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2009/09/01
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カテゴリ:歴史

ひょんなことから【折り紙】の歴史について調べていました。

海外ドラマの【プリズン・ブレイク】のなかで、白鳥の折り紙がタイトルシーンに毎回でてきます。

このシリーズは、シーズン4と、回を重ねている人気ドラマです。

赤い花の折り紙もキーワードになっています。

スワン(白鳥)を白い紙で折ってみました。日本の鶴とはまた違った清々しさです。

日本と西欧は、独自にそれぞれ折り紙文化が発展していったようです。

不思議なのは、西も東も【鳥】が基本になっているのです。

スペイン人なら誰でも知っているパハリータ、フランス語でココットという

可愛い鳥の折りがあり、東端の日本には【鶴】があります。

       weg_line_01.gif

古代 、白鳥をトーテムとする部族は欧亜にかけて存在しました。

【白鳥族】は匈奴の中にいました。【匈奴】は自称【フン】Hu-unといいましたが、

これはメソポタミアのウル語の【鳥】=【フ】huに起源しています。

彼らは鳥(フ)をトーテムとしていましたから民族名を【フン】と称したのです。

後に彼らは西欧に進行していきました。  【白鳥族】とは、丁零のことと考えられます。

       fhane_line02.gif

新石器時代の後期、BC3000年紀の初めにかけて、南シベリアのイェニセイ河上流と

アルタイ地方に、アフナシェバ文化が栄えました。

この文化の担い手は周囲のモンゴロイドと異なり、パレオ・ユーロペオイド的(白人)でした。

アフナシェバ文化は、西シベリアのソンスク地方にBC1750年~1200年の間分布した

アンドロノヴォ文化という青銅文化につながり、さらにアンドロノヴォ文化は、BC2000年紀末

南シベリアのカラスク文化と中央アジア北部のダザバギャプ文化に代わりました。

カラスク文化は、殷の青銅文化と同様に、西アジアに発達した金属文化の東方流入によって

発達したといわれます。

       fhane_line02.gif

中国北部で【丁零】と呼ばれた人々が、殷の住民から借用した様々な文化的要素

とくに青銅鋳造の技術を南シベリアに持ち込んだとおもわれます。

カラスク人につづくタガール人は(マイエミール人とともに)西シベリアの古いユーロペオイド(白人)

