2005/10/15(土)18:18
漱石先生に逢いに行く/10月15日(土)
週末、仕事でちょっと東京へ行ってきた。今回のBAR巡りの話は、また別の機会に譲るとして、翌朝大阪へ帰る前、午前中の数時間を使って、東京の下町を少し散策した。
地下鉄・千代田線の根津で下りて、北西へ進路をとる。ご存じの人はよくわかると思うが、この辺りは坂道が多い。いきなり結構急な坂道。碑文が立っていて、「異人坂」との名が。東大草創期の頃、お抱え外国人教師がこの辺りにたくさん住んでいたので、その名が付いたという。
さらに進むともう車は通れず、下る階段坂(写真左)に行き着いた。そこを降りてしばらく歩くと、根津神社。五代将軍綱吉によって建てられた由緒ある神社では、ちょうどお祭り(「根津・千駄木 下町まつり」とか)をやっていた(写真右)。境内にはフリーマーケットも出ていて客で賑わっている。
根津神社にもお別れして、根津裏門坂を左手に進路をとり、さらに登る。右手には日本医大・高度救急救命センターの建物が。どこかで既視感(見覚え)があると思ったら、「マークスの山」とか邦画で結構、ロケの舞台として使われている病院だとか。
病院本館を通り過ぎて右手へ折れる。そして200mほど歩くと、僕の散策の最大の目的であった「夏目漱石・旧居跡」にたどり着く。昔はこのあたりも千駄木と言ったらしいが、現在は向丘2丁目とある。ここにあった旧居で、漱石は「我が輩は猫である」「坊ちゃん」「草枕」などの漱石文学の代表作を生みだした。
残念ながら、旧居自体は愛知県の明治村に移築されていて、この場所には旧居のしのぶ手掛かりは何もない。ただ、記念の石碑(写真左)が漱石の功績を記すのみ。すぐそばに立つ「橘桜会館」というモダンな建物が不釣り合いだが、敷地を提供されたような形で記念碑が立っているから、文句は言いにくい。
ただし、記念碑の背に立つ塀の上に猫のモニュメント(写真右)を造ったセンスは誉めてあげたい。猫好きで、野良猫たちに好き勝手に家の敷地内を出入りさせたという漱石。小説のモデルとなった猫の墓まで造ったことでも有名だ。
周辺に、漱石の生きていた明治期の家並みはほとんどないだろうが、僕は精一杯想像力をめぐらせて、漱石先生が通りを気むずかしい顔をして、散歩している姿を思い浮かべた。
そのとき偶然、黒い猫が一匹、僕の前を横切った。「漱石先生になり代わり、うらんかんろさんのご訪問を歓迎いたします」とは言わなかったが…。さて、漱石先生にお別れした僕は、千駄木駅方面へ坂を下る。
途中、鴎外記念図書館なる施設(森鴎外が30歳から住んだ旧居跡。図書館内には「鴎外記念室」があるという)にも出合ったが、時間がないので、ここはまた次回の楽しみに。
根津、千駄木、そしてすぐお隣の谷中辺りは戦災の被害が少なかったせいか、昔の下町の面影がとてもよく残る、東京でも稀有なエリア。角を一つ曲がると、昔ながらの駄菓子屋があったりして、歩くたびに発見がある街。首都圏にお住まいの方も、ぜひ一度ゆっくり散策してみてください。