カテゴリ:アート&ブックス
神戸で仕事をしていた80年代前半、ある男性に出会った。彼は「おもちゃのデザイナー」だと、僕に自己紹介した。いたずらっぽい、少年のような目をしていて、「木を素材にしたおもちゃを、いろいろ作っている」と話した。
僕が「12個の干支のパーツに分かれていて、組み上げると立方体になる、木のおもちゃを持っている。小黒三郎さんとかいう人の作品だ」と言うと、「彼(小黒氏)は、仕事のパートナーだ」と話した。そんな奇遇が、最初の出会いだった。 まもなく、彼は神戸市内で、自分の店舗兼ギャラリーを開いた。小黒氏とも別れて、自分の会社をつくり、独創的な木のおもちゃや、ユニークなからくり、針金を使ったユーモアあふれるオブジェ、公園の子どもの遊具など、さまざまな分野で、その才能を花開かせ始めた。 ![]() いろんな人と飲んで、ワイワイ騒ぐのが好きな彼は、毎月1回、そのギャラリーを開放し、営業時間が終わった後、「飲み会」を開いた。阪神間に住む多彩な友人が集まった。 しばらくして、彼の才能に目をつけた江崎グリコが80年代後半、あの有名なキャラメルの「おまけ」製作を依頼してきた。 彼は、動物や昆虫、乗り物などをモチーフにした、遊び心あふれるおまけを、次々と創り出していった。おまけづくりは、その後7年近くも続き、製品化されたおまけは約250点にも達した。最初はプラスチック製だったおまけは、後期には彼の好きだった木の素材に変わった。 その後、彼とはしばらく会う機会が減った。阪神大震災では、店舗は大丈夫だったが、芦屋にあったアトリエ(工房)は、大きな被害を受け、使えなくなった。それでも、神戸の有馬にアトリエを移して、「一から頑張る」と力強く語っていた(写真左=グリコのおまけの原型となった木型。個展で6種×6セット限定で販売したものの一つ)。 だがその頃、彼の家庭は崩壊し始めていたことを、後に知った。妻や二人の子どもとも別れ、彼は大阪市内で一人暮らしを始めた。まもなく、後にパートナーとなる女性と一緒になった。離婚は個人の問題で、僕がとやかく言う話ではない。僕はその後も彼とは交遊を続けた。 ![]() 新たな伴侶と暮らすことになった大阪・十三(じゅうそう)のマンションは、淀川の大花火大会見物の絶好のロケーションだった。毎夏、たくさんの飲み友達が変わらず集まった。プロのクラシック・ピアニストだったパートナーの女性の伴奏で、オペラのアリアを熱唱し、客を楽しませる才能もあった。 その彼が、突然亡くなったという知らせを受けたのは01年5月5日だった。まだ50歳の若さ。悪性の胃がんだったという。進行が早く、見つかってから1年も経たなかった。新しいつれ合いの女性は「子どもの日に亡くなるなんて、あの人らしいでしょ」と僕に話した。通夜に駆けつけた僕は、棺の中の、生き急いだ彼を見ながら、声を上げて泣いた。 1年後、有馬温泉の寺で開かれた1周忌の会は、飲んでワイワイ騒ぐのが大好きだった彼のために、酒と音楽がいっぱいの楽しい宴になった。彼の名は、加藤裕三(ゆうぞう)=写真右。グリコの数あるシリーズ・オマケでも、彼の作品は、最も人気があり、高い評価を受けた。作品の数々は、文房具などの形でその後、商品化されたものも多い。彼が亡くなっても、その「遊び心」は確実に受け継がれている。 彼のつくり出した数々の創作おまけは、「グリコのおもちゃ箱」(アムズ・アーツ・プレス刊、1900円)という本で、紹介されている。また、有馬温泉の旅館「花小宿」では、彼の生み出したおもちゃが常設展示され、彼のアトリエも移築・公開されている。加藤裕三の世界に浸りたい方は、ぜひ一度ご覧になってほしい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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