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2008/05/05
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カテゴリ:歴史

日本最古の王朝、【天の王朝】とは、インド十六王朝の日神系のことです。

【東表・豊日国】のことで、朝鮮の狗邪韓国(駕洛国・金官加羅)を飛地としていました。

即ち、この王家は北九州を本国として朝鮮半島の弁辰地域を飛地として支配したのです。

【東表国】とは元来、東方のオッフル(サマリア)国を表します。

サマリアのオッフル国の植民市、九州の豊国、朝鮮南部、金官加羅でありました。

東表国の王はエビス王の【クルタシロス】といい、金官加羅の首露王のことですが

【クルタシロス】とは、タルシシ船を意味し、【シロス】は、治政者、王を意味し

ソロモンの製鉄コロニーでありました。ソロモンの父、ダビデが建国した当時

エルサレムを支配していたエブス人は、エジプトから撤退した、かつてのヒクソスで

ヒクソスになる以前はアビシニアでした。アビシニアとは元来【混血者】の意味で

日本のエビス(エミシ・夷)もアビシニアの意味です。

BC8、7世紀にアビシニア(エブス)人と現在のソマリアにいたオッフル人の植民地が

北九州東部の豊国地方の東表国で、駕洛国または金官加羅国にも飛地したのです。

金官加羅の王姓は金氏、または中臣氏です。奈勿王の時に独立して新羅を建て

その子孫が蘇我氏になります。

北宋版【通典】は倭国王師升(しろす)の国を【倭面土国】とし、『釈日本紀解題』は

これを【倭面国】としています。 【北倭記】と【桓檀古記】を総合しますと

『箕子朝鮮が亡びたとき、その上将卓が馬韓に逃れて、辰韓の王となった。のちに東表国(倭面国)

エビス王クルタシロスから鳥栖河と背振山脈の間の地を譲られた』

箕子朝鮮の上将卓が帯方(月支)に辰国を建て、秦の亡命者(イスラエルの南朝ユダの人々)

は、慶州に馬韓の分国をたて辰韓と称しました。この時、箕子朝鮮系の馬韓人に従って渡来

した倭人が【北倭】でした。北倭と秦の亡命者は、エビス王から鳥栖河と背振山脈の間の地

吉野ヶ里を譲られ倭奴国(秦王国)としますが後に神武と公孫氏に破れ、出雲経由で

大和地方に【秦王国】を建てます。

鴨緑江の流域に前方後円型古墳の原型が発見されましたが、これは箕子朝鮮の古墳になります。

馬韓人に領土を与えたという【東表国王クルタシロス】が【倭面土国王師升】のことです。

このシロス王は駕洛史では金官国の【首露王】になっていますし、新羅史では金氏の祖の首留

日本史では孝元天皇になっています。

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インド史を整理すると、BC1000年にインドは十六王朝の時代となり

カッシュ人を中心とする月神王朝と

アラビア海の海商を中心とする日神王朝系に分かれていました。

BC1500年頃~1200年頃、エブス人たちの海人は、レバノンのアルワドからインドの

ロータルに移住し、デリーを経てマガダ近くまで移動し、インド十六ヶ国時代、コーサラ国

アンガ国などの日神王朝諸国になりました。日神系のなかにはアンガ、コーサラ、マツラ

などの諸国がありましたが、アンガ国はソロモン王のタルシシ船の移民の地であり

コーサラ国はフェニキアのアルワド人の植民市であり、マツラ国はアラビア海のメルッハ人

の国家でした。釈迦は、コーサラ国のなかの王族でした。駕洛国の王は、金首露で、王妃は

アウド国の女【許氏】で、【許】がアウド国の別名コーサラを指します。皇統譜のなかの孝昭

孝安の実体は東表国、即ち駕洛国の王でした。

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チャンバをたてたチャム人のコロニーは、ベトナム南部の林邑国に始まってボルネオの

八河地帯のバンジェルマシン(耶馬堤国)、それから公孫氏の燕国につながり九州の

日向と南朝鮮の咸安になって、ともにアンガ人、チャム人、または安羅人になります。

この人々が天の王朝で、白村江の戦いの後に彼らが賎民化されて

【八の民】となるのですが、これはボルネオの八河の民ということで【山海経】では

八匹の蛇になっています。記紀神話では八岐の大蛇。マガダの都は、ガヤという

ところにあって、中国人は、これを加耶と書くのですが、朝鮮半島にできた、そのマガダの

人々のコロニーが加羅になります。

ボルネオのダワヤク族を経由したアッサムのボド族が我が国の山窩になります。

ニギハヤヒ命というのは、カーシ国の鉄カーストの王です。

オリエントのウルという海商国家が初めで、インド十六王朝の時代にウルのカルデア人や

マラ族などの古代の海人たちがガンジス流域でカーシ国という海商国家をたてました。

それがマレー半島を経て河南省の宛に入ってきて【宛の徐】氏といわれました。

この人々は魏と同盟した製鉄部族ですが、魏が秦に伐たれたため、満州に逃れて

穢国をたてました。これがニギハヤヒ王朝です。

穢国の王姓はアグリ(余)というのですが扶余、百済もそうです。天皇家も、そういうことになります。

中国史では堕羅国とか吐火羅と書きますが、後に河南省南陽の宛という所に移動し

さらに朝鮮で穢国をたて、扶余と合体して、その涓奴部(けんぬべ)になった後、熊本と

南朝鮮に多羅国または多婆羅国というコロニーをたてています。

多羅は多羅加羅とも多婆羅ともいいますが【タタラ(製鉄部族)ノガヤ】ということです。

ドヴァラヴァティの王家はサカ族で人民はモン族ですがモン族は、またの名をタライン族

といいます。漢字で書けば多羅殷(夷)です。熊本に田原坂があります。

♪ 雨は降る降る人馬は濡れる。越すに越されぬ田原坂 ♪ という唄がありますが

この地方には製鉄遺跡がありますから、田原というのは田んぼではなくタタラのことだったのです。

【隋書】の阿毎氏というのは、このチャム人のことですが、元来インド洋の海民でもあり

この人々がインドシナ、インドネシア、ボルネオなどに基地を持ちました。

後にボルネオのバンジャルマシンに倭寇の基地があったのですが

ここは耶馬堤国で天の王朝の基地でありました。

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朴・昔・金の人々は、高句麗の故国川王が沖縄を支配しようとして、発岐と同盟したことに

抵抗し、後に大隈から日向に侵入し、邪馬壱国を攻伐しました。

新羅王家の紋章は【三つ巴】ですが、沖縄の尚王家の紋章も同じ【三つ巴】で朴昔金を表します。

高句麗の紋章が【ニつ巴】なのは、昔氏が神武と一緒に九州に渡来してしまったからです。






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最終更新日  2008/05/11 01:46:02 PM
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