世界最古の国
皇紀元年は西暦紀元前660年、神武天皇即位してから今年で2668年ということでしょうか。しかし、2668年前には、日本という国も神武天皇も未だ生まれていませんでした。その頃は、日本人のルーツは、遙か遠く中央アジアのアララト山を見上げる高原地帯であるヴァン湖周辺のビバイナという名の小さな国にありました。当時、オリエント周辺にあった数多くの種族国家が過酷なアッシリアの圧政下に喘いでいました。彼らは、BC1200年の昔、滅んだ人類史上初の鉄の帝国ヒッタイトの人民の主流を形成していたフルリ人や、ヒッタイト帝国東部辺境にいてヒッタイト化していたハッティ人と同種族であり帝国滅亡後の同朋難民でした。 その周辺部から、製鉄の業を会得した新しい勢力がいくつか台頭し、その一つがアララト山を聖地とし、ヴァン湖周辺を根城に勢力を延ばしていたグループでした。ビバイナ国の初代の王は、アラムと言う名でした。彼は即位して国土を掌握するやいなや、自ら太陽女神アラメアであると自己主張し当時のオリエント世界の支配者であるアッシリア帝国に真っ向から抵抗しながら自らの小王国ビバイナを、そしてやがて名実ともに帝国となってアッシリアが名付けたウラルトウを建国していくことになります。最初、貧しい山岳地域の小国にすぎなかったビバイナは、滅亡したヒッタイト帝国の製鉄技術者達を、何らかのきっかけで多人数取り込むことに成功し、同朋難民を吸収してふくれ上がっていったと考えられます。彼らはやがて大帝国アッシリアの言うことを聞かなくなり反撃してくるアッシリア軍の討伐を避けて、国ぐるみで山奥を延々と逃げ回ったようです。 ヴァン湖周辺のナイリの諸国、更に小アジア寄りにあったハイーク諸国や西方の森の国ムサシルなどを次々と併呑し、やがて失われたイシン帝国の祭儀と意志を受け継ぐウラルトウ帝国として、急速に勃興していったのです。なぜイシン帝国かといいますと、このウラルトゥの人々は、後期イシン王朝末裔になるからです。 遡ることBC1018年、後期イシン王朝滅亡後、幾つかの小国家に分かれビト・アデイニ王国とラケーの人々は、エラム王朝を倒した後、東方の支配を目的としシルクロードによってバルハシ湖に注ぐイリ河に進み黄金の眠るイッシクルに箕子国を建国します。イッシク古墳から発掘された【黄金人間】といわれる黄金の衣を着た16~18歳の少年被葬者こそ箕子国の王でありました。彼の黄金の上衣はアルタイの金山から採った金塊で作られ、副葬品はバクトリアの扶余から届けられたものでした。後に、この地域を支配したウイグル人は、日本の平安時代の王族とまったく同じ風俗をもっていましたが、両者は共に箕子国の文化を受け継ぐ韓人王朝でした。