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テーマ:日本人のルーツ(528)
カテゴリ:歴史
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"Ur"という言葉は、「非常に古い根源的なもの」を意味します。 Urbefolkning ;原住民、先住民族 ウルは、ウル語では、ウル族、牛族、ウル人の意味があるそうです。 ウルが付くものとして、都市名でウルク、ウルビはウル部族があります。 朝鮮語ではウは牛、ソも牛。合わせて「ソウ」ですが、「ソウル」という地名があります。
文明の起源はアナトリアです。そのアナトリアのチャタルフュイックでは、BC6500年頃の 牛の首が発見されています。 文明は、アナトリアから北シリアを経てメソポタミア南部へ流れています。 ウルは、アナトリアのチャタルフュイックの牛頭信仰に繋がっていると考えられます。 そして、古代メソポタミアのウル人あるいはシュメール人が、インドを経て東方へ移動した可能性 があります。最初のセム族であるアッカド人が現われる前のメソポタミアは、シュメール人と ウル人が住んでいました。シュメール人は蛇を、ウル人は牛をトーテムとする人たちでした。 そしてウル人がシュメール人を支配していたらしい。 牛の頭に対する信仰、「牛頭信仰」は、その後の人類の歴史の中に系譜が遡れます。 日本国のスサノオのミコトも牛頭大王という別名をもっていますし、牛頭天王というのは 古代天竺(インド)に居て、釈尊の教国の僧坊である祇園精舎の守護神だったといいます。 牛頭神は、ヨーロッパにも見られ、世界文明の主なる流れの最高神だった可能性があります。 メソポタミアでもっとも古い神、アン大神は巨大な牛だったと考えられています。
前3000年頃から、インダス河口が人々の移住を許すようになると、セム族に圧迫されながら エラム、ドラヴィダ系の人々が南下し、前2350年頃から、アッカドのサルゴン王家は 河口のロートルに上陸し、筏に乗せて牛を揚陸させました。 インダスに於いては牛が貴重品であったため、支配者のアッカド人とウル人は、ドラヴィダ人に 聖牛思想を教え、牛首のバァル神の崇拝を強制しました。それまで、ドラヴィダ人の祭神は 【ヤオロチ】即ち蛇神であり、シュメールではサルゴン時代から、バァル神とディルムン説話が 生まれていたのです。したがって、これ以降インダスでは、聖蛇信仰と聖牛信仰が併存しました。
アッカド人とウル人は、グート人に圧迫され、前2000年以前に、チベットから黄河沿いに 下降して彩陶文化を残すのですが、アッカド末王イキギとナヌムは、日本神話で知られる イザナギとイザナミの世襲名になって、ウル人の方は、チベットのホータンを中心として 月氏となります。月氏の前身は、カッシート人といわれます。そのカッシートの前身がウル人 だったのではと、考えます。文明の起源、アナトリアで自然銅を加工する技術を発見した人々が 牛頭信仰のウル人であり、銅、後には錫や金・銀・ラピスラズリを探鉱するために世界に散り あらゆる民族の基になったのではないかと考えるのです。 なぜなら、彼らウル人の痕跡が北方ヨーロッパ各地にも残っているからです。 彼らが北方へ移動し、アーリア人になったとは考えられないでしょうか? シベリアや東アジア、アメリカ大陸にも鉱山を探しに移動しています。 彼らの鉱物を需要していたのが、メソポタミアの広大な農場であり、エジプト王朝だったのでは ないでしょうか。インドは、それらを円滑に行うためのコンビナートであり、精神性を高め 民族の宇宙観を極めていったスピリチュアルな聖地だったのではないかと思うのです。 ウル人は、月氏であり、サカ族になり、倭人の中心的存在であり、日本で蘇我氏になった と考えられます。 不思議なことに、ウル人=月氏=サカ族は、三つに分かれ、ユーフラテスを横切る 三つのシルクロード、どのグループにも存在していた気がします。 南海ルートの釈迦を輩出したシャカ族~ニギハヤヒ~邪馬壱国と合併 中央アジア、オアシス・シルクロードに栄えたホータン王国の月氏~小月~金官加羅~蘇我氏 ステップ・シルクロードのウラルトウ(ウガヤ・扶余)と同盟した月氏~百済 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008/06/29 12:22:48 AM
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