テーマ:日本人のルーツ(528)
カテゴリ:歴史
何年か前、NHKで放映されたシルクロードの番組【楼蘭の美女】の発掘は、記憶に新しい。 ミイラとして保存が完全で、卵型の顔かたち、まっすぐ伸びた鼻、濃い眉、薄く引き締まった唇 は、4000年間、楼蘭の砂埃に埋もれながらも原形をとどめていたのでした。 長い睫毛が印象的な美女、彼女が白人だったことが発掘した人々に衝撃をあたえました。 新疆地区に白人種がいたことの証となりました。 彼女は、南シベリア、カザフスタン、ボルガ河原草原およびアラル海沿岸地帯の 青銅器時代のアンドロノヴォ文化タイプの住民の特徴とほぼ同じと判明しました。 新疆地区とは、人類の歴史に於いて実に興味深く、絶え間ない変化と発展のなかにありました。 地図を広げてみると一目瞭然なのですが、新疆の北、西、西南側を取り囲んでいるのは ロシア、カザフスタン、キルギスタン、ウズベクスタン、タジキスタン、パキスタン、インドです。 ヨーロッパ大陸、西域、西アジア、南アジア、アジア東部地区との交通を結ぶ拠り所として 民族の大移動の波を何回も経験し、白色人種も黄色人種も居て、お互いに同居し 溶け合い、共同で開発していったと考えられます。 新石器時代の後期、BC3000年紀の初めにかけて、南シベリアのイェニセイ河上流と アルタイ地方に、アフナシェバ文化が栄えました。 この文化の担い手は周囲のモンゴロイドと異なり、パレオ・ユーロペオイド的(白人)でした。 このアフナシェバ文化が、西シベリアのソンスク地方にBC1750年~1200年の間分布した アンドロノヴォ文化の青銅文化につながります。さらにアンドロノヴォ文化は、BC2000年紀末 南シベリアのカラスク文化と中央アジア北部のダザバギャプ文化に代わりました。 カラスク文化は、殷の青銅文化と同様に、西アジアに発達した金属文化の東方流入によって 発達したといわれます。 カラスク人に続くタガール人は西シベリアの古いユーロペオイド(白人)に属し中国史の丁零です。 この中国北部で【丁零】と呼ばれた人々が、殷の住民から借用した様々な文化的要素、 とくに青銅鋳造の技術を南シベリアに持ち込んだとおもわれます。【丁零】は、チュルク族の一派ですが、カラスク文化の担い手が【丁零】ならば、 その祖型にあたるアンドロノヴォ文化、さらに、その祖型にあたるアナシェヴァ文化 も、同じくチュルク族の文化と考えられます。 学者の今岡十一郎氏は、シベリアにいた丁零と、西はトルコ人と広大な範囲を包括する チュルク族は、ウラル・アルタイ語族=ツラン族といい この内、ツングース、蒙古、サモエード、フィノウグリア、チュルクの五族があるといいます。 また「ツラン族は、BC8000年頃、シュメールの地にいたが、BC3000年以降アフリカ民族が セム族を滅ぼして自らセム族となり、BC2200~2000年頃シュメール帝国を滅ぼしてしまった。 この状況のもとで、ツラン族はBC3000年頃からインド、中央アジア、東アジア方面に移動した」 と述べて、そしてチュルク族については、「往昔その原郷のアルタイ山脈から出発し、ほぼ北東 と西に広がって、主としてアジアに限局する地域を占めた。・・・西に進んだ一部はイデル・ウラル とクリミア地方からバルカン南東隅まで・・・また他の一部はドナウ盆地にまで進出した。 彼らの支配は、名目的にはメソポタミア、シリア、パレスチナ、北アラビアに及び、またかつて 一時的に、イラン、アフガニスタ、インドまで伸張し、さらにアルジェリア、全バルカン半島 全ハンガリー平野を領有していた時代があった」と述べています。 彼らはシルクロード全域に亘って分布し、アレキサンダー大王が洛陽に侵入するまで 中原の支配者だったのです。のちの高句麗・百済・天皇家につながります。 この人々は後に分裂して【丁零】、【殷庶の高令】、【匈奴高令部】、【高句麗】などになりました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009/03/09 11:03:05 PM
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