テーマ:日本人のルーツ(528)
カテゴリ:歴史
![]() 【武士】と書いて【もののふ】と読み、【物部氏】とは物の部民でありました。 モノとは、物質を意味するのみならず、兵器や兵力といった軍事力のほか 霊的な呪力をも意味しました。 古代にあって、戦は武力のみならず霊力も必要としました。 即ち、物部氏とは物を作る技術者集団であると同時に、軍事組織にして 呪術集団でもありました。 【祟仏論争】に見るように、物部氏は、神道を奉じ、古代の神道は物部氏が握っていました。 しかし、物部氏は没落し、現在にあって神道祭祀を担っているのは藤原氏です。 奈良時代から平安時代にかけて、藤原氏が政治権力を握ることによって、同族の中臣氏と 卜部氏が宮中祭祀を独占し、物部氏および忌部氏の力は急速に衰えていきます。 これによって、物部氏が奉じてきた古代神道は完全に封印されることになります。 ![]() では、いったい物部神道とは、いかなる神道だったのか? 数々の弾圧を受けながらも、その奥義を現代まで密かに伝えているのが丹後一宮の籠神社 だといいます。籠(この)神社は、数ある元伊勢の一つとして知られます。 伊勢神宮が五十鈴川の畔に鎮座するまでの間、天照大神の御霊は各地を点々としましたが 宮中から最初に大和を離れて祀られたのが、籠神社でした。 籠神社の宮司は代々、海部(あまべ)氏が務めてきました。 海部氏とは物部氏の中の祭祀を一手に行ってきた一族です。言霊でいえば、海部氏はアマ部 即ち天部でありました。【海部氏本系図】は、歴史的重要性から国宝に指定されているほどです。 これほど重要でありながら、海部氏は、弾圧を受けながら物部神道の奥義を極秘伝という形で 継承してきたのです。極秘の鍵となるのが社紋、一般に表と裏があり、表紋は下がり藤で 裏紋は長い間隠されてきました。それが平成の世になって、遂に公開されました。 これは六芒星 ユダヤ人のシンボルです。物部氏がユダヤ人と関係があることを端的に示します。 ところで、童謡の【カゴメ唄】は、籠神社の極秘伝の一部だといいます。 伝承によって、一部は変わってしまっていますが、本来カゴメ唄は籠神社の隠し歌でした。 そこには、日本の国家成立に関わる重大な秘密が、暗号として隠されているそうです。 元伊勢である籠神社と伊勢神宮は、ほぼ一直線に並んでいます。 もう一つ、江戸時代に伊勢本宮と名乗った伊雑宮もまた、このライン上にあります。 伊勢神宮の内宮と外宮を結ぶ参堂脇の石灯籠にカゴメ紋が刻まれており、これは、ユダヤとの 関係を指摘されますが、これは元々伊雑宮の裏社紋でした。籠神社もまた裏社紋はカゴメ紋です。 極秘伝が記された紙には【カゴメ唄】に登場する鶴とは伊雑宮のことで 亀とは籠神社のことを示すと記されていたといいます。 【カゴメ唄】の最大の焦点は、【鳥】です。夜明けの晩に出てくるという【鳥】こそ この唄のメインであると考えられます。陰陽道にあって、鳥は天と地をつなぐ者。 【鳥】は、物部氏がシベリアにいた時、シンボルとしていた・・・そう、彼らこそ【白鳥族】だったと 推測します。彼らは騎馬遊牧民のなかに溶け込んでいたのかもしれません。 古代イスラエル人の渡来には、少なくとも二つの流れがあります。 一つは失われたイスラエル10支族がスキタイと共に騎馬民族となって日本にやって来た可能性。 しかし、籠神社の極秘伝では、物部氏は騎馬民族や秦氏よりも古い、大量の渡来人が 朝鮮半島からやって来る以前、すでに物部氏は王権を確立していたといいます。 籠神社のある丹波を中心にして、近江や出雲を含む広大な地域を支配していました。 【魏志倭人伝】に記された【投馬国】とは丹波国にほかならず、いわゆる出雲族は 物部氏に他ならないといいます。【投馬国】とは古代イスラエル人の書【ホツマツタエ】に通じます。 ここで、以前調べた【白鳥族】のことを補足します。 ![]() 古代、白鳥をトーテムとする部族は欧亜にかけて存在しました。 【白鳥族】は匈奴の中にいました。後の【匈奴】は自称【フン】Hu-unといいましたが これはメソポタミアのウル語の【鳥】=【フ】huに起源しています。 彼らは鳥(フ)をトーテムとしていましたから民族名を【フン】と称したのです。 そして、この鳥の【フ】は、3世紀、馬韓の長い王号の中に、濆(フ)、不(フ)、報(ホウ) としてありました。また高句麗では王妃部の絶奴部が、細群(さいぐん)と麁群(そぐん)に 分かれていましたが、細群が【白鳥トーテム族】、麁群が【大角鹿トーテム族(スキタイ人)】でした。 いうなれば、白鳥トーテム族が匈奴に、高句麗に、馬韓に、いたのです。 ![]() 国史で猿田彦といわれるユダヤ・ガド族は、BC10世紀以降のウラルトゥ(ウガヤ王朝)時代からの 歴史を【高天原の由来】として、ホツマ文字(神代文字)で書かれた【秀真伝】 など、五七調の叙事詩として語り伝えながら シルクロードを東遷して中国→朝鮮→対馬へと至りました。 そこで【記紀】では降臨したのがニニギノミコトでコノハナサクヤヒメと一緒になって という話が出てきますが、その天孫降臨、実際にはユダヤ系のガド族、日本名では猿田彦が 最初にやってきました。彼らが天降って王宮を作った場所は吉武高木遺跡です。 他にも、イエス・キリストを生んだゼブルン族、日本で言えば宗像神社の三人の姫=宗像神社 の御三神に相当する人々、さらには女王卑弥呼と大物主命などの系統であるイッサカル族 これらが三位一体となり連合して竺紫の地に渡来しました。ここには糸島半島がありますが ガド族らは、ここに上陸しています。この吉竹高木でつくった国を伊勢国といいます。 この伊勢国がやがて近畿地方に移るため、区別してこの地を【旧伊勢国】としていますが この時、最初の【伊勢国】を建てたのです。伊勢の君・猿田彦は鉄鐸・銅鐸文化の祭祀者 であり、秦末の【焚書坑儒】事件で多くの王族や儒者たちを殺されたガド族がイスラエル北朝 からユダヤ南朝系に変身して急遽、鉄鐸・銅鐸文化を携えて日本列島へ亡命したのです。 こうして九州博多の地に新しい青銅器文化の先進国が建設されました。 次に、その初代猿田彦命に続いて、二代目の猿田彦は、イスラエル神(バアル神)を 祀る太陽神殿(天照大神を祀る日代宮)を平原王墓(遺跡)に築き、 八咫鏡・神鏡・鉄剣・勾玉 など【三種神器】を奉納しました。それが九州社会を発展させるきっかけになりました。 この頃、九州の地には以前から縄文人や稲をもってきた苗族、あるいはシュメール人の グループといった先住民が居住していました。猿田彦二世は、その人々を支配化において ユダヤ人たちのヘレニズム文化(ギリシアとペルシャの混合文化)によって鉄鐸・銅鐸 を生産する青銅器文化を九州全体に繰り広げていきました。 【鶴族】は物部氏のこと、【亀族】とは九州豊国(金官加羅)の中臣氏のことです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009/08/23 09:27:26 PM
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