2009/08/01(土)17:13
我慢するということ
前回の日記「頑張るということ」に関連して。
「頑張る」=「我慢する」
っていうこともあると思いませんか?
頑張りすぎる人って、「こうしなきゃ」とか「こうでなきゃいけない」という気持ちが出すぎて、そのために自分の本音を無意識に押さえ込む(「我慢する」)こともあるような気がします。
もちろん我慢もある程度必要だと思います。
我慢することもせずに、言いたい放題、やりたい放題、は問題ありですからね。
ただ、その我慢が本当にその人にとって必要なことなのか、少し冷静な目で見てみましょう。
我慢して頑張れば結果が出る。
確かにそういったこともあるでしょうし、実際にそういった経験をした人ほどそう言います。
でもそんな人ばかりではありませんよね。
そんな言葉に縛られて、我慢しすぎて心身ともに疲れてしまう人たちが多いように思います。
私も一時期、とても我慢していました。
「こうしなきゃ」「こうでなきゃ」という思いに縛られて、いつかきっとよくなるだろうと頑張った時期もありました。
相手に気を遣いすぎてとても疲れていました。
でも、その「我慢」と「頑張り」をやめた時からすごく楽になりました。
その結果はまだわかりませんが、少なくとも「私が私らしく」なったことで何かが変わってきたような気がします。
人がなんと言おうといいんです。
どんな結果になろうといいんです。
自分に正直に。
そして、そのことで自分に起こることの責任を持てれば、それでいいのではないでしょうか。
子どもたちを見ていて感じます。
大人が思っている以上に、とてもしっかりとしたものを持っていると。
大人の都合で、子どもに不必要な我慢(と頑張り)を強いることがないようにしたいですね。
そして、子どものことで悩むお母さんたちも、結構色んなことで我慢することも多いと思います。
「過保護・過干渉をやめましょう」と言われ、言いたくてもじっと我慢することもありますね。
確かに子どもに余計な口出しをしないことは大切です。
でも、言わなくても心で思っていれば、必ずそれも伝わります。
言わないようにしよう、と我慢すればするほど、お互いにストレスが溜まることもあります。
それなら言っちゃってもいいと思いませんか?
「やってしまったーー」って思ったら、素直に謝ればいいんです。
できない自分をさらけ出してもいいんですよね