テーマ:ミステリはお好き?(1566)
カテゴリ:アート&ブックス
ミステリー・ファンの僕が、最初に出会った作家は松本清張(写真左上 (C )松本清張記念館HPから)だった。今は亡き父も推理小説ファンだった。とくに清張が好きだったらしく、本棚には新書版の清張の作品が何冊かあった。
![]() 最初に読んだ作品は、おそらく清張ファンならベスト5に必ず推すであろう「点と線」(1958年発表=写真右上)である。列車の時刻表(ダイヤ)が小説(事件)の謎解きの鍵となるこの作品は、発表されるやいなや、たちまちベストセラーになり、社会派推理小説ブームが巻き起こった。 清張は明治42年(1909)、北九州・小倉の貧しい家に生まれた。尋常高等小学校を卒業後、15歳で、家計を助けるために就職することになる。 ![]() いつ頃から創作への情熱がわき起こってきたのかは、僕はよく知らない。知る限りでは、41歳のとき、「西郷札」という作品で、週刊誌の懸賞小説に応募し、三等に入選したのが名前が登場した最初。 その後、朝日新聞在社時代の昭和28年(1953)、「或る『小倉日記』伝」で芥川賞を受賞する。この「或る『小倉日記』伝」は、その後の作風を暗示させるかのようにミステリーっぽいタッチの作品で、「直木賞の方がふさわしかった」と言う文芸評論家が多かったという。 ![]() 3年後、清張は朝日新聞を退社、本格的に作家の道を歩み始めるが、このとき47歳。作家としては遅咲きだった。しかしデビューの遅れを取り戻すかのように、清張は「眼の壁」「黄色い風土」「ゼロの焦点」(写真左下)「砂の器」などのベストセラーを次々と生み出していく。「ゼロの焦点」や「砂の器」など話題作は、何度か映画やテレビドラマにもなった。 清張の推理小説は、トリックに凝る最近流行の作品とは少し違う趣を持つ。トリックよりも、登場人物の生い立ち、性格、心の内に秘められた思いなどをしっかり書き込むことに、真骨頂がある。主人公や犯人は、社会的弱者であることも多かった。おそらくは清張自身の不幸な生い立ちを映しているに違いない。 ![]() 清張のもう一つの凄さは、好奇心と探求心あふれるその幅広い作家活動である。推理小説以外にも、「日本の黒い霧」では政治に潜む闇を描き、「昭和史発掘」(写真右下)では2.26事件、下山事件など現代史に残る事件の謎に迫った。さらに、「古代史疑」では、独自の視点で邪馬台国など古代史の謎に取り組んだ。 いわゆる「学歴」というものには無縁だった清張。しかしデビュー後は、「学歴なんて、創作活動には関係ない」という反骨心で、有無を言わせぬ緻密な作品を創り上げていく。歴史研究では持ち前の探求心と努力で、専門家からも一目置かれる存在になった。その創作活動は、92年に82歳で亡くなるまで、終生ペースダウンすることはなかった。 休むことなく作品を生みだし続けた多作の作家が、生涯に発表した作品は千篇を超えるという。「国民的作家」と言えば、夏目漱石、井上靖、司馬遼太郎…と、思い浮かべる人はそれぞれだろうが、社会派推理から実録もの、歴史・考古ものまで幅広くこなした松本清張こそ、僕は国民的作家にふさわしいと思っている。 生まれ故郷の小倉には98年、松本清張記念館がオープンした。館内には、清張の東京の自宅書斎が移築され、再現されているという。清張ワールドに浸りたい方はぜひ一度お越しください(そう言う僕は、まだ訪れていません。すみません)。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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