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2009/06/28
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カテゴリ:歴史

古代、白鳥をトーテムとする部族は欧亜にかけて存在しました。

【白鳥族】は匈奴の中にいました。後の【匈奴】は自称【フン】Hu-unといいましたが

これはメソポタミアのウル語の【鳥】=【フ】huに起源しています。

彼らは鳥(フ)をトーテムとしていましたから民族名を【フン】と称したのです。

そして、この鳥の【フ】は、3世紀、馬韓の長い王号の中に、濆(フ)、不(フ)、報(ホウ)

としてありました。また高句麗では王妃部の絶奴部が、細群(さいぐん)と麁群(そぐん)に

分かれていましたが、細群が【白鳥トーテム族】、麁群が【大角鹿トーテム族(スキタイ人)】でした。

いうなれば、白鳥トーテム族が匈奴に、高句麗に、馬韓に、いたのです。

【白鳥族】と【牛族】は、ラガッシュ系とウル系に別れるのですが、両族は【七夕伝説】【羽衣伝説】

【白鳥乙女伝説】【夕鶴物語】でも分かるように、対婚部族であったのです。

日本にも、倭建命の霊魂が白鳥となって飛び去ったという白鳥伝承があります。

ビーだま.gif

国史で猿田彦といわれるユダヤ・ガド族は、BC10世紀以降のウラルトゥ(ウガヤ王朝)時代からの

歴史を【高天原の由来】として、ホツマ文字(神代文字)で書かれた【秀真伝】

カスガ文字で書かれた【三笠紀】など、五七調の叙事詩として語り伝えながら

シルクロードを東遷して中国→朝鮮→対馬へと至りました。

彼らは、小船越に阿摩氏留神社(天照神社)を建立して、日本列島各地に移住する前進基地の

本拠としました。阿摩氏留神社(天照神社)の一体には神武(尉仇台二世)の祖父

仇台一世彦波武鵜葺草葺不合命ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)の霊が祀ってあり

また別の一体は、天照意保比留貢あまてるおほひるむて(天照の世襲名)を称える

祖神=ガド族の族長を祀っています。

但し、現在この天照意保比留貢の御霊は次の三社に遷座されています。

愛知県・・・安城市神明神社蒲郡市神明神社豊田市神明宮

ビーだま.gif 

天から降ってくる【天国アマクニ】というのは、対馬、壱岐、沖ノ島など

朝鮮と日本の間にある島々のことです。

【天国アマクニ】から朝鮮や日本、他の地へ行くことを天から行くので【天降る】といいました。

今でも東京駅から他へ行くのを下り列車、東京へ行くのを上り列車といいます。

昔は京都に都があったので、京都に行くのを上る、京都から地方へ行くのを下ると表現しました。

それと同じに天国・対馬等の島々から他へ行くのを天下る、そこへ行くのを天上るというように

なったと考えられます。島は海に浮んでいるので途中下車はなく、降りた・・・と記述したと

思われます。そこで【記紀】では降臨したのがニニギノミコトでコノハナサクヤヒメと一緒になって

という話が出てきますが、その天孫降臨、実際にはユダヤ系のガド族、日本名では猿田彦が

最初にやってきました。彼らが天降って王宮を作った場所は吉武高木遺跡です。

他にも、イエス・キリストを生んだゼブルン族、日本で言えば宗像神社の三人の姫=宗像神社

の御三神に相当する人々、さらには女王卑弥呼と大物主命などの系統であるイッサカル族

これらが三位一体となり連合して竺紫の地に渡来しました。ここには糸島半島がありますが

ガド族らは、ここに上陸しています。この吉竹高木でつくった国を伊勢国といいます。

この伊勢国がやがて近畿地方に移るため、区別してこの地を【旧伊勢国】としていますが

この時、最初の【伊勢国】を建てたのです。伊勢の君・猿田彦は鉄鐸・銅鐸文化の祭祀者

であり、秦末の【焚書坑儒】事件で多くの王族や儒者たちを殺されたガド族がイスラエル北朝

からユダヤ南朝系に変身して急遽、鉄鐸・銅鐸文化を携えて日本列島へ亡命したのです。

こうして九州博多の地に新しい青銅器文化の先進国が建設されました。

次に、その初代猿田彦命に続いて、二代目の猿田彦は、イスラエル神(バアル神)

祀る太陽神殿(天照大神を祀る日代宮)を平原王墓(遺跡)に築き、 八咫鏡・神鏡・鉄剣・勾玉

など【三種神器】を奉納しました。それが九州社会を発展させるきっかけになりました。

この頃、九州の地には以前から縄文人や稲をもってきた苗族、あるいはシュメール人の

グループといった先住民が居住していました。猿田彦二世は、その人々を支配化において

ユダヤ人たちのヘレニズム文化(ギリシアとペルシャの混合文化)によって鉄鐸・銅鐸

を生産する青銅器文化を九州全体に繰り広げていきました。こういう猿田彦の話が

日本武尊ヤマトタケルノミコト九州征服譚に書かれ、この地が筑紫の大和と呼ばれたのです。

【まほろば】という言葉は鳥の心臓に近い脇にある柔らかい毛をいう「摩倍還麻まへらま」

訛ったもので、「秀」「場」=日本の中心の秀れた地と一般には解釈されています。






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最終更新日  2009/06/29 08:08:27 PM
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