テーマ:日本人のルーツ(528)
カテゴリ:歴史
エラム族のジグラットに始まる方型祭壇は、日本では前方後円墳になっていますが 北朝鮮の将軍塚、ジャワ・ボロブドゥール遺跡などにも見られ、6世紀のチチェン・イッツァの ピラミッドもその延長にあります。尚、日本の前方後円墳は鳥神信仰に基づくもので カリクヌトラウカの前方後円祭壇と同じ意味を持っています。 またインカは殷夏を、マヤはコマヤ(宮廷)を表わします。 さて、沖縄に行った狗奴国の人々が王族に、アラム族とサカ族を戴いていたことは アメニギ氏の狗奴国が邪馬壱国を破って国東半島南部のアマ地域(白水郎・今日の海部郡) から、京都の天部(余部)を経て最後に山形県の余目(アマルメ)に辿り着いたという地名遷移や 余目の人々が今日でも白色碧眼であることからも明らかになります。 このようにして、スキタイ系イラン、シメオン系の人々の混じった扶余・辰国系の人々の軌跡は 海人であるマラ族によって、ごく広範囲に拡散したと考えられます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009/04/10 02:20:04 AM
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