に属し、中国史の丁零です。【丁零】は、チュルク族の一派ですが、カラスク文化の担い手が

【丁零】ならば、その祖型にあたるアンドロノヴォ文化、さらに、その祖型にあたるアナシェヴァ文化

も、同じくチュルク族の文化と考えられます。

       fhane_line02.gif

学者の今岡十一郎氏は、シベリアにいた丁零と、西はトルコ人と広大な範囲を包括する

チュルク族はウラル・アルタイ語族=ツラン族といい

この内、ツングース、蒙古、サモエード、フィノウグリア、チュルクの五族があるといいます。

ツラン族は、BC8000年頃、シュメールの地にいたが、BC3000年以降アフリカ民族が

セム族を滅ぼして自らセム族となり、BC2200~2000年頃シュメール帝国を滅ぼしてしまった。

この状況のもとで、ツラン族はBC3000年頃からインド、中央アジア、東アジア方面に移動した

と述べて、そしてチュルク族については、「往昔、その原郷のアルタイ山脈から出発し、

北東と西に広がって、主としてアジアに限局する地域を占めた。・・・西に進んだ一部は

イデル・ウラルとクリミア地方からバルカン南東隅まで・・・また他の一部はドナウ盆地に

まで進出した。彼らの支配は、名目的にはメソポタミア、シリア、パレスチナ、北アラビアに及び、

またかつて一時的に、イラン、アフガニスタ、インドまで伸張し、さらにアルジェリア、

全バルカン半島全ハンガリー平野を領有していた時代があったと述べています。

彼らはシルクロード全域に亘って分布し、アレキサンダー大王が洛陽に侵入するまで

中原の支配者だったのです。そして、高句麗・百済・天皇家につながります。

この人々は後に分裂して【丁零】、【殷庶の高令】、【匈奴高令部】、【高句麗】などになりました。

彼らは、バイカル湖あたりに居住していた遊牧民で、匈奴衰退後の3~4世紀頃、南下して

【高車丁零】を立てましたが、6世紀前半に柔然に滅ぼされました。

同じ頃、鉄勒というテュルクの名を持つ人々が現れ、丁零の原住地バイカル湖沿岸から、

中央アジアのカスピ海西岸に至る広大な地域で遊牧していました。

また、同じ6世紀中頃に、やはりテュルクの音写名で記録される突が現れ、柔然を滅ぼし

鉄勒諸部族を服属させてモンゴル高原からカスピ海北岸のキプチャク草原に至り、

ソグド人などの定住民が居住する中央アジアのオアシス地帯までも支配する大帝国を築き、

その支配のもとで中央ユーラシア全域に及ぶテュルク世界の原型が形作られました。

       weg_line_01.gif

白鳥は日本では越、出羽、周防方面に残りますがアルタイではチク、チャク等と言います。

キプチャクは クマンとも言いますがこれは熊、白鳥の連合軍です。

単独ではクゥイといい、紀氏がこれです。 熊野出雲族です。紀氏は吉備氏から分かれます。

吉備氏は素鵞・熊野連合から来ますが、 これは熊・襲、熊野・出羽、同様の

イェニセイ・ケト熊族・イェニセイ・ケト白鳥族であり、連合して金海(キメ)、吉備と称します。

パレスチナ・アナトリア・アゼルバイジャン(麁鹿火という川がある)・アブハジア・ コーカサス北麓、

後にはクマン族としてミラノ北部のスイス山村にナマハゲを残し、ポーランドには 沖縄のジュリ馬を

残しています。セイマトゥルビノと言う世界で最も精密な木彫り木型にによる鋳造を 発明、

長槍軍団で西シベリアを席巻しています。

気多神社からは木曾・出羽等で日本彫刻芸術の 基礎を確立しています。

細形銅剣は遼東ではなくロシアのウラジオストーク、北朝鮮清津、元山方面を経由しています。

この先はシベリア鉄道乃至は東清鉄道経由バイカル・エニセイ方面に繋がります。

突帯文土器のルーツは バイカルにあり、屈射はアルタイにあります。

日本の銅剣銅矛文化圏、銅鐸文化圏は南シベリアと長江下流 から来ていることになります。

偉大なる匠の民族ケト族、気多の大神の子孫は現在の日本でも生き残っています。

これはナデネ・インディアンに近いとされており、言語的にもケト語は

ナデネ・シナチベット・コーカサスと同じ部類とされます。

犬戎の長、秦氏の導きにより、ホレズム(フルリ族の国)から日本に入るソグド・エフタル・滑は

その地中海コーカソイド 遺伝子を残してはいませんが、白いフンの一環として引き帰したのでしょう。

だが、コーカサス系の遺伝子 I-P19は0.4%残り、ヒッタイト・フルリ人として

ケト族とパレスチナ・アナトリアで活躍したことを物語るようです。

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白鳥をトーテムとする人々は、大きな白い翼に清浄さと憧れをもったと思われますが

それだけではなかったようです。彼らは製鉄部族でした。

製鉄産地と白鳥の飛来地が不思議と重なるのは、どういうわけでしょう。

それは、白鳥など渡り鳥には、体内にナビゲーションシステムが備わっているようです。

センサーが働いて磁場を感知するようなのです。スーパーオキシドと呼ばれる活性酸素

の一種が感光性タンパク質と結びつくことで、鳥の目の中にコンパスが生成され、

地球の磁場が【見える】ようになるといいます。ゆえに、【白鳥族】は、白鳥を追いかけて移動し

鉄を掘り出していたのでしょう。






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最終更新日  2009/09/02 11:55:06 AM
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