035872 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

Prayer Hills Church 滑川一麦教会

Prayer Hills Church 滑川一麦教会

☆4月

4/25「本当の自由とは?」


「私には自分のしていることがわかりません。私は自分がしたいと思うことをしているのではなく、自分が憎むことを行っているからです。」(ローマ7:15)

「低劣な性質の言いなりになっている人は、自分の喜ばせるためだけに生きています。しかし、聖霊様に従って歩む人は、神様をお喜ばせしようとしている自分に気がつくのです。聖霊様に従って歩むなら、いのちと平安が待っています。しかし、古い性質に従って歩めば、死に行き着くのです。古い罪の性質は、神に敵対するからです。古い性質が神様のおきてに従ったことは一度もなかったし、これからも決してありません。ですから、なおも古い罪深い自我に支配されて、欲望に従い続けるものは、決して神様をお喜ばせできないわけです。」(ローマ8:5~8 リビング)

 偽りの自由とは、線路の上しか走れない電車が、線路から外れる自由のことです。また自分が肉に従って、肉の欲するまま何でも出来る自由を言います。また肉の嫌がることはしないことを言います。これに対して、本当の自由とは、レールの上しか走れない列車が、線路から外れない自由を言います。自分が聖霊様に従って本当にしたいことが出来る自由をいいます。また本当にしたくないことをしない自由をいいます。


pansy



4/18「あなたは肉の奴隷ですか?それとも神の奴隷ですか?」


「私たちの古い人がキリストとともに十字架につけられたのは、罪のからだが滅びて、私たちはもはやこれからは罪の奴隷でなくなるためであることを、私たちは知っています。」(ローマ6:6)

「知らないのですか。自分の主人は自分で選べるのです。(死を伴い)罪を選ぶこともできれば、(無罪の宣告を伴う)従順を選ぶこともできます。だれかに自分をささげれば、その相手があなたがたを受け入れて主人となり、あなたがたはその奴隷となるのです。」(ローマ6:16 リビング)

「罪から解放されて義の奴隷となったのです。」(ローマ6:18)

「今やあなたがたは、罪という古い主人から解放されて、正しさという新しい主人の奴隷になっているのです。」(ローマ6:18 リビング)

 今日の御言葉にあるように、私たちは無意識のうちに自分で自分の主人を選んでいるのです。肉を主人とするか、神を主人とするかです。神は私たちを愛しているので、私たちが罪の奴隷から従順の奴隷となって真に解放されて自由となることを願っておられます。アダムの罪のゆえに罪の奴隷となった私たちにも救いはあるのです。


pansy



4/11「あなたはどっち側につきたいですか?」


「キリストは、自由を得させるために、私たちを解放してくださいました。ですから、またと奴隷のくびきを負わせられないようにしなさい。」(ガラテヤ5:1)

「兄弟たち。あなたがたは、自由を与えられるために召されたのです。ただ、その自由を肉の働く機会としないで、愛をもって互いに仕えなさい。」(ガラテヤ5:13)

「しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」(使徒行伝1:8)

「もし私たちが、今、聖霊様の力を受けて生きるなら、生活全般に渡って、その導きに従おうではありませんか。」(ガラテヤ5:25 リビング)

 あなたはいつも肉の側につきたいでしょうか?または御霊の側につきたいでしょうか?神は私たちに本当の自由を与えたいのです。人々は思います。「クリスチャンになると不便だ。」と。いろんな制約があるように思うのです。「あれもできない。これもできない。」しかしそれは誤りです。御霊に導かれる道のみが自由な道なのです。


pansy



4/4「自分に死にキリストに生きる毎日」


「私は、キリスト様の死を犬死ににしません。もし私たちが、ユダヤ教のおきてを守ることによって救われるなら、キリスト様が死ぬ必要などなかったはずですから。」(ガラテヤ2:20 リビング)

「私の弟子になりたい者は、ついてきなさい。わたしに仕える者は、わたしのいるところにいなければならないのですから、わたしに従う者を、父は重んじてくださるのです。」(ヨハネ12:26 リビング)

イエス様に近づく道は、自分に死ぬことです。自分に死ぬとは自分の力で生きないことです。キリストに生きるとは、主のよみがえりの力で生きることです。自分に死ぬとは、自分のしたいことで生きるのではないという事。キリストに生きるとは主が自分にさせたいことで生きることです。自分に死ぬとは、自分のために生きないこと。キリストに生きるとは、主のために生きることです。自分に死ぬとは、地上に宝を蓄えないこと。キリストに生きるとは、天に宝を蓄えることです。自分に死ぬとは、キリストと共に十字架につけられることです。キリストに生きるとは、よみがえりの力で生きることです。日々日々キリストのに姿に変えられていきましょう。一歩一歩です。


pansy


© Rakuten Group, Inc.