【改訂新版】カクテル--その誕生にまつわる逸話(8)Bamboo/11月21日(月)
8.バンブー(Bamboo)【現代の標準的なレシピ】(容量単位はml)ドライ・シェリー(50)、ドライ・ベルモット(20)、オレンジ・ビターズ1~2dash 【スタイル】ステア 「バンブー」は、一足早く誕生した「アドニス」というカクテルのバリエーションとして考案されたと言われています。具体的には、アドニスの「スイート・ベルモット」を「ドライ・ベルモット」に代えたのがは「バンブー」です。 バンブーは日本生まれの国際的なカクテル第1号と言われてきました。国内の多くのカクテルブックでは、「1890年(明治23年)、その前年に来日していた横浜グランドホテルの支配人、ルイス・エッピンガー(Louis Eppinger=ドイツ系米国人 1831?~1907)が考案した」と紹介されています。「バンブー(竹)」という名は、「クセのない素直な味わいを、天へ向かってまっすぐに伸びる、日本的な竹のイメージに重ねた」と伝わっていますが、残念ながら、エッピンガー自身の証言や書いたものは残っていません。 エッピンガー=考案者説の根拠として最もよく知られているのは、ウィリアム・ブースビー(William T. Boothby)が、1908年に著したカクテルブック「The World Drinks and How to Mix Them」に「…Originated and named by Mr.Louis Eppinger, Yokohama, Japan」との記述が見られる(洋酒ライター・石倉一雄氏情報)ことや、「1901年の段階ですでに日本から米国西海岸に伝わっていたことは、当時の文献(新聞など)からも確認できる」(石垣憲一氏の著者「カクテル ホントのうんちく話」=2008年刊=や米国の専門サイト情報)という事実です。 しかし近年(2018年)、日本のフレア・バーテンダーの第一人者でカクテル史の研究家でもある北條智之氏(横浜・バー「ネマニャ」オーナー)が、「日本生まれ説」が疑わしいという新事実を発見しました。北條氏は、日本で初めて横浜にバーが誕生して160年になることもあって、横浜のバーの歴史や横浜生まれと伝わるクラシック・カクテルのことを調べておられました。その過程で、「バンブーは1890年以前に、米国で誕生していたのではないか」という指摘があることを知りました。 そこで北條氏は、アドニスが誕生したと言われる1885年から1890年以前の米国内の新聞紙上で、バンブーのことが何か取り上げられていないかを調べてみました。すると、少なくとも3つの新聞で、「1886年には、すでにニューヨークの酒場で流行していた」ことを伝える紙面を見つけたのです。 北條氏のブログからの少し引用させて頂くと、例えば、1886年9月11日付の「Western Kansas World」では、「英国人から持ち込まれた、ある新しいドリンクがニューヨークのバールームで流行っています。レシピはシェリー4分の3、ベルモット4分の1というもので、”バンブー”と呼ばれています」と記されています。また同年9月19日付の「St.Paul Daily Globe(ミネソタ州セントポール)」でも同じ趣旨の記事が掲載されており、「バンブーと呼ばれている理由はおそらく、これを飲んだ人間はみんな騒ぎたい気持ちになるからだろう」とも。 さらに、1895年2月1日付の「The Daily Morning Journal And Courier(コネチカット州ニューヘイブン)」には、「Boston Bamboo」なるほぼ同じレシピのカクテルが掲載されているとのことです。日本人としてはとても残念なことですが、1886年当時の新聞記事という動かぬ証拠がある以上、どうやら、「バンブー=日本生まれのカクテル」という従来の説は見直さざるを得ないようです。 しかし、エッピンガー考案説までも否定されてしまうのでしょうか。エッピンガーは少なくとも英国人ではありませんが、バンブーが(英国が世界的なお酒として有名にした)シェリーを使ったカクテルであったため、「英国人」が考案したという先入観で誤認された可能性もなきにしもありません。もちろんバンブー考案(あるいは流行)に関わった別の人間がいるのかもしれませんが、これ以上のことは現時点では分かりません。 