日本人のルーツ
縄文時代(1万2000年前以後)の人々は、みんな白血病のウイルスを持っていたことが分かってきました。続いて弥生時代(3500年前以後)になると、中国や朝鮮などから、いろいろな人々が渡来して賑やかになりますが、弥生時代の人々は、この白血病ウイルスを持っていませんでした。このように縄文人と弥生人は明確に違う存在だったことが分かります。日本人を血液型でみていくと、A型は、チュルク族(トルコ系)・高句麗・新羅・百済系B型は、ツングース(アイヌ)系・アーリアンの白人系O型は、ネアンデルタール人及びネグロイド(黒人)・ポリネシア人・ユダヤ人など各種系統が含まれます。日本人は、いろいろな人種が混合された雑種であり、そのおかげで遺伝的に強くなっていったようです。(縄文人)日本列島に最初に渡来した縄文人の人口は、わずか5000人に満たない数でした。港川人が2000人、アエタ族800人、オロッコ人600人、アイヌ人800人です。すべてドラヴィダ人の血を引いているといいます。この人々が、縄文人となります。約9万年前、アフリカにいた原人の群れの中から、最初の新人であるフッリ人がアフリカで誕生しました。彼ら新人の群れは、しばらくして世界中に広がりましたが、各地に拡散する過程で、分化しました。 ドラヴィダ人は、約6万年前に、マレー海域においてフッリ人(黒人)から生まれアーリア人(白人)の侵入以前にインド北部を支配し, インダス文明を担ったとされる民族でした。 アエタ族は、コロボックルといわれた小柄な人々で、港川人と共に南方からやってきて薩摩、日向、熊本に住み着きました。やがて彼らは、山口、出雲、高知、青森、北海道などに散居していきました。 港川人は、約1万2000年前(ビュルム氷期の最終期)に、スンダ大陸にいたエブス人(プロト・フェニキア人/男性)と先住のワジャック人(ドラヴィダ人から生まれた先住民)との混血によって、セレベス島のパル、ゴロンタロなどの中部スラウェシで生まれました。 オロッコ人は、約1万3000年前に、ワジャック人とヒッタイト人(約5万年前に、アラビア半島において、エジプト人から生まれた)の混血によって、セレベス島のマカッサル周辺で生まれました。 アイヌ人は、約8000年前に、シベリアのバイカル湖付近でオロッコ人(オロチョン)とアーリア人の混血により生まれました。 ビュルム氷期の終末期、約1万2000年前の大洪水直前にバイカル湖周辺にいたオロッコ人が日本列島に移動して縄文人になりました。 津軽の荒吐五王(安倍氏・秋田氏)の歴史を伝える「東日流外三郡誌」は、このオロッコ人(狩猟民)のことを、岩木山周辺にいたアソベ族(阿蘇部族)としています。 約1万年前、縄文人は、上野原遺跡の竪穴式住居に定住し、根菜農耕およびヒエ・アワ・キビなどの雑穀栽培を行い、また狩猟や漁労などによって生活していました。