テーマ:日本人のルーツ(528)
カテゴリ:歴史
![]() 以前、エヴァンゲリオンのようにヒットした 【鋼の錬金術師】は、私も好きなアニメでした。 シェイクスピアは言葉の錬金術師と云われます。 【錬金術】とは、字の通り金を練成する術です。 「金は、一番不純物が無いの。 古くなっても、拭くとすぐピカピカになるでしょ」 と、理科系の友人が言いました。なるほど。 古い雛人形の着物の金糸が今もキラキラ輝いていたことを思い出します。 ![]() 金は、とにかく変化しにくい物質だということが分かりました。 すべての元素の中でもっともイオン化傾向が低く、空気にさらしていても錆びることは無いし、 酸につけても溶けることは無い。ゆえに変化しない物質だということです。 そういう物質が天然で金属のまま産出されるのだそうです。 それは完全なもの、永遠なものを意味し、古代の人々は、それを創り出す自然に 神の偉大さを重ね合わせたようです。 錬金術では、地上の原理はすべて宇宙の原理とシンクロしていると考えます。 宇宙を一つのシステムだとすると、そこに存在する全てのものは相互に関わりあっていると。 人間は一つの宇宙であり、細胞はミクロの宇宙であると、したがって地球である大宇宙と 小宇宙である人体は相似形であると考えました。 頭部と四肢を持つ人体。全体の約70%が水分の人体。 中央が高い五本の指を持ち、五臓で生命を維持しています。 宇宙の崩壊を実際に見なくても、古代人の感性は死という人間の崩壊を見て、それをイメージし 宇宙の発生を見なくても、誕生という人間の発生を見てそれを拡大解釈することができたと 考えられます。昼と夜が巡ると風景が変わり、生き物は成長し年老いて崩壊してゆく。 それらの要素を古代人の柔軟な想像力は、自由自在に拡大・縮小し、誇張や比喩を 積み重ねて原子サイズから漠とした宇宙までを破綻なく見立てる理論を構築して文字に 記し残しました。知恵と気の流れ、天の巡り、陰陽が溶け合った部分が全てのものが発生する 聖地とし古代の人々は遺跡を残しました。ストーンヘンジ・ピラミッド・前方後円墳・鹿島神宮も。 錬金術では、卑金属から黄金を産み出すという作業を通して 内的な魂の変容のプロセスを歩みます。 黄金とは、不変で完全で祝福された状態の魂のシンボルであり 黄金の獲得を目指すことは同時に悟りの境地のように意識が根源的に変革されて 高次の認識水準に達することをも意味しました。 金属を作り出す神がなぜ一つ目や片目とされてきたのかという点に関しては金属精錬の タタラ作業で火の色を長年見つめるために片目がつぶれたという説などがあります。 中世ヨーロッパでは、錬金術師が、鉛などの卑金属を金に変える際の触媒となると 考えた霊薬が賢者の石とされました。 また【賢者の石】は卑金属から黄金に変える赤くて重い石を液化すると延命長寿の薬となり あらゆる病気に効く万能薬といわれました。 秘教的錬金術、錬金術師がめざした黄金は金属(物質)ではなく 魂の浄化を象徴した霊的黄金である意識の至高状態をいいます。 卑金属を黄金に変成させて自然を完全なものとし、時間にとってかわる修験道 永遠の生命の探求をめざした煉丹術(錬金術)と同じ金を採集するための苦難が、 苦難そのものが、目的のようになり変形しています。 本来は、修験の服装や持ち物も、前人未踏の地に金や水銀を探すためのものでした。 人類が利用し始めた最初の金属は、銅でした。銅を高温で加工する技術を発見した過程で 偶然、僅かな金を発見したと考えられます。銅は、自然の形で発見されることが多かったのです。 金は、銅や銀と、元素で同族の関係にあり、多くの銅鉱石は、少量の金や銀を伴っています。 したがって銅を大量に使っている間に、金が少しづつ蓄積していったようです。 金は、王権と密接に結び付いていたと考えられます。 古代の農民社会は、王と戦士階級と農民、三つの要素で構成されていました。 興味深いのは、かなり時代は下がりますが、古代のミトラ信仰に この三つの要素が濃厚に反映されていることです。 ミトラが王の神格、インドラ(帝釈天)が戦士階級の長の神格 そして農民階級を現すその他大勢の神・・・。 ミトラ信仰はゾロアスター教信仰以前の古代イラン人の宗教といわれています。 しかしその古代イラン人はどこから来たのでしょう。 北方起源説が有力なアーリア系のイラン人が、その信仰の農民的性格から 実はメソポタミア起源である可能性があるといわれます。 農民社会は、遊牧民族から発展したのです。 遊牧民の生活は、絶えず外部の状況が変化し、絶えず未知のリスクに曝され そのなかで選ばれるとしたら血筋よりは、個人の能力、とくに判断力と決断力 に優れていることが、リーダー選定の基準になっていたことでしょう。 激しい闘争を勝ち抜き、王となった人間にとって最大の課題は、潜在的な競争相手から 自分だけは超越した存在であることを誇示することであったでしょう。 この目的で、金はラピスラズリとともに理想的な材料でした。 簡単に手に入らないことが、好まれたのです。 とくに、どんな環境にも光りを失わない金は、太陽光線の下であれ 夜の篝火の横であれ、見る者に畏敬の念を抱かせたでしょう。 金は、王権を確立するための小道具として、必要欠くべからざるものでした。 銅には遅れましたが金もまた、世界でもっとも早く農業社会が発展したメソポタミアで もっとも強い需要があったと思われます。 かくてほとんどの金の生産地は、メソポタミアの王のために開発された可能性が高いのです。 やがて分業がはじまり、農耕をせずに採鉱と交易をする遊牧民は アラビア半島を数百年かかって迂回し、シナイ半島の銅鉱山を開発したようです。 さらにスエズを渡ってエジプトの山を探鉱して回りそしてナイル河の砂金を発見しました。 東ではインド、バクトリア、ソグディアナ、これらの地域も、シナイの鉱山と同様、 これらの鉱山師によって開発されたと考えられます。 そして、北シリアから地中海岸をイベリア半島まで、 またメソポタミアからイラン、パキスタンを経てアフガニスタンからソ連中央アジアまで、 銅や金を運ぶルートが出来ていったと考えられます。 中央アジアのシルク・ロードは、古くはゴールド・ロードあるいはカッパー・ロード(銅の道)でした。 インダス河流域、モヘンジョ・ダロのBC2500年頃に遡った頃に設計された都市も メソポタミアへ金や銅を運ぶ基地として、メソポタミア系の人によって建設されたと考えられます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009/03/14 01:59:44 PM
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