欧米のカクテル史の専門家やカクテル専門サイトも現時点では、エッピンガーが考案者であるとしているところが多数派なのですが、断定していないサイトでも、「バンブーの世界的普及の一番貢献したのはエッピンガーであることは疑いない」としています。来日前、エッピンガーは1877年(40代後半)からオレゴン州ポートランドでサロン・バーを経営した後、さらにサンフランシスコでホテルの支配人兼バーテンダーをしていたと伝わっています。ニューヨークで働いていたという事実は把握していませんが、酒類にも造詣が深く、自らもオリジナル・カクテルを考案したりしていたことは伝わっています。 実はバンブーは、エッピンガーが「サンフランシスコ時代にすでに考案していて、それを横浜に持ち込んだだけ」という説も以前からありました。なので、エッピンガーが1885年頃考案したバンブーが東海岸へ伝わり、1886年にニューヨークで流行するようになった可能性もあながち否定できません(米国では1869年に最初の大陸横断鉄道が開通しいており、1880年代には東・西海岸間の情報が行き交うスピードも相当早くなっていたはずです)。 一方で歴史的には、エッピンガー考案説に異を唱える意見もあります。1919年に出版された有名なカクテルブック「ABC of Mixing Cocktails」の著者、ハリー・マッケルホーン(Harry MacElhone)は、同書でなんと別人説を紹介しています。バンブーの項の末尾に、「ホフマン・ハウス(The Hoffman House)のチャーリー・マハニー(Charlie Mahoney)が1910年に考案」という添え書きを残しています。マハニーは、当時ニューヨーク・マンハッタンの有名な社交クラブ、ホフマン・ハウスの著名なチーフ・バーテンダーで、オリジナル・カクテルもいくつか残しています。 「マハニー=考案者」説は、欧米の他のカクテルブックやHPでもいくつか見られます。例えば、「(マハニーが)1902年にBob Coleが発表した“Under The Bamboo Tree”という歌からヒントを得て考案した」と紹介している本(Mittie Hellmich著 「Ultimate Bar Book: The Comprehensive Guide To Over 1000 Cocktails」=2010年刊=ほか)や、「マハニーが考案し、インド在住の英国人にもとても人気があった。“Reform Cocktail”という別名もある」と記すサイト(Savoycocktails.appspot.com)などです。 しかし、マハニー自身が著したカクテルブック「Hoffman House Bartender's Guide」(1905年以降、1912年まで4回刊行)には、バンブーがまったく収録されていないなど不可解な点もあり、1886年にすでにニューヨークで飲まれていた事実がある以上、個人的には「マハニー=考案者」説はとても疑わしいと感じています。 「バンブー」は1910年代には、少なくともロンドンやニューヨークではそれなりに知られていたカクテルであったことは確かです。上記の石垣氏は、「ニューヨークで(マハニーによって)先に考案されたバンブーが横浜に伝わり、エッピンガーがそのレシピにアレンジを加えて紹介したため、日本ではエッピンガーの創作(オリジナル)と信じられてきたという考えも、あながち否定できない」としています。しかし逆に、日本から伝わった「バンブー」にヒントを得たマハニーがアレンジを加え、「マハニー版のバンブー」を考案したと考えても不自然ではありません。 なお、ここで抑えておきたい点は、バンブーには欠かせない材料のベルモットには、スイートとドライの2種類があり、1880年代末まではほとんどがスイート・ベルモットだったということです。従って、1886年にニューヨークで流行っていたバンブーにも、まず間違いなくスイート・ベルモットが使われていて、万一、マハニーが考案していたとしても、それはスイート・ベルモットを使ったバンブーだったことでしょう。 当然、「あれ? バンブーって、ドライ・ベルモットじゃなかった?」「スイート・ベルモットを使うなら、バンブーではなく、アドニスというカクテルではないか」という疑問もわきます。 実は、ドライ・ベルモットが登場するのは1890年以降で、バーの現場にも徐々に浸透・普及していきますが、カクテルづくりに本格的に使われるようになるのは1910年以降です。