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Prayer Hills Church 滑川一麦教会

Prayer Hills Church 滑川一麦教会

2011年☆1月

1/30「守り パート2」

 
「また神は、いっさいのものをキリストの足の下に従わせ、いっさいのものの上に立つかしらであるキリストを、教会にお与えになりました。教会はキリストのからだであり、いっさいのものをいっさいのものによって満たす方の満ちておられるところです。」(エペソ1:22,23)

「妻たちよ。あなたがたは、主に従うように、自分の夫に従いなさい。」(エペソ5:22)

「夫たちよ、キリストが教会を愛し、教会のためにご自身をささげられたように、あなたがたも、自分の妻を愛しなさい。」(エペソ5:25)

「子供たちよ。主にあって両親に従いなさい。これはただしいことだからです。」(エペソ6:1)
 
「私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗闇の世界の支配者たち、また天にいるもろもろの悪霊に対するものです。」(エペソ6:12)

  私たちの信仰の戦いの敵はサタン、悪霊ども、肉です。そしてそれらに対する私たちの戦いの守りの基地は教会です。そして家族です。ですから私たちのとって大切な順番はこれです。一番は神の教会、二番は家族、そして三番は仕事(肉)です。しかし多くの方々は一番に仕事(肉)がきています。一番は神の教会、次に家族なのです。

pansy



1/23「守り」

 
「彼はこう言った。主、わが力。私は、あなたを慕います。主はわが巌、わがとりで、わが救い主、身を避けるわが岩、わが神。わが盾、わが救いの角、わがやぐら。ほめたたえられる方、この主を呼び求めると、私は、敵から救われる。」(詩篇18:1~3)

「すべて主を愛する者は主が守られる。しかし、悪者はすべて滅ぼされる。」(詩篇145:20)

  世の中では、「自分のことは自分で守る。」これはよく言われることです。ですから自分でどうしようもなくなったら神頼みをするのです。「困った時の神頼み」です。それも偶像の神々にです。そして、いざという時の備えを自分でするのです。貯金、さまざまな保険、そして人間関係をつくっておく。これらがいざという時に助けてくれるというわけです。しかし本当の意味でこのようなものは私たちを助けてはくれません。私たちを真に助けてくださるお方は、私たちをよくご存じの方でなければなりません。すなわちこの天と地を創造され、私たち人間を創造された唯一なる神だけが、私たちを助け救ってくださるお方なのです。神は言われます。「すべて主を愛する者は主が守られる。」私たちのするべきことがあります。それは神の愛を信じることです。そして神を愛することです。神の愛とはイエス・キリストの十字架です。あなたも是非信じて下さい。

pansy



1/16「世の中の常識と天の御国の常識」

 
「天の御国は、畑に隠された宝のようなものです。人はその宝を見つけると、それを隠しておいて、大喜びで帰り、持ち物を全部売り払ってその畑を買います。」(マタイ13:44)


  世に中の常識と天の御国の常識は全く正反対です。マタイ5~7章の山上の垂訓においては特にはっきりと書かれています。このようです。「幸いなのは、貧しい者、悲しむ者、柔和な者、義に飢え渇く者、あわれみ深い者、心のきよい者、平和をつくる者、義のために迫害される者である。」また「兄弟に向かって腹を立てる者は殺人である。情欲を抱いて女を見る者は姦淫である。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈れ。自分の宝を地上にたくわえないで、天にたくわえなさい。狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広い。」イエス・キリストを自分の救い主と信じ救われた時に、自分の価値観が変えられていることに気づかされることが多くあります。また徐々に変えられていくことも多くあります。まさにそれまでの宝物と思っていた価値観が全く変えられていくのです。イエス様の言葉が宝となり、またイエス・キリスト様御自身を求めるようになります。この世の宝は朽ち果て、天の宝が永遠の宝となります。世の中の常識に生きる人生から天の御国の常識によって生きる人生へと変えられましょう。

pansy



1/9「しもべモーセ」

 
「しかしわたしのしもべモーセとはそうではない。彼はわたしの全家を通じて忠実な者である。」(民数記12:7)

「信仰によって、モーセは成人したとき、パロの娘の子と呼ばれることを拒み、はかない罪の楽しみを受けるよりは、むしろ神の民とともに苦しむことを選びとりました。」(ヘブル11:24、25)


 モーセは神から「しもべモーセ」と言われました。そのためにモーセは神から三つの大きな従順に対するテストを受けました。一つ目は、エジプトの王子として生きるか、ヘブライ人の奴隷として生きるかのテストでした。また二つ目は、エジプトへもう一度行って、イスラエルの民を奴隷から助け出す道を選ぶかどうかというテストでした。そして三つ目は、40年間不従順なイスラエルの民を導くテストでした。これはどの一つをとっても大変困難なテストです。しかしモーセは王子として生きるよりも、奴隷として生きる道を選びました。またエジプトへ行ってイスラエルの民を助け出す道を選びました。そして40年間イスラエルの民を導きました。モーセは真のしもべだったのです。
私たちもそのしもべの道を歩みましょう。今、大きなしもべとしての訓練の中にそれぞれが置かれていると思います。主の十字架の愛を受けとめて、愛の訓練を受けましょう。

pansy


1/2「信仰の訓練は楽しい」

 
「どうしてそんなにこわがるのです。信仰がないのは、どうしたことです。」(マルコ4:40)

「しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない。」(マルコ6:50)

「信仰の薄い人だな。なぜ疑うのか。」(マタイ14:31b)

 イエス様は弟子たちに多くの訓練を与えました。また、特にペテロは弟子たちのリーダーでした。ですからイエス様はペテロには特別の訓練を与えているように思います。
ペテロをはじめ弟子たちには最初、信仰はありませんでした。no faith. しかし訓練の中で薄い信仰(小さい信仰) little faithとなりました。湖上を数歩ではありましたが歩いたのです。これは奇跡でした。その後、ペテロは波を見て恐れて沈みましたが、ペテロにとってこの訓練は忘れられないものとなったと思います。私たちにも神様は多くの訓練を与えられます。そしてno faithからlittle faith、そしてlittle faithからStrong faithへと変えようとされるのです。24時間全てが訓練なのです。あなたはその訓練を喜んで受けますか?または拒否しますか?主は私たちがその訓練を全力で受けるように望んでおられます。さあ神が私たちを特別に愛しているからこそ与えられている訓練に取り組みましょう。決して逃げないで前進して行きましょう。

pansy


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