7:21)

 滅びに至る門は、大きな門、広い門です。そしてそこから入っていく者が多いのです。また命に至る門は小さい門、狭い門、狭い道です。見いだすものはまれです。そして、悪い木は悪い実を結びます。悪い実とは肉の実です。〈不品行、汚れ、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、ねたみ、酩酊、遊興、そういった類〉。しかし、良い木は良い実を結びます。それは悔い改めの実や御霊の実です。(愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制)。実によって良い木か悪い木かを見分けることができます。ようするに滅びに至る門から入るものは悪い木であり、悪い実を結び、「わたしはあなたを全然知らない。」と言われます。それに対して、命の門から入るものは良い木であり、良い実を結び、「よくやった。良い忠実なしもべだ。」と言われるのです。神は心の中を見られます。うわべではありません。口では確かに「イエス様を信じます」と言ったとしても行いが伴っていなければ、もう一度、自分の救いを問い直してみる必要があると思います。いかがでしょうか?

pansy


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