バンブーと言えども、このようなベルモットの流通事情から、1910~15年頃までは、スイート・ベルモットを使うレシピの方が主流でした(他にもベルモットを使うカクテル、例えば有名なマティーニでも、1920年頃まではレシピにかなりの”揺れ”が見られます)。 一方で、バンブーの元になったという「アドニス」は、1884年頃に誕生したと言われていますが、シェリーとスイート・ベルモットが多め(「3分の2」から「4分の3」がベルモット)のレシピでした。一方、1886年頃ニューヨークで流行っていたバンブーは上記の史料「Western Kansas World等」によれば、「(スイート・)ベルモット4分の1」です。ここから分かることは、ドライ・ベルモットが本格的に使われるようになるまでは、「アドニス」と「バンブー」はスイート・ベルモットの割合で区別されたカクテルだったということです。 さて、欧米のカクテルブックで「バンブー」が初めて登場するのは、現時点で調べた限りでは、1900年刊の「The Cocktail Book: Sideboard Manual For Gentlemen」(L.C.Page & Company編)で、そのレシピは「シェリー2分の1、スイート・ベルモット2分の1、オレンジ・ビターズ2dash」と当然、スイート・ベルモットを使うレシピになっています。 しかし、バンブーとアドニスの両方を収録しているカクテルブック(例えば、1913年刊「Straub's Manual of Mixed Drinks」)を見れば、アドニスは「シェリー3分の1、スイート・ベルモット3分の2、オレンジ・ビターズ1dash」、バンブーは「シェリー3分の2、スイート・ベルモット3分の1、オレンジ・ビターズ1dash」と分量比が逆になっていて、両者をきちんと別のカクテルとして区別しています。 欧米のカクテルブックでドライ・ベルモットを使ったバンブーが初めて登場するのは、現時点で確認できた限りでは、1908年刊の「World Drinks and How To Mix Them」(William Boothby著)ですが、1915年頃までは、ドライとスイートそれぞれのベルモットを使うレシピが混在する時期が続きます。 以下は、私の個人的な想像を交えた総括です。 1.バンブーは、エッピンガーが考案したかはどうかは別にして、1886年の時点ですでに米国の東海岸地域(ニューヨークやボストンなど)で誕生していた。ただし、当時はスイート・ベルモットを使うバンブーだった。 2.エッピンガーはそのレシピを携え、1889年に日本に赴いた。そして翌1890年、横浜グランドホテルの支配人の仕事をしながら、米国でのバンブーのレシピをアレンジして、ドライ・ベルモットを使うバージョンをつくった(ただし、名前は「バンブー」のままで通した)。 3.そして、そのエッピンガーのドライ・ベルモット・バージョンのバンブーがまもなく、再び米国へ伝わって評判を呼び、米国内でも徐々に、それまでのスイート・ベルモット・バージョンにとって代わられるようになった。 なお、エッピンガーのオリジナル・レシピは、「ドライ・シェリー2分の1、ドライ・ベルモット2分の1、オレンジ・ビターズ2dash、アンゴスチュラ・ビターズ2dash、レモン・ピール」(出典:A History of Pacific Northwest Cuisine、Marc Hinton著)や、「ドライ・シェリー3分の2、ドライ・ベルモット3分の1、オレンジ・ビターズ1dash」(出典:Webの専門サイト情報)などが伝わっていますが、正確な記録資料は、現時点では確認されていません。 ちなみに、1900~40年代の欧米の主なカクテルブックでの「バンブー」の登場状況は、以下の通りです(レシピを本の発行年順に追って見ていくと、バンブーのベルモットがスイートからドライへと移行していく流れがよくわかります)。 ・「The Cocktail Book: Sideboard Manual For Gentlemen」(L.C.