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2007/06/16
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カテゴリ:歴史

約3500年前、フェニキア人・エブス人・ヒッタイト人らが、タルシシ船で渡来し

国東半島へ製鉄基地を築いて「殷文化圏」に鉄製品を供給し始め、それを

呼び水にして水田稲作文化をもったシュメール人と苗族が日本列島に上陸し始めました。

こうして、長い縄文時代の後、弥生文化の新時代が到来し、人口も急激に増加しました。

続いて3100年前、エブス人・ヒッタイト人及び殷人らが豊ノ国(東表国・都は宇佐八幡宮)

を打ち建てました。これが私達の国第一王朝の始まりでありました。

そして、その金属文化を伴う水田稲作農業文化は、王国の拡大とともに急速に日本列島

全体へ普及していきました。

縄文時代から弥生時代にかけての幾時代にも渡る、このような新しい民族の渡来ごとに

新渡来人は、先住民である港川人・オロッコ人・ツングース(アイヌ人)・アエタ族らの縄文人を

戦闘で打ち負かし、すべて捕虜にしました。この捕虜達は、不必要に殺されず、

できるだけ生かして、新文化の建設に活用されていきました。

日本人の先祖は、殷の時代から「南倭人」とも呼ばれ、南方からフェニキア人の船に乗り

鉄文化と弥生農業を携えて渡来した夷人であり、「夷」をエミシとよんでいたのは、夷とは

カナ-ンのエブス人のことであり、昔から親しまれてきたエビスさまのことでした。

実は、宇佐八幡では東表国の建国史を伝える秘儀が放生会として3000年以上も

連綿と現在も続けられています。日本最古の儀礼です。

人形浄瑠璃などは、古代インドから渡来したクシャトリアの漂白民で男性は狩猟

女性は遊女を業として、かたわら人形を舞わす芸を演じていたものが発展したものです。

またタタラ製鉄文化は、七福神を祭る「戎神社」や海洋民が崇拝する「金毘羅信仰」など

も、その名残です。エブス人・ユダヤ人などの弥生人である商人たちは、海岸縁に居を構え、

縄文人のテリトリーを決して侵すようなことをしませんでしたから、港川人・オロッコ人・アイヌ人

アエタ族などの多くの農民に親しまれ、「村の鍛冶屋」への各種の鍛鉄製品(農器具)を運びました。

その由来は、「エビスさま(エブス人)・大黒(アブラハム→ダビデ→ソロモン)さまとして

現在でも日本の各家庭に祭られています。

弥生文化を先住民が受け入れ、各地の気候や風土に合うように改良されて普及するまでには

1000年もの年月がかかったようです。そしてこの千年が天の王朝として神武以前の歴史が

日本に存在したのでした。






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最終更新日  2007/06/16 12:10:57 PM
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