ペイジ&カンパニー編、1900年刊)米 シェリー2分の1、スイート・ベルモット2分の1、オレンジ・ビターズ2dash ・「Stuart's Fancy Drinks and How To Mix Them」(トーマス・スチュアート著、1904年刊)米 シェリー3分の2、スイート・ベルモット3分の1、オレンジ・ビターズ1dash ・「Hoffman House Bartender's Guide」(チャーリー・マハニー著、1905年刊)米 → 収録なし ・「World Drinks and How To Mix Them」(William Boothby著、1908年刊)米 シェリー2分の1ジガー、ドライ・ベルモット2分の1ジガー、オレンジ・ビターズ2dash、アンゴスチュラ・ビターズ2drops(レモンピール、グリーンオリーブを沈める) ・「Jack's Manual」(J. A. グロフスコ著、1910年刊)米 シェリー2分の1、スイート・ベルモット2分の1、オレンジ・ビターズ1dash ・「Straub's Manual of Mixed Drinks」(ジャック・ストローブ著、1913年刊)米 ドライ・シェリー3分の2、スイート・ベルモット3分の1、オレンジ・ビターズ1dash ・「173 Pre-Prohibition Cocktails」(トム・ブロック著、1917年刊)米 ドライ・シェリー2分の1、スイート・ベルモット2分の1 ※氷入りのグラスに注ぐ ・「ABC Of Mixing Cocktail」(ハリー・マッケルホーン著、1919年刊)英 ドライ・シェリー2分の1、ドライ・ベルモット2分の1、オレンジ・ビターズ1dash ・「The Savoy Cocktail Book」(ハリー・クラドック著、1930年刊)英 ドライ・シェリー2分の1、ドライ・ベルモット4分の1、スイート・ベルモット4分の1(※ドライとスイートの両方のベルモットを使う珍しいレシピのバンブー。初版では巻末の追記部分で紹介されていますが、2002年の発刊された日本語版ではこの追記部分が削られていて、日本人としては大変残念です)。 ・「The Artistry Of Mixing Drinks」(フランク・マイヤー著、1934年刊)仏 → 収録なし ・「The Official Mixer's Manual」(パトリック・G・ダフィー著、1934年刊)米 シェリー2分の1、スイート・ベルモット2分の1、アンゴスチュラ・ビターズ1dash ・「The Old Waldolf-Astoria Bar Book」(A.S.クロケット著、1935年刊)米 ドライ・シェリー2分の1、ドライ・ベルモット2分の1、オレンジ・ビターズ2dash ・「Mr Boston Bartender’s Guide」(1935年刊)米 ドライ・シェリー3分の2、スイート・ベルモット3分の1、オレンジ・ビターズ1dash ・「Café Royal Cocktail Book」(W.J.ターリング著、1937年刊)英 ドライ・シェリー2分の1、ドライ・ベルモット2分の1、オレンジ・ビターズ1dash、レモン・ピール ・「Trader Vic's Bartender's Guide」(ヴィクター・バージェロン著、1947年刊)米 ドライ・シェリー1オンス、ドライ・ベルモット2分の1オンス、オレンジ・ビターズ2dash、アンゴスチュラ・ビターズ2dash、グリーン・オリーブ 「バンブー」は日本でも当然、最初期のカクテルブックである前田米吉氏の著書「コクテール」(1924年刊)を始め、様々なカクテルブックに紹介されています。 横浜グランドホテルは1923年(大正12年)の関東大震災で焼失。再建されることはありませんでした。現在の「横浜ニューグランドホテル」とは直接経営的に関係ありませんが、この「バンブー」は同ホテルのBar「シー・ガーディアンⅡ」の「ハウス・カクテル」として受け継がれています。エッピンガーは1907年、横浜で没し、同地の外国人墓地に眠っています(※墓地は一般には非公開なので参拝はできません)。 【確認できる日本初出資料】「コクテール」(前田米吉著、1924年刊)。レシピは、ドライ・シェリー2分の1、ドライ・ベルモット2分の1、オレンジ・ビターズ1dash。【御礼】この稿の作成にあたっては、本文にも登場する北條智之氏(横浜「バー・ネマニャ」マスター)のほか、中瀬航也氏(東京・五反田「シェリー・ミュージアム」オーナー)、石倉一雄氏(洋酒ライター)の御三方に貴重な情報、ご助言を頂きました。この場を借りて厚く御礼申し上げます。